門脇誠二「揺らぐ初期ホモ・サピエンス像 出アフリカ前後のアフリカと西アジアの考古記録から」

 これは7月17日分の記事として掲載しておきます。『現代思想』2016年5月号の特集「人類の起源と進化─プレ・ヒューマンへの想像力」に掲載された論文です。現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説が有力説とみなされるようになってから、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他系統の人類にたいする現生人類の優位を強調する見解が主流になってきたように思われます。この場合、とくに認知能力において現生人類と他系統の人類との違いが強調される傾向にあり、それ故に技術革新など行動面に違いが生じ、現生人類は繁栄した一歩で、他系統の人類は絶滅した、という説明になっています。

 しかし本論文は、現生人類の革新的行動として紹介される考古学的記録のほとんどが、アフリカでは後期石器時代、ユーラシア(西部)では上部旧石器時代となる5万~4万年前以降の一方で、現生人類の解剖学的特徴は20万~15万年前のアフリカで定着しつつあったと指摘し、5万年前以前の現生人類(初期現生人類)について、おもにネアンデルタール人を対象として他系統の人類と比較し、革新的な現生人類という評価を考古学的記録から検証しています。

 まず本論文は、初期現生人類とネアンデルタール人の考古学的記録を明確に区別することは容易ではない、と指摘しています。しかし、おもにアフリカでは、現生人類の所産と考えられる考古学的記録から、初期現生人類に一部とはいえ革新的行動である「現代人的行動」が散発的に出現していた、との見解も提示されています。この問題について本論文は、アフリカや西アジアの初期現生人類集団において後の「現代人的行動」もしくは現生人類に特有な能力や社会構造が形成されつつあった、とする見解(早期出現漸進説)と、そうした解釈に慎重な見解とを取り上げています。

 早期出現漸進説では、アフリカの中期石器時代や西アジアの中部旧石器時代における、組み合わせ道具・小型尖頭器・複雑な骨器・石材の広域分布・顔料やビーズなどが挙げられています。これらの要素がアフリカや西アジアでは漸進的・蓄積的に生じた、というわけです。早期出現漸進説では、こうした漸進的な技術・行動の革新により現生人類は他系統の人類にたいして優位に立ち、アフリカからの拡散と、拡散先での先住人類との置換につながった、と論じられます。

 しかし、そうした解釈に慎重な見解では、たとえばアフリカで見られる「現代人的行動」が継続する事例は限定的であり、後期石器時代・上部旧石器時代へと直接継承されるわけではない、ということが重視されます。また、ネアンデルタール人との比較で初期現生人類の行動が革新的とは言えない、との見解も提示されています。このように考古学的記録の解釈が定まらない理由として本論文は、調査密度や遺跡の保存状態の地域による違いなど、考古学的記録の多様性と不完全性を指摘しています。

 本論文は、現生人類の行動面における変化の説明の鍵となる、アフリカでは中期石器時代~後期石器時代、ユーラシアでは中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行について整理しています。アフリカでは、南部において中期石器時代の「現代人的行動」が後期石器時代まで継続せずに消滅した事例がほとんどなのにたいして、東部では中期石器時代後半から後期石器時代への継続性が認められる、と本論文は指摘します。また本論文は、ミトコンドリアDNAの解析から、非アフリカ系現代人の起源がアフリカ東部にあると推定されることからも、アフリカ東部における中期石器時代~後期石器時代の考古学的記録の連続性に注目しています。

 南アジアの細石器群に関しては、アフリカ東部との類似性が指摘されているので、アフリカ東部から初期現生人類が革新的技術を伴いユーラシアに拡散した、という見解と整合的に思われます。しかし本論文は、両者の直接的系譜関係を否定する見解も紹介し、南アジアの細石器群がアフリカ東部起源だと証明するには、表面的形態だけではなく製作技術も類似しているか、拡散元から拡散先に関して石器技術の出現年代がしだいに新しくなるような分布になっているか、拡散先の在来技術に由来しないか、明らかにする必要がある、と慎重な姿勢を示します。

 また本論文はこの問題と関連して、現生人類の出アフリカの時期についても論じています。これに関しては、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5期・MIS4期・5万年前以降という見解が提示されています。近年、東アジア南部の人類化石の証拠から、MIS5期にすでに現生人類が東アジアにまで進出していた、との見解も提示されています。そうだとすると、初期現生人類の拡散は、行動革新が原動力になったのではなく、好適環境などの自然条件に従う分布拡大だったかもしれない、と本論文は指摘しています。しかし本論文は、MIS5期に初期現生人類の早期拡散があったとしても、後の出アフリカが否定されるわけではない、とも指摘しています。

 西アジアにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行に関しては、中部旧石器時代においてネアンデルタール人と現生人類との行動の違いを考古学的記録から見出すことも可能かもしれないとしても、その差は微妙である、と指摘されています。西アジアの上部旧石器文化が原動力となり、現生人類はヨーロッパへと拡散した、との有力説は、考古学的記録からはまだ確証されていない、と慎重な姿勢が示されています。また、新たな石器技術がユーラシアで拡散するにあたって、地域により違いがあり、在来の技術が採用されたと考えられる事例もある、と指摘されています。

 本論文はこのように、アフリカと西アジアを中心に文化の大きな変化と現生人類の拡散を検証し、現生人類の革新行動が拡散および他系統の人類との置換の要因になった、とする有力説に慎重な姿勢を示しています。しかしそれは、現生人類がアフリカや西アジアから世界各地に拡散したことを否定するわけではなく、現生人類の拡散は文化の拡散として単純に表れるわけでない、と指摘されています。現生人類の拡散先の環境は多様だったので、拡散元の文化が拡散先に継承されているような事例は限られているかもしれず、現生人類の行動特性とは文化要素のリストで定義できるようなものではなく、「変動する状況や環境に応じて革新を生み出す才能や柔軟性」と言えるかもしれない、というわけです。

 著者の他の著書・論文をわりと読んできたので、本論文の見解はとくに意外ではなかったのですが、これまでの著者の見解を改めて整理することができたので、私にとっては有益でした。このブログで取り上げた著者の他の著書・論文は、以下の通りです。


「アフリカの中期・後期石器時代の編年と初期ホモ・サピエンスの文化変化に関する予備的考察」
https://sicambre.seesaa.net/article/201411article_29.html

「アフリカと西アジアの旧石器文化編年からみた現代人的行動の出現パターン」
https://sicambre.seesaa.net/article/201311article_21.html

『ホモ・サピエンスの起源とアフリカの石器時代 ムトングウェ遺跡の再評価』
https://sicambre.seesaa.net/article/201412article_9.html

「ホモ・サピエンス拡散期の東アフリカにおける石器文化」
https://sicambre.seesaa.net/article/201408article_33.html

「ホモ・サピエンスの学習行動─アフリカと西アジアの考古記録に基づく考察─」
https://sicambre.seesaa.net/article/201501article_23.html

「ホモ・サピエンスの地理分布拡大に伴う考古文化の出現パターン―北アフリカ・西アジア・ヨーロッパの事例―」
https://sicambre.seesaa.net/article/201504article_23.html

前期アハマリアンの多様性とプロトオーリナシアンの起源
https://sicambre.seesaa.net/article/201504article_33.html

「交替劇と学習仮説に関わるアフリカと西アジアの考古学研究:総括と展望」
https://sicambre.seesaa.net/article/201508article_14.html


参考文献:
門脇誠二(2016)「揺らぐ初期ホモ・サピエンス像 出アフリカ前後のアフリカと西アジアの考古記録から」『現代思想』第44巻10号P112-126(青土社)

この記事へのコメント

kurozee
2016年07月16日 18:11
"現生人類の行動特性とは文化要素のリストで定義できるようなものではなく、「変動する状況や環境に応じて革新を生み出す才能や柔軟性」と言えるかもしれない"という門脇誠二氏のまとめに同感。
この『現代思想』の特集にある諏訪元氏と山極、寿一氏の対談(プレ・ヒューマンへの想像力は何をもたらすか)とともに、私にとって最近では最も肚に落ちた論考でした。
2016年07月17日 20:52
この特集号のなかでも、門脇氏の論文と諏訪氏・山極氏の対談はとくによかったと思います。この特集号については、この後何回か取り上げる予定です。

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