ドイツにおけるネアンデルタール人の人口変動

 これは7月23日分の記事として掲載しておきます。ドイツにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の人口変動に関する研究(Richter., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパにおける中部旧石器時代の遺跡は、ネアンデルタール人と関連づけられています。ネアンデルタール人の定義とも関わってくるので、判断の難しいところですが、ヨーロッパの中部旧石器時代の遺跡のなかには、ネアンデルタール人ではない系統の人類が担い手だったものもあるかもしれません。ただ、おおむねネアンデルタール人の所産と考えて大過はないだろう、と思います。本論文は、ドイツの既知の中部旧石器時代の居住遺跡を見直し、30万年前頃に始まるドイツの中部旧石器時代を海洋酸素同位体ステージ(MIS)により以下の4期に区分して整理し、ネアンデルタール人の人口変動を検証しています。

●MIS8~6(300000~121000年前頃)の前期(遺跡数45ヶ所)
●MIS5e(121000~110000年前頃)のエーミアン(Eemian)間氷期(遺跡数16ヶ所)
●MIS5d~5a(110000~70000年前頃)のヴァイヒゼリアン(Weichselian)前期氷期(遺跡数4ヶ所)
●MIS4~3(70000~43000年前頃、MIS3の後半は上部旧石器時代)の後期(遺跡数94ヶ所)

 中部旧石器時代のドイツには、継続して人類が存在していたわけではなく、寒冷期(MISでは奇数番号が温暖期、偶数番号が寒冷期となります)を中心に、人類が存在しなかった期間も長かった、と推測されています。たとえば、MIS 6の後半およびMIS 4には遺跡が確認されていません。MIS 4には、中央ヨーロッパに人類(当時ヨーロッパに存在した人類は、現時点ではネアンデルタール人しか確認されていません)が存在しなかったかもしれない、と指摘されています。上記区分の第4段階も、実質的にはMIS3(の前半)のみ(60000~43000年前頃)となります。

 本論文はこの変遷から、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返していたのではないか、と推測しています。また本論文は、遺跡数とその年代密度から、ドイツでは中部旧石器時代前期には人口密度が希薄で、後期にネアンデルタール人の人口が最大になった、との見解を提示しています。中部旧石器時代後期はさらに、ミコッキアン(Micoquian)の前半(ルヴァロワ技法が稀)と後半(ルヴァロワ技法を伴う)に区分され、ミコッキアン後半に多くの遺跡が見られる、と指摘されています。

 本論文が強調しているのは、ネアンデルタール人はこの最盛期のすぐ後に絶滅してしまった、ということです。ドイツでは、ミコッキアン後期の後にすぐ、較正年代で42000年前以降、上部旧石器文化のオーリナシアン(Aurignacian)が続き、ヨーロッパの他地域の一部でオーリナシアンの前に見られるプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)が見られません。こうしたネアンデルタール人の急速な絶滅(もっとも、絶滅したとはいっても、ネアンデルタール人のDNAは現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれませんが)に関しては、現生人類(Homo sapiens)のヨーロッパへの拡散との関連が想定されています。

 本論文は、ドイツにおける既知の中部旧石器時代の遺跡を再検証して整理し、この間の人口変動を推測しています。たいへん有益な労作だと思いますが、本論文でも指摘されているように、地域により遺跡調査の密度に違いがあることも考慮しなければなりません。ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類の「交替劇」には昔から多くの関心が寄せられており、今でも研究が盛んです。本論文は、この「交替劇」の研究にも貢献することになりそうで、その意味でも注目されます。


参考文献:
Richter J.(2016): Leave at the height of the party: A critical review of the Middle Paleolithic in Western Central Europe from its beginnings to its rapid decline. Quaternary International, 411, Part A, 107–128.
http://dx.doi.org/10.1016/j.quaint.2016.01.018

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