人間の致死的暴力の起源(追記有)
これは10月2日分の記事として掲載しておきます。人間の致死的暴力の起源に関する研究(Gómez et al., 2016)が報道されました。ナショナルジオグラフィックでも報道されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。人間の致死的暴力行為については、「先天的」なのか「後天的」なのか、という議論が通俗的にはよく知られているように思います。じっさいには、そこまで単純化された議論が展開されているわけではないのですが、「先天的」なのか「後天的」なのかという二元論が一般には受け入れられやすいのでしょう。
この研究は、人間も含む哺乳類を対象に系統発生的手法を用いて、この問題を分析しています。人間以外では現生哺乳類1024種の死に関する400万件以上のデータが、人間では10万年前頃~現代までの600人以上のデータが収集され、同種間の個体による致死的暴力の事例が詳細に検証されました。人間では戦争・処刑・幼児殺害などを含む意図的殺人が対象とされました。
その結果、同種間の殺害は、哺乳類全体では約0.3%で、霊長類・齧歯類・野ウサギの共通祖先では約1.1%、その直後に現れた霊長類とツパイの共通祖先では2.3%と推定されました。現生人類(Homo sapiens)の出現時期と推定されている20万~16万年前頃には、系統発生的に予測される個人間暴力による人間の死の割合は約2%で、霊長類とツパイの共通祖先の系統発生的推定致死的暴力率と類似しています。
そのためこの研究は、人間の致死的暴力はある水準以上で進化的遺産であることを示唆している、と指摘しています。また、この数値がいわゆる先史時代のバンドや部族において見られた割合と類似していることも指摘されています。もっとも、人間の致死的暴力の水準は歴史を通じて変わってきており、社会・政治構造の変化と関連し得る、と注意も喚起されています。じっさい、国家の出現以降、人間の死亡率は低下している、との有力な見解が提示されており(関連記事)、この研究で示されたような見解が妥当だとしても、通俗的な「後天的」説で懸念されているような、「暴力が人間の本能だとすると、戦争は不可避の運命になる」といった「懸念」は的外れと言うべきでしょう。
参考文献:
Gómez JM. et al.(2016): The phylogenetic roots of human lethal violence. Nature, 538, 7624, 233–237.
http://dx.doi.org/10.1038/nature19758
追記(2016年10月13日)
論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
人類学:ヒトの致死的暴力の系統発生学的ルーツ
人類学:相手の命を奪うヒトの暴力性の系統発生学的ルーツ
哲学者トマス・ホッブズは、「人間は本来暴力的である」と述べている。ジャン=ジャック・ルソーは逆に、「人間は一般に平和を好む」と述べている。おそらく現実はその中間にあるのだろうが、では一体、どの位置なのだろうか。今回J Gómezたちは、1000種以上の哺乳類を対象に、同種個体間での致死的な暴力性を系統発生学的に分析した。すると、致死的暴力は、コウモリやクジラなどの一部のクレードではほとんど知られていないが、霊長類の場合には特性の1つとして備わっていることが明らかになった。経験的観察に基づいて推論したヒトの先史時代の致死的暴力のレベルは系統発生学的な予測と一致するが、有史時代のほとんどの期間で、系統発生学的な予測値よりも高い。現代では、文化的な慣例によって、ヒトに本来備わる暴力的傾向が加減されているようである。
この研究は、人間も含む哺乳類を対象に系統発生的手法を用いて、この問題を分析しています。人間以外では現生哺乳類1024種の死に関する400万件以上のデータが、人間では10万年前頃~現代までの600人以上のデータが収集され、同種間の個体による致死的暴力の事例が詳細に検証されました。人間では戦争・処刑・幼児殺害などを含む意図的殺人が対象とされました。
その結果、同種間の殺害は、哺乳類全体では約0.3%で、霊長類・齧歯類・野ウサギの共通祖先では約1.1%、その直後に現れた霊長類とツパイの共通祖先では2.3%と推定されました。現生人類(Homo sapiens)の出現時期と推定されている20万~16万年前頃には、系統発生的に予測される個人間暴力による人間の死の割合は約2%で、霊長類とツパイの共通祖先の系統発生的推定致死的暴力率と類似しています。
そのためこの研究は、人間の致死的暴力はある水準以上で進化的遺産であることを示唆している、と指摘しています。また、この数値がいわゆる先史時代のバンドや部族において見られた割合と類似していることも指摘されています。もっとも、人間の致死的暴力の水準は歴史を通じて変わってきており、社会・政治構造の変化と関連し得る、と注意も喚起されています。じっさい、国家の出現以降、人間の死亡率は低下している、との有力な見解が提示されており(関連記事)、この研究で示されたような見解が妥当だとしても、通俗的な「後天的」説で懸念されているような、「暴力が人間の本能だとすると、戦争は不可避の運命になる」といった「懸念」は的外れと言うべきでしょう。
参考文献:
Gómez JM. et al.(2016): The phylogenetic roots of human lethal violence. Nature, 538, 7624, 233–237.
http://dx.doi.org/10.1038/nature19758
追記(2016年10月13日)
論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
人類学:ヒトの致死的暴力の系統発生学的ルーツ
人類学:相手の命を奪うヒトの暴力性の系統発生学的ルーツ
哲学者トマス・ホッブズは、「人間は本来暴力的である」と述べている。ジャン=ジャック・ルソーは逆に、「人間は一般に平和を好む」と述べている。おそらく現実はその中間にあるのだろうが、では一体、どの位置なのだろうか。今回J Gómezたちは、1000種以上の哺乳類を対象に、同種個体間での致死的な暴力性を系統発生学的に分析した。すると、致死的暴力は、コウモリやクジラなどの一部のクレードではほとんど知られていないが、霊長類の場合には特性の1つとして備わっていることが明らかになった。経験的観察に基づいて推論したヒトの先史時代の致死的暴力のレベルは系統発生学的な予測と一致するが、有史時代のほとんどの期間で、系統発生学的な予測値よりも高い。現代では、文化的な慣例によって、ヒトに本来備わる暴力的傾向が加減されているようである。
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