平山優『真田信之 父の知略に勝った決断力』
これは10月23日分の記事として掲載しておきます。PHP新書の一冊として、2016年9月にPHP研究所より刊行されました。本書は真田信之(信幸)の伝記ですが、戦国時代末期~江戸時代初期という、中近世移行期の真田家の動向を詳細に知るのにも適した一冊になっています。と言いますか、信之の思惑や心情について、推測を述べることに抑制的なので、近世大名たる真田家の成立期の解説という性格が強くなっているかもしれません。新書としては厚く、分量があるだけではなく密度も濃く、主要参考文献も掲載されているので、読みごたえのある一冊になっています。
本書は信之の生涯を詳細に追っていますが、最も読みごたえがあるのは、関ヶ原の戦いの後、真田家の当主としていかに内政面で腐心したか、描き出した第5章でしょう。この時期、頻繁に浅間山が噴火したことや、第二次上田合戦の影響などにより、領内は大きな打撃を受け、その立て直しは信之にとって重い課題となりました。また信之は、村落の立て直しとともに城下町の整備なども進めており、苦闘しつつも所領支配を確立していきます。しかし、徳川政権による軍役や普請役により、真田家の財政事情はかなり厳しかったようです。
信之は松代(松城)転封後、直轄領を増やしていき、財政難に対処しようとしており、晩年にはかなりの額(金子27万両)の蓄財に成功したようです。しかし、これは家臣団の知行の抑制で可能になったことでもあり、家臣団の不満を高め、多くの家臣が出奔する事態を招来しました。家臣団の不満の一因として、松代へ転封後、家臣団を城下町に居住させ、知行地での居住を許さなかったこともあるようです。財政面とあわせて、大名権力の強化と言えるのでしょう。松代転封後だけではなく、上田時代にも、信之は家臣団の統制に苦心していたようです。大坂の陣で弟の信繁が豊臣方として参陣し、これと通ずる動きが家中・領内にあったようで、それに対して信之が厳しい処置をとったことが窺えます。
このような、家臣団統制に苦しんだことや、上述した内政面での厳しい状況など、信之というか真田家は、戦国時代末期~江戸時代初期にかけて、苦難の連続だった、との印象を受けます。しかし、それは真田家に限らず、他の大名家でも同様だったのでしょう。また、近隣勢力や上位権力との関係の構築も、戦国時代末期~江戸時代初期にかけての大名家にとって重要となってきます。真田家の場合は、戦国時代末期には近隣地域の上位権力たる武田・上杉・北条・徳川といった有力大名との関係が、その後は豊臣(羽柴)・(関ヶ原の戦い後の)徳川という「中央権力」との関係が、生き残りにはきわめて重要となります。
家臣団統制・領地支配・上位権力との関係といった問題は、真田家に限らず中近世移行期の武士の家にとってきわめて重要であり、真田家のようにそうした問題を切り抜けて幕末まで生き延びた家もあれば、それらのどれかでの致命的な失敗により没落した家も多く存在しました(真田家の分家とも言うべき沼田藩も、内政面での破綻により改易となっています)。その意味で、中近世移行期の真田家の詳細な事例は、同時期の武士の家の興亡の理解にも役立つのではないか、と思います。真田領にはキリシタンも多くいたそうで、信之はその対策にも苦慮したようですし、晩年には御家騒動も起きています。それらも中近世移行期の武士の家にとって珍しくない問題であり、こうした点でも、真田家は中近世移行期のモデルケースとなり得る、と言えそうです。本書は、中近世移行期の大名支配の確立という観点からも、得るところが多いように思います。
本書は信之の生涯を詳細に追っていますが、最も読みごたえがあるのは、関ヶ原の戦いの後、真田家の当主としていかに内政面で腐心したか、描き出した第5章でしょう。この時期、頻繁に浅間山が噴火したことや、第二次上田合戦の影響などにより、領内は大きな打撃を受け、その立て直しは信之にとって重い課題となりました。また信之は、村落の立て直しとともに城下町の整備なども進めており、苦闘しつつも所領支配を確立していきます。しかし、徳川政権による軍役や普請役により、真田家の財政事情はかなり厳しかったようです。
信之は松代(松城)転封後、直轄領を増やしていき、財政難に対処しようとしており、晩年にはかなりの額(金子27万両)の蓄財に成功したようです。しかし、これは家臣団の知行の抑制で可能になったことでもあり、家臣団の不満を高め、多くの家臣が出奔する事態を招来しました。家臣団の不満の一因として、松代へ転封後、家臣団を城下町に居住させ、知行地での居住を許さなかったこともあるようです。財政面とあわせて、大名権力の強化と言えるのでしょう。松代転封後だけではなく、上田時代にも、信之は家臣団の統制に苦心していたようです。大坂の陣で弟の信繁が豊臣方として参陣し、これと通ずる動きが家中・領内にあったようで、それに対して信之が厳しい処置をとったことが窺えます。
このような、家臣団統制に苦しんだことや、上述した内政面での厳しい状況など、信之というか真田家は、戦国時代末期~江戸時代初期にかけて、苦難の連続だった、との印象を受けます。しかし、それは真田家に限らず、他の大名家でも同様だったのでしょう。また、近隣勢力や上位権力との関係の構築も、戦国時代末期~江戸時代初期にかけての大名家にとって重要となってきます。真田家の場合は、戦国時代末期には近隣地域の上位権力たる武田・上杉・北条・徳川といった有力大名との関係が、その後は豊臣(羽柴)・(関ヶ原の戦い後の)徳川という「中央権力」との関係が、生き残りにはきわめて重要となります。
家臣団統制・領地支配・上位権力との関係といった問題は、真田家に限らず中近世移行期の武士の家にとってきわめて重要であり、真田家のようにそうした問題を切り抜けて幕末まで生き延びた家もあれば、それらのどれかでの致命的な失敗により没落した家も多く存在しました(真田家の分家とも言うべき沼田藩も、内政面での破綻により改易となっています)。その意味で、中近世移行期の真田家の詳細な事例は、同時期の武士の家の興亡の理解にも役立つのではないか、と思います。真田領にはキリシタンも多くいたそうで、信之はその対策にも苦慮したようですし、晩年には御家騒動も起きています。それらも中近世移行期の武士の家にとって珍しくない問題であり、こうした点でも、真田家は中近世移行期のモデルケースとなり得る、と言えそうです。本書は、中近世移行期の大名支配の確立という観点からも、得るところが多いように思います。
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