古川隆久『人物叢書(新装版) 近衛文麿』
これは10月1日分の記事として掲載しておきます。人物叢書の一冊として、吉川弘文館より2015年9月に刊行されました。本書は、歴代の首相のなかでも一般的な評価では最下位の有力候補であろう近衛文麿の伝記です。近衛は定見のないポピュリストで優柔不断とも言われますが、本書の評価は異なり、若い頃から思想的にも手法的にも一貫性が強かった、と指摘しています。近衛は若い頃から社会的不平等に敏感で、その解決による国内社会の統合・安定は生涯の課題だったようですが、そのために国家を最重要視しており、この点では国家社会主義的です。しかし一方で、近衛は手法的には人々の自発性を重視する自由主義的傾向が強かった、とされます。本書はそのような近衛を、自由主義的な国家社会主義思想の啓蒙政治家だと評価しています。
自由主義と国家社会主義との結びつきは、門外漢の私にはやや奇異にも思えますが、いわゆる大正デモクラシー運動の流れのなかで、知識人や地域有力者が人々に国民としての自発性を喚起しようとすると、国家主義の昂揚も惹起する傾向が見られるとのことで、近衛の思想は当時の日本社会において特異なものではなかったようです。対外的には、近衛にはアジア主義的傾向が強く見られました。英米への強い反感もそうですが、こうしたアジア主義的傾向は、近衛が国際社会に関しても不平等という問題に敏感だったことを示しているのかもしれません。ただ、本書も指摘するように、日本の生存権にたいする近衛の意気込みは強く、あくまでも日本中心主義の枠組みでの不平等の解消が目的でした。
社会的不平等の解決による国内社会の統合・安定を目指す近衛は、国内各層を抱擁し得る社会の構築を目指します。この点は、首相就任前から首相時代を経て首相退任後も変わらなかったようです。新体制運動もそうした文脈で解釈されています。この、軍部・官界・政党・民間、さらには思想的に左から右までを含む安定した社会の構築を理想としたことが、近衛をポピュリストのように見せる要因になっているのかもれません。
では、定見のない優柔不断なポピュリストではなく、思想的にも手法的にも一貫性が強かった近衛の政治家としての評価がじゅうらいよりも高くなるのかというと、この点で本書は近衛にかなり厳しい評価をくだしています。近衛の対中強硬姿勢は定見のない優柔不断な姿勢から生まれたものではありませんでしたが、当然のことながらだからといって高く評価できるわけでもなく、けっきょくは日本を破綻に追い込んでしまいました。また、人々の自発性を重視するといえば聞こえはよいのですが、それは、早いうちに日本の敗戦が見えていながら、人々が追い込まれて敗戦を自覚するまで終戦工作には消極的な姿勢を近衛に取らせることにもなりました。こうした点でも、本書は近衛に厳しい評価を下しています。
本書を読んで改めて、近衛を政治家として高く評価することはやはりできないな、と思ったものです。当時の政治家として、その知性にはなかなか見るべきものがあったようですが、本書を読むと、その知性は英米との対立、さらには国際社会での孤立に用いられてしまったのではないか、との印象が残ります。本書は近衛の私生活にも言及していますが、近衛は父親として温かいところのある人物だったようです。しかし、複数の愛人を抱えて妻を苦しめるなど、近代的な家庭人としては失格と言うべきなのでしょう。近衛の言動は当時の日本社会において特異なものではなく、その人間性からも極悪人とは思えませんが、政治家としては、結果的に日本社会に大きな損害を与えることになった主犯の一人と言えるかもしれません。
自由主義と国家社会主義との結びつきは、門外漢の私にはやや奇異にも思えますが、いわゆる大正デモクラシー運動の流れのなかで、知識人や地域有力者が人々に国民としての自発性を喚起しようとすると、国家主義の昂揚も惹起する傾向が見られるとのことで、近衛の思想は当時の日本社会において特異なものではなかったようです。対外的には、近衛にはアジア主義的傾向が強く見られました。英米への強い反感もそうですが、こうしたアジア主義的傾向は、近衛が国際社会に関しても不平等という問題に敏感だったことを示しているのかもしれません。ただ、本書も指摘するように、日本の生存権にたいする近衛の意気込みは強く、あくまでも日本中心主義の枠組みでの不平等の解消が目的でした。
社会的不平等の解決による国内社会の統合・安定を目指す近衛は、国内各層を抱擁し得る社会の構築を目指します。この点は、首相就任前から首相時代を経て首相退任後も変わらなかったようです。新体制運動もそうした文脈で解釈されています。この、軍部・官界・政党・民間、さらには思想的に左から右までを含む安定した社会の構築を理想としたことが、近衛をポピュリストのように見せる要因になっているのかもれません。
では、定見のない優柔不断なポピュリストではなく、思想的にも手法的にも一貫性が強かった近衛の政治家としての評価がじゅうらいよりも高くなるのかというと、この点で本書は近衛にかなり厳しい評価をくだしています。近衛の対中強硬姿勢は定見のない優柔不断な姿勢から生まれたものではありませんでしたが、当然のことながらだからといって高く評価できるわけでもなく、けっきょくは日本を破綻に追い込んでしまいました。また、人々の自発性を重視するといえば聞こえはよいのですが、それは、早いうちに日本の敗戦が見えていながら、人々が追い込まれて敗戦を自覚するまで終戦工作には消極的な姿勢を近衛に取らせることにもなりました。こうした点でも、本書は近衛に厳しい評価を下しています。
本書を読んで改めて、近衛を政治家として高く評価することはやはりできないな、と思ったものです。当時の政治家として、その知性にはなかなか見るべきものがあったようですが、本書を読むと、その知性は英米との対立、さらには国際社会での孤立に用いられてしまったのではないか、との印象が残ります。本書は近衛の私生活にも言及していますが、近衛は父親として温かいところのある人物だったようです。しかし、複数の愛人を抱えて妻を苦しめるなど、近代的な家庭人としては失格と言うべきなのでしょう。近衛の言動は当時の日本社会において特異なものではなく、その人間性からも極悪人とは思えませんが、政治家としては、結果的に日本社会に大きな損害を与えることになった主犯の一人と言えるかもしれません。
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