長沼正樹「考古学から見た人類活動の変化」

 これは7月20日分の記事として掲載しておきます。『現代思想』2016年5月号の特集「人類の起源と進化─プレ・ヒューマンへの想像力」に掲載された論文です。本論文は、考古学からの人類活動の変化を概観しています。本論文は、固定的な枠組みで石器文化の変遷を把握する危険性を指摘しています。ある石器文化とある人類種を固定的に結びつけるような見解や、技術・年代などといった点で世界的に同じように石器文化が変化していった、というような見解です。石器文化とその変化は各地で多様だった、と本論文は指摘しています。

 たとえば、ヨーロッパでは現生人類が在来のネアンデルタール人を置換していったさいに、石器文化にも明確な変化が見られます。もっとも、本論文も指摘するように、ヨーロッパでネアンデルタール人が絶滅し、現生人類が拡散していく中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期」において、どちらの人類が担い手なのか、不明な文化も見られます。一方、ユーラシア東部では、現生人類ではない系統の人類と、後に出現した現生人類との間で、共通する石器文化が見られることも珍しくありません。この理由として、現生人類の拡散元のアフリカから遠いユーラシア東部では、侵入集団たる現生人類が、在地の先住集団との交雑などといった交流を通じて、先住集団の文化を取り入れた可能性が指摘されています。

 本論文は、現生人類がこのように先住集団の文化を取り入れた可能性や、短期間で多様な地域に拡散した要因の候補として、人口を挙げています。高い人口密度を維持することの難しい狩猟技術段階では、一時的に人口が増えたとしても移住により人口密度は低く保たれただろう、と推測されています。また、この要因により、先住集団のいる地域への侵出が遅れたり、先住集団の人口密度がすでに一定以上の土地への移住が回避されたりしたかもしれない、とも指摘されています。現生人類のヨーロッパへの拡散がユーラシアの他地域、さらにはサフルランドより遅れたのだとしたら、人口密度が要因だったのかもしれません。現生人類のヨーロッパへの拡散は、48000年前頃のハインリッヒイベント(HE)5における寒冷化・乾燥化により、ネアンデルタール人が衰退したことで可能になったのかもしれません。


参考文献:
長沼正樹(2016)「考古学から見た人類活動の変化」『現代思想』第44巻10号P127-139(青土社)

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