石川明人『キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理』
これは7月3日分の記事として掲載しておきます。中公新書の一冊として、中央公論新社から2016年1月に刊行されました。本書は、「愛」と「平和」を唱えるキリスト教徒がなぜ戦争をするのか、という問題を論じています。キリスト教というか、宗教全体に冷ややかな視線を向ける人を、私もこれまで少なからず見てきました。そうした人々にはしばしば、キリスト教徒が主体で、キリスト教が社会に大きな影響力を有していた時代にも、宗教を前面に出した戦争が絶えなかったことから、キリスト教、さらには宗教全体を偽善・役立たずと揶揄・嘲笑するような姿勢が見られたように記憶しています。
そこまでキリスト教、さらには宗教全般に攻撃的な姿勢を明示しなくとも、「愛」や「平和」を唱える宗教がなぜ戦争を止められず、消極的に容認し、時には積極的に扇動するのか、という素朴な疑問を抱いている人は少なくないだろう、と思います。本書は、キリスト教の長い歴史を対象として、戦争を正当化する論理(正戦論)などキリスト教と戦争の関係を広範に検証しています。本書は戦争という側面から見たキリスト教史にもなっている、と言えるでしょう。
本書から窺えるのはキリスト教の多様性であり、キリスト教には戦争を肯定する論理も否定する論理も内在している、ということなのでしょう。本書はキリスト教を「教典宗教」と規定していますが、キリスト教の教典は長期にわたるさまざまな人々の言行録であることから、戦争を肯定する論理も否定する論理も教典から容易に導ける、と本書は指摘します。本書は、キリスト教に広義の軍事と親和的な側面があることも指摘しています。本書が指摘するように、多くの宗教には軍事との関連でキリスト教と類似した問題があり、宗教は戦争において要因となり得るものの、宗教が戦争を必ず導く、ということではないのでしょう。
そこまでキリスト教、さらには宗教全般に攻撃的な姿勢を明示しなくとも、「愛」や「平和」を唱える宗教がなぜ戦争を止められず、消極的に容認し、時には積極的に扇動するのか、という素朴な疑問を抱いている人は少なくないだろう、と思います。本書は、キリスト教の長い歴史を対象として、戦争を正当化する論理(正戦論)などキリスト教と戦争の関係を広範に検証しています。本書は戦争という側面から見たキリスト教史にもなっている、と言えるでしょう。
本書から窺えるのはキリスト教の多様性であり、キリスト教には戦争を肯定する論理も否定する論理も内在している、ということなのでしょう。本書はキリスト教を「教典宗教」と規定していますが、キリスト教の教典は長期にわたるさまざまな人々の言行録であることから、戦争を肯定する論理も否定する論理も教典から容易に導ける、と本書は指摘します。本書は、キリスト教に広義の軍事と親和的な側面があることも指摘しています。本書が指摘するように、多くの宗教には軍事との関連でキリスト教と類似した問題があり、宗教は戦争において要因となり得るものの、宗教が戦争を必ず導く、ということではないのでしょう。
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