早期新石器時代のザグロス地域の住民のゲノム解析
早期新石器時代のザグロス地域の住民のゲノム解析結果を報告した研究(Broushaki et al., 2016)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。いわゆる肥沃な三日月地帯は、世界で最初に農耕が始まった可能性が高いとされる地域です。この肥沃な三日月地帯の東端はイランのザグロス地域、西端はレヴァントとなります。この研究は、イランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民のゲノムを解析し、旧石器時代や新石器時代の人々および現代人のゲノムと比較しています。
ゲノム解析されたイランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民は、1人がウェズメー洞窟(Wezmeh Cave)で発見された9000年前頃の人骨で、3人がテペアブドゥルホサイン(Tepe Abdul Hosein)遺跡の1万年前頃の人骨です。ウェズメー洞窟の人骨の方が高精度な配列を得られましたが、テペアブドゥルホサイン遺跡の3体も、古代および現代のゲノム解析された個体と比較できるだけの配列が得られました。この4人の歯の同位体分析から、その食性がおもに穀類だったことが明らかになり、この4人が農耕民だったことを示しています。
ゲノム解析・比較の結果、イランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民は、早期新石器時代人との比較ではアナトリアの住民と大きく異なっており、現代人との比較ではパキスタンおよびアフガニスタンの地域集団と類似し、とくに類似しているのはイランのゾロアスター教徒であることが明らかになりました。イランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民の系統は、早期新石器時代のアナトリア人の系統と77000~46000年前頃に分岐した、と推定されています。
また、レヴァントの早期新石器時代の農耕民は、イランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民とも、アナトリアの早期新石器時代の農耕民とも遺伝的に異なっていることが明らかになりました。ヨーロッパの最初期の農耕民は、ゲノム解析の結果から、西アナトリアに唯一の起源があると推測されています。こうしたゲノム解析の比較結果から、アナトリアの初期農耕民はヨーロッパへ、レヴァントの初期農耕民はアフリカ東部へ、ザグロス地域の初期農耕民はユーラシアの草原地帯と南アジアへ拡散した、と考えられています。ザグロス地域の初期農耕民は、ヨーロッパの最初期の農耕民や現代人の(少なくとも主要な)祖先ではなかったものの、肥沃な三日月地帯から東方へと進出した集団の主要な起源になったのではないか、というわけです。
このように、世界で最初に農耕が始まったとされる肥沃な三日月地帯の初期農耕民は、遺伝的に多様だったようです。栽培化した穀類と道具が異なることからも、肥沃な三日月地帯では農耕が複数の地域で独自に始まったのではないか、との見解が提示されています。しかし、この地域で黒曜石が広く流通していたことから、農耕の知識が共有された可能性もあるとして、新しい種類の調理道具が最初にレヴァントで出現することから、レヴァントからザグロス地域に農耕が広まったのだろう、との見解も提示されています。西アジアにおける農耕の始まりとその担い手については、今後も考古学と遺伝学の共同研究の進展が期待されます。
参考文献:
Broushaki F. et al.(2016): Early Neolithic genomes from the eastern Fertile Crescent. Science, 353, 6298, 499-503.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aaf7943
ゲノム解析されたイランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民は、1人がウェズメー洞窟(Wezmeh Cave)で発見された9000年前頃の人骨で、3人がテペアブドゥルホサイン(Tepe Abdul Hosein)遺跡の1万年前頃の人骨です。ウェズメー洞窟の人骨の方が高精度な配列を得られましたが、テペアブドゥルホサイン遺跡の3体も、古代および現代のゲノム解析された個体と比較できるだけの配列が得られました。この4人の歯の同位体分析から、その食性がおもに穀類だったことが明らかになり、この4人が農耕民だったことを示しています。
ゲノム解析・比較の結果、イランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民は、早期新石器時代人との比較ではアナトリアの住民と大きく異なっており、現代人との比較ではパキスタンおよびアフガニスタンの地域集団と類似し、とくに類似しているのはイランのゾロアスター教徒であることが明らかになりました。イランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民の系統は、早期新石器時代のアナトリア人の系統と77000~46000年前頃に分岐した、と推定されています。
また、レヴァントの早期新石器時代の農耕民は、イランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民とも、アナトリアの早期新石器時代の農耕民とも遺伝的に異なっていることが明らかになりました。ヨーロッパの最初期の農耕民は、ゲノム解析の結果から、西アナトリアに唯一の起源があると推測されています。こうしたゲノム解析の比較結果から、アナトリアの初期農耕民はヨーロッパへ、レヴァントの初期農耕民はアフリカ東部へ、ザグロス地域の初期農耕民はユーラシアの草原地帯と南アジアへ拡散した、と考えられています。ザグロス地域の初期農耕民は、ヨーロッパの最初期の農耕民や現代人の(少なくとも主要な)祖先ではなかったものの、肥沃な三日月地帯から東方へと進出した集団の主要な起源になったのではないか、というわけです。
このように、世界で最初に農耕が始まったとされる肥沃な三日月地帯の初期農耕民は、遺伝的に多様だったようです。栽培化した穀類と道具が異なることからも、肥沃な三日月地帯では農耕が複数の地域で独自に始まったのではないか、との見解が提示されています。しかし、この地域で黒曜石が広く流通していたことから、農耕の知識が共有された可能性もあるとして、新しい種類の調理道具が最初にレヴァントで出現することから、レヴァントからザグロス地域に農耕が広まったのだろう、との見解も提示されています。西アジアにおける農耕の始まりとその担い手については、今後も考古学と遺伝学の共同研究の進展が期待されます。
参考文献:
Broushaki F. et al.(2016): Early Neolithic genomes from the eastern Fertile Crescent. Science, 353, 6298, 499-503.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aaf7943
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