フロレシエンシスに関する研究の進展
これは9月16日分の記事として掲載しておきます。今年(2016年)になって、インドネシア領フローレス島の更新世人類についての研究が大きく進展しました。この問題については『ネイチャー』のサイトに解説記事が掲載されていますが、改めてこのブログでもまとめてみます。なお、2年ほど前(2014年8月)にもこの問題についてまとめていますので(関連記事)、基本的にはそれ以降の研究の進展について述べていきます。
フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟遺跡では後期更新世の人骨群が発見されており、2004年の公表からしばらくは、新種なのか、それとも病変の現生人類(Homo sapiens)なのか、という激論が展開されました。しかし現在では、この人骨群をホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と区分する見解がおおむね受け入れられているように思われます。じっさい、最近の頭蓋の研究(関連記事)やダウン症患者との比較研究(関連記事)でも、フローレス島の更新世人類は病変の現生人類ではなく、新種だと改めて確認されています。また、フロレシエンシスについての基本的な情報も見直されており、じゅうらい、フロレシエンシスの下限年代は17000年前頃もしくは13000~11000年前頃と推定されていましたが、リアンブア洞窟遺跡の堆積層の再検証により、人骨の下限年代は6万年前頃、フロレシエンシスの所産と考えられる石器群の下限年代は5万年前頃と見直されました(関連記事)。
では、フローレス島の更新世人類をホモ属の新種フロレシエンシスと区分するとして、次に問題となるのは、フロレシエンシスを人類進化史においてどう位置づけるのか、という問題です。この問題に関しては議論がまだ続いており、当分収束しそうにありません。この議論については、大別すると二つの見解が提示されています。一方の見解は当初提示されたもので、フロレシエンシスは東南アジアにまで進出していたホモ属であるエレクトス(Homo erectus)の子孫であり、島嶼化により小型化した、というものです。もう一方の見解は、研究の進展によりフロレシエンシスの祖先的特徴の確認例が増加してきたことから、フロレシエンシスはエレクトスよりもさらに祖先的な系統、たとえばハビリス(Homo habilis)から進化したのではないか、というものです。もっとも、後者の見解でも島嶼化による小型化が否定されているわけではありません。
近年では、後者の見解がやや優勢かな、とも思えるのですが、歯の分析からは、フロレシエンシスはスンダランドの初期エレクトス集団もしくはスンダランドにいたその近縁集団から進化し、島嶼化により身体と脳が小型化した、との見解が提示されています(関連記事)。私は、フロレシエンシスが東南アジアの初期エレクトス集団から進化した、という見解を以前から支持していますが、まだ確定的とは言えないでしょう。
今年になって、フロレシエンシスの起源と大きく関連してくる発見が公表されました(関連記事)。フローレス島中央のソア盆地では、マタメンゲ(Mata Menge)遺跡などですでに前期~中期更新世の石器群が発見されており、ウォロセゲ(Wolo Sege)遺跡の石器群の年代は100万年以上前までさかのぼると推定されています(関連記事)。マタメンゲ遺跡では70万年前頃の人類の下顎と歯が発見され、下顎の第一大臼歯はフロレシエンシスよりも祖先的特徴を保持しており、下顎は華奢で、ハビリスのような頑丈な顎よりもエレクトスやフロレシエンシスの方と類似し、四角形の歯はエレクトスとフロレシエンシスの中間的形態を示しています。また、マタメンゲ遺跡の中期更新世の石器群と、リアンブア洞窟遺跡の後期更新世の石器群との技術的類似性も指摘されています。
こうしたことから、フロレシエンシスの祖先集団は東南アジアの初期エレクトス集団で、フローレス島では最古の人類の痕跡が確認されている100万年前頃から70万年前頃までという比較的短期間に島嶼化により人類が小型化したのではないか、との見解が提示されています。しかし、フローレス島における人類の痕跡は今後さらにさかのぼるかもしれず、短期間で島嶼化により人類が小型化した、と確定したわけではないでしょう。
現時点では、フロレシエンシスの祖先集団は東南アジアの初期エレクトスであり、100万年以上前にフローレス島に到達し、島嶼化により小型化して、5万年前頃に絶滅した、と考えるのが妥当かもしれません。ただ、フローレス島の更新世人類は、津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、スラウェシ島から意図せず何度も漂着したのではないか、とも推測されています(関連記事)。そうだとしても、フローレス島における中期更新世と後期更新世の人類の形態および石器技術の類似性は説明可能です。じっさい、スラウェシ島では10万年以上前の石器群が発見されており、中期更新世に現生人類ではない系統の人類が存在した可能性が指摘されています(関連記事)。
上述したように、フロレシエンシスの推定下限年代は5万年前頃と見直されました。もちろん、これが絶滅年代とは限らないわけですが、そうだとすると、フローレス島の近隣地域であるサフルランドへの現生人類の進出時期と近いことが注目されます。サフルランドへの現生人類の最初の進出年代自体、まだ確定したとは言えないので、一つの仮説にすぎませんが、ユーラシアにおいて現生人類の本格的な拡散により先住人類たるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が絶滅したと考えられることから、フロレシエンシスも、現生人類の進出による競合により絶滅したのかもしれません。もっとも、リアンブア洞窟遺跡では、更新世における現生人類の痕跡は確認されていませんでした。しかし今年になって、41000~24000年前頃に現生人類がリアンブア洞窟に存在していた可能性が指摘されています(関連記事)。現生人類との競合がフロレシエンシス絶滅の要因なのか、まだ確定したとはとても言えませんが、これは有力な仮説として真剣に検証されるだけの価値があると思います。
フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟遺跡では後期更新世の人骨群が発見されており、2004年の公表からしばらくは、新種なのか、それとも病変の現生人類(Homo sapiens)なのか、という激論が展開されました。しかし現在では、この人骨群をホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と区分する見解がおおむね受け入れられているように思われます。じっさい、最近の頭蓋の研究(関連記事)やダウン症患者との比較研究(関連記事)でも、フローレス島の更新世人類は病変の現生人類ではなく、新種だと改めて確認されています。また、フロレシエンシスについての基本的な情報も見直されており、じゅうらい、フロレシエンシスの下限年代は17000年前頃もしくは13000~11000年前頃と推定されていましたが、リアンブア洞窟遺跡の堆積層の再検証により、人骨の下限年代は6万年前頃、フロレシエンシスの所産と考えられる石器群の下限年代は5万年前頃と見直されました(関連記事)。
では、フローレス島の更新世人類をホモ属の新種フロレシエンシスと区分するとして、次に問題となるのは、フロレシエンシスを人類進化史においてどう位置づけるのか、という問題です。この問題に関しては議論がまだ続いており、当分収束しそうにありません。この議論については、大別すると二つの見解が提示されています。一方の見解は当初提示されたもので、フロレシエンシスは東南アジアにまで進出していたホモ属であるエレクトス(Homo erectus)の子孫であり、島嶼化により小型化した、というものです。もう一方の見解は、研究の進展によりフロレシエンシスの祖先的特徴の確認例が増加してきたことから、フロレシエンシスはエレクトスよりもさらに祖先的な系統、たとえばハビリス(Homo habilis)から進化したのではないか、というものです。もっとも、後者の見解でも島嶼化による小型化が否定されているわけではありません。
近年では、後者の見解がやや優勢かな、とも思えるのですが、歯の分析からは、フロレシエンシスはスンダランドの初期エレクトス集団もしくはスンダランドにいたその近縁集団から進化し、島嶼化により身体と脳が小型化した、との見解が提示されています(関連記事)。私は、フロレシエンシスが東南アジアの初期エレクトス集団から進化した、という見解を以前から支持していますが、まだ確定的とは言えないでしょう。
今年になって、フロレシエンシスの起源と大きく関連してくる発見が公表されました(関連記事)。フローレス島中央のソア盆地では、マタメンゲ(Mata Menge)遺跡などですでに前期~中期更新世の石器群が発見されており、ウォロセゲ(Wolo Sege)遺跡の石器群の年代は100万年以上前までさかのぼると推定されています(関連記事)。マタメンゲ遺跡では70万年前頃の人類の下顎と歯が発見され、下顎の第一大臼歯はフロレシエンシスよりも祖先的特徴を保持しており、下顎は華奢で、ハビリスのような頑丈な顎よりもエレクトスやフロレシエンシスの方と類似し、四角形の歯はエレクトスとフロレシエンシスの中間的形態を示しています。また、マタメンゲ遺跡の中期更新世の石器群と、リアンブア洞窟遺跡の後期更新世の石器群との技術的類似性も指摘されています。
こうしたことから、フロレシエンシスの祖先集団は東南アジアの初期エレクトス集団で、フローレス島では最古の人類の痕跡が確認されている100万年前頃から70万年前頃までという比較的短期間に島嶼化により人類が小型化したのではないか、との見解が提示されています。しかし、フローレス島における人類の痕跡は今後さらにさかのぼるかもしれず、短期間で島嶼化により人類が小型化した、と確定したわけではないでしょう。
現時点では、フロレシエンシスの祖先集団は東南アジアの初期エレクトスであり、100万年以上前にフローレス島に到達し、島嶼化により小型化して、5万年前頃に絶滅した、と考えるのが妥当かもしれません。ただ、フローレス島の更新世人類は、津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、スラウェシ島から意図せず何度も漂着したのではないか、とも推測されています(関連記事)。そうだとしても、フローレス島における中期更新世と後期更新世の人類の形態および石器技術の類似性は説明可能です。じっさい、スラウェシ島では10万年以上前の石器群が発見されており、中期更新世に現生人類ではない系統の人類が存在した可能性が指摘されています(関連記事)。
上述したように、フロレシエンシスの推定下限年代は5万年前頃と見直されました。もちろん、これが絶滅年代とは限らないわけですが、そうだとすると、フローレス島の近隣地域であるサフルランドへの現生人類の進出時期と近いことが注目されます。サフルランドへの現生人類の最初の進出年代自体、まだ確定したとは言えないので、一つの仮説にすぎませんが、ユーラシアにおいて現生人類の本格的な拡散により先住人類たるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が絶滅したと考えられることから、フロレシエンシスも、現生人類の進出による競合により絶滅したのかもしれません。もっとも、リアンブア洞窟遺跡では、更新世における現生人類の痕跡は確認されていませんでした。しかし今年になって、41000~24000年前頃に現生人類がリアンブア洞窟に存在していた可能性が指摘されています(関連記事)。現生人類との競合がフロレシエンシス絶滅の要因なのか、まだ確定したとはとても言えませんが、これは有力な仮説として真剣に検証されるだけの価値があると思います。
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