西アジアの初期農耕民のゲノム解析(追記有)
西アジアの初期農耕民のゲノム解析結果を報告した研究(Lazaridis et al., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、気候の問題でヨーロッパよりも古代人のゲノム解析が困難な西アジアの古代人のゲノムを、採取試料の選択と新たな手法により解析しました。まず、他の骨よりずっと多くのDNAを得られる耳骨からDNAが採取されました。また、人間のDNAを増幅する方法と、微生物によるDNA汚染を濾過して取り除く方法が用いられました。これらにより、この研究は、ナトゥーフィアン(Natufian)の狩猟採集民から青銅器時代農耕民までの、西アジアの12000~3400年前頃の44人の高精度なゲノム解析に成功しました。この新たなデータは、以前に報告されていた近隣地域の240人の古代人および2600人の現代人と比較されました。
その結果、たいへん興味深い結果が得られました。現代の西ユーラシアの人々には遺伝的類似性が見られます。しかし、西アジアの初期農耕民は、レヴァント南部・ザグロス・アナトリアの3地域で遺伝的にはっきり異なる、ということが明らかになりました。さらに、レヴァント南部・ザグロス地域では、初期農耕民が在来の狩猟採集民の子孫であることも明らかになりました。このことから、西アジアの初期農耕は、少なくとも一部では、ある集団による他集団の置換という形で拡大したのではなく、既存集団が農耕技術をそれぞれ独自に開発したか、交流により採用したことで拡大したのではないか、と考えられています。ヨーロッパでは、アナトリアから移住してきた農耕民が先住の狩猟採集民を置換していくことで農耕が拡大した、と考えられており、西アジアとは農耕開始・拡大の様相が異なるのかもしれません。
このように遺伝的に多様だった西アジアの初期農耕民は、近隣地域に進出し、相互に交雑したり、ヨーロッパの狩猟採集民と交雑したりすることで、その遺伝的構成が現代のように類似していきました。アナトリアの初期農耕民の子孫集団は西進してヨーロッパへと拡散しました。レヴァント南部の初期農耕民の子孫集団は南進してアフリカ東部へと拡散しました。ザグロス地域の初期農耕民の子孫集団は北進してユーラシア草原地帯へと拡散しました。また、ザグロス地域の初期農耕民とユーラシア草原地帯の牧畜民の双方の子孫集団は、東進して南アジアへと拡散しました。こうして青銅器時代までには、西ユーラシアの人類集団における現代のような遺伝的類似性が形成されました。
またこの研究は、西アジアの初期農耕民のゲノムにおいて、「基底部ユーラシア人」系統由来の領域が5割に達する可能性を指摘しています。基底部ユーラシア人とは、まだ化石の確認されていない仮定的な存在です。基底部ユーラシア人は、出アフリカ後の現生人類(Homo sapiens)集団で最初に分岐した系統で、もう一方の系統は、その後に現代につながる各地域集団に分岐していった、と想定されています。非アフリカ系現代人全員のゲノムには、わずかながらネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の領域があると確認されていますが、基底部ユーラシア人のゲノムにはネアンデルタール人由来の領域がほとんどなかった可能性が指摘されています。そのため、基底部ユーラシア人は、ネアンデルタール人との接触のなかった西アジアの一部に分布していた可能性が想定されています。
これにより、ネアンデルタール人はおもに西ユーラシアに分布していたのに、現代西ユーラシア人は現代東アジア人よりもゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の割合が低い理由も説明できるかもしれない、と指摘されています。ネアンデルタール人由来のゲノム領域をほとんど有していない基底部ユーラシア人との交雑により、現代西ユーラシア人の祖先集団のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の領域の割合が低下したかもしれない、というわけです。この研究はたいへん興味深い結果・見解を提示しており、古代人のゲノム解析例が蓄積されていくことにより、さらに精度の高い人類の移住史・交雑史が提示されていくのではないか、と期待されます。
参考文献:
Lazaridis I. et al.(2016): Genomic insights into the origin of farming in the ancient Near East. Nature, 536, 7617, 419–424.
http://dx.doi.org/10.1038/nature19310
追記(2016年8月25日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
人類学:ゲノミクスから得られた古代近東における農耕の起源に関する手掛かり
人類学:初期の農耕民はどんな人々だった?
今回D Reichたちは、紀元前約1万2000~1400年に現在のアルメニア、トルコ、イスラエルおよびヨルダンを含む近東地域に住んでいた44人から得た試料のゲノム解析の結果を報告している。この解析は、農耕へ移行した人類集団の人口動態を知るための手掛かりをもたらすものだ。
その結果、たいへん興味深い結果が得られました。現代の西ユーラシアの人々には遺伝的類似性が見られます。しかし、西アジアの初期農耕民は、レヴァント南部・ザグロス・アナトリアの3地域で遺伝的にはっきり異なる、ということが明らかになりました。さらに、レヴァント南部・ザグロス地域では、初期農耕民が在来の狩猟採集民の子孫であることも明らかになりました。このことから、西アジアの初期農耕は、少なくとも一部では、ある集団による他集団の置換という形で拡大したのではなく、既存集団が農耕技術をそれぞれ独自に開発したか、交流により採用したことで拡大したのではないか、と考えられています。ヨーロッパでは、アナトリアから移住してきた農耕民が先住の狩猟採集民を置換していくことで農耕が拡大した、と考えられており、西アジアとは農耕開始・拡大の様相が異なるのかもしれません。
このように遺伝的に多様だった西アジアの初期農耕民は、近隣地域に進出し、相互に交雑したり、ヨーロッパの狩猟採集民と交雑したりすることで、その遺伝的構成が現代のように類似していきました。アナトリアの初期農耕民の子孫集団は西進してヨーロッパへと拡散しました。レヴァント南部の初期農耕民の子孫集団は南進してアフリカ東部へと拡散しました。ザグロス地域の初期農耕民の子孫集団は北進してユーラシア草原地帯へと拡散しました。また、ザグロス地域の初期農耕民とユーラシア草原地帯の牧畜民の双方の子孫集団は、東進して南アジアへと拡散しました。こうして青銅器時代までには、西ユーラシアの人類集団における現代のような遺伝的類似性が形成されました。
またこの研究は、西アジアの初期農耕民のゲノムにおいて、「基底部ユーラシア人」系統由来の領域が5割に達する可能性を指摘しています。基底部ユーラシア人とは、まだ化石の確認されていない仮定的な存在です。基底部ユーラシア人は、出アフリカ後の現生人類(Homo sapiens)集団で最初に分岐した系統で、もう一方の系統は、その後に現代につながる各地域集団に分岐していった、と想定されています。非アフリカ系現代人全員のゲノムには、わずかながらネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の領域があると確認されていますが、基底部ユーラシア人のゲノムにはネアンデルタール人由来の領域がほとんどなかった可能性が指摘されています。そのため、基底部ユーラシア人は、ネアンデルタール人との接触のなかった西アジアの一部に分布していた可能性が想定されています。
これにより、ネアンデルタール人はおもに西ユーラシアに分布していたのに、現代西ユーラシア人は現代東アジア人よりもゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の割合が低い理由も説明できるかもしれない、と指摘されています。ネアンデルタール人由来のゲノム領域をほとんど有していない基底部ユーラシア人との交雑により、現代西ユーラシア人の祖先集団のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の領域の割合が低下したかもしれない、というわけです。この研究はたいへん興味深い結果・見解を提示しており、古代人のゲノム解析例が蓄積されていくことにより、さらに精度の高い人類の移住史・交雑史が提示されていくのではないか、と期待されます。
参考文献:
Lazaridis I. et al.(2016): Genomic insights into the origin of farming in the ancient Near East. Nature, 536, 7617, 419–424.
http://dx.doi.org/10.1038/nature19310
追記(2016年8月25日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
人類学:ゲノミクスから得られた古代近東における農耕の起源に関する手掛かり
人類学:初期の農耕民はどんな人々だった?
今回D Reichたちは、紀元前約1万2000~1400年に現在のアルメニア、トルコ、イスラエルおよびヨルダンを含む近東地域に住んでいた44人から得た試料のゲノム解析の結果を報告している。この解析は、農耕へ移行した人類集団の人口動態を知るための手掛かりをもたらすものだ。
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