飯倉章『第一次世界大戦史 風刺画とともに見る指導者たち』

 中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年3月に刊行されました。一昨年(2014年)で第一次世界大戦の始まりから100年となり、再来年(2018年)で第一次世界大戦の終結から100年となります。そういうわけで、近年になって、日本社会では第二次世界大戦と比較するとずっと関心が低かったと思われる第一次世界大戦に関する書籍の刊行が活発になってきたように思います。一般向けの第一次世界大戦の通史である本書も、第一次世界大戦から100年という節目を意識しての刊行のようです。

 第一次世界大戦についておもに取り上げた日本語の一般向け通史は少なくありませんが、本書の特徴は、政治・外交・軍事・人物に重点を置いた「伝統的な」通史叙述になっていることです。近年では、第一次世界大戦をおもに取り上げた一般向け書籍でも、国民化の進展など社会史的な側面を重視する傾向があるように思われるだけに、こうした「伝統的な」叙述はかえって新鮮でした。各国指導者の人間関係が戦争遂行にどのような影響を与えたのか、という分析は興味深いものでした。

 本書のもう一つの特徴は、諷刺画を中心に図像を多く取り上げていることで、自国や敵国およびその指導者たちを当時の人々がどのように見ていたのか、また見たいと考えていたのか、窺える興味深い内容になっています。本書を読んで改めて、日本への人種差別意識がドイツ(も含むヨーロッパ)において強かったことを確認させられました。もっとも、本書でも指摘されていますが、ドイツにとって、「教え子」だった日本の火事場泥棒的なやり口は、本当に腹立たしいものだったでしょうから、そうした感情が強く可視化されていったのも仕方のないところでしょう。

 人物に重きを置いている本書だけに、大戦初期のタンネンベルクの戦いについても、ただ結果とその後の戦局への影響を述べるだけではなく、一般向け通史にしてはやや詳しく解説しています。ドイツ国民はタンネンベルクの戦いの英雄としてヒンデンブルクとルーデンドルフを強く支持したものの、ヒンデンブルクはお飾りであり、ルーデンドルフはホフマン中佐の計画に乗っかっただけで、フランソワ司令官の独断にも助けられた、というわけです。

 また、人物に重きを置いていることから、参戦した各国(開戦当初は日和見で、途中でどちらかの陣営に参加した国々も含めて)の指導層の見通しの誤りがよく解説されていると思います。敗者も勝者も戦争では錯誤の連続である、ということを再度確認させられました。各国のエリート層の多くが、戦争は短期間で終結すると考え、それに基づいて行動し、結果的に長期化したわけで、事前に戦争の見通しを予測することの難しさを改めて痛感します。やはり、安易に戦争を選択したり、強硬論を主張したりすることは躊躇われます。経済・社会についての解説が少ないとはいえ、本書は総合的には、第一次世界大戦の通史として良書だと思います。

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