麻田雅文『シベリア出兵 近代日本の忘れられた七年戦争』

 これは10月14日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年9月に刊行されました。副題に「近代日本の忘れられた七年戦争」とあるように、シベリア出兵への一般的な関心は、たとえば、同じく近代の戦争である日清戦争や日露戦争や日中戦争や太平洋戦争と比較して、低いように思われます。不勉強な私も、やはりシベリア出兵のことをよく知りません。その意味で、出兵の背景から出兵後の具体的な情勢変化を経て撤兵にいたるまで、国内・国際的な視点から基本的な事柄が解説された本書は、私にとって大いに有益でした。シベリア出兵に多少なりとも関心のある非専門家の読者にとって、本書は基本的な参考文献となるでしょう。

 本書を読んで改めて、大規模な事象においては利害関係が錯綜し、複雑な様相を呈するので、単純な理解はできない、ということを痛感しました。大日本帝国といった国家単位でも、そのなかの陸軍や外務省といった組織単位でも、日本に限らずロシアの反革命勢力でも、意思が統一されているわけではなく、意見対立は珍しくありませんし、個人単位でも、情勢の変化に応じて意見が変わることはよくあります。ロシア革命という大きな変化にたいして、的確に予想することの難しさを思い知らされます。

 シベリア出兵において、日本が列強のなかで最大の兵力を派遣したのは、地理的要因と、第一次世界大戦で他の列強と比較して疲弊していなかった、ということがあると思います。では、列強のなかで撤兵が最後となるまで出兵が長引いた理由について、本書は三つの要因を指摘しています。一つは統帥権の独立で、一旦出兵してしまうと、政治的決断で撤兵を実行するのは容易ではありませんでした。次に、革命(ソビエト)政府を過小評価してしまったことで、これは、共産主義への強い警戒に起因する、革命政府が倒壊してほしい、という願望も影響していたのかもしれません。

 もう一つは、「死者への債務」という観念です。兵士・民間人の死を無駄にしないために、撤兵の見返りが要求されました。この観念は当時の支配層を強く拘束したようで、聡明と思われる政治家たちも、旧ロシア帝国領からの撤兵に大きな見返りを求め、それが撤兵の遅れにつながっています。こうした心理は、支配層に限らず現代人に広く共通するものと言えるでしょうから、現代社会にあっても起こりがちな問題だと思います。これは、死者の出るような事柄に限らず、たとえば、「ここまで予算を投じたのだから・・・」というような心理でも起こり得る問題なのでしょう。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック