中国での発見が書き換える人類史
中国を中心にアジアにおいて近年発見された人類化石の意義についての解説(Qiu., 2016)が公表されました。この解説で指摘されているのが、ホモ属の進化の研究において、アジアの東部が軽視されてきた、ということです。確かに、この解説で指摘されているように、人類進化の研究(に限らず近代の学問が全般的にそうなのですが)が西洋の研究者の主導により進められたことは否定できず、そこでは、アジア東部よりもヨーロッパ・アフリカ・西アジアが重視されてきた傾向は否めません。そうした傾向は現在でも解消されたとは言い難く、東アジア、とくに中国の研究者たちは、それに強い不満を抱いているようです。
近年までわりと有力だったホモ属進化の仮説は次のようなものです。異論の余地のない最初のホモ属であるエレクトス(Homo erectus)はアフリカで180万年前頃までには出現してユーラシアへと拡散し、東南アジアや東アジアにまで進出しました。その後、60万年前頃までにハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)がアフリカで出現し、ユーラシアへと拡散してネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などへと進化しました。アフリカのハイデルベルゲンシスの子孫は20万年前頃までにアフリカで現生人類へと進化し、6万年前頃にアフリカから世界各地へと拡散していき、ネアンデルタール人などユーラシアの先住人類と交雑することなく、置換していきました。
6年前以降は上記の見解が一部修正され、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類は、ネアンデルタール人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)といった先住人類とわずかながら交雑した、と考えられています。しかし、おもに中国を中心とした一部の研究者たちは、東アジアの900000~125000年前頃の人類化石にはエレクトスと現生人類との中間的な特徴が見られると主張し、そうしたアフリカ起源説に疑問を呈しています。
たとえば、中国の湖北省鄖県(Yunxian)で発見された人類化石は90万年前頃とされており、ハイデルベルゲンシスはアジア起源かもしれない、との見解も提示されています。もっとも、中国の古生物学者も含む多くの研究者たちは、中国の化石はヨーロッパやアフリカのハイデルベルゲンシスとは異なる、と強く主張しています。また、中国の陝西省大茘(Dali)で発見された25万年前頃のほぼ完全な頭蓋は、ハイデルベルゲンシスより「進歩的」とも評価されています。
こうした「過渡的な」化石群は、東アジアにおけるエレクトスから現代人までの継続的進化を示している、と中国を中心とした一部の研究者たちは主張しています。これは、現生人類の多地域進化説もしくは交雑を伴う継続説として知られており、東アジアのエレクトスの子孫はアフリカやユーラシアの他地域から拡散してきた集団と交雑し、現代東アジア人の子孫になった、とされます。その考古学的証拠として、ヨーロッパとアフリカでは石器は顕著に変わったものの、東アジアの人類は170万~1万年前頃まで同じタイプの単純な石器を使用していたことが挙げられています。ただ、石器技術の連続性が人類集団の遺伝的連続性を意味すると言えるのか、疑問が残ります。
こうした東アジアにおける人類進化の連続性を主張する見解の背景には中国のナショナリズムがある、との見解も提示されています。中国の研究者たちはそうした見解を否定していますが、遺伝学の諸研究はエレクトスから現代東アジア人への連続性を否定している、と指摘されています。もっとも、東アジアの「過渡的な」化石人類からのDNA解析がまだ成功していないため、その証拠が検出されていないだけだ、との反論も提示されています。
こうした東アジアの「過渡的な」人類化石群については、交雑を伴う継続性を想定せずに説明可能だ、とも指摘されています。たとえば中国南東部の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)で発見された人骨(下顎骨の前部と2個の臼歯)は、12万~8万年前頃という現生人類のアフリカからの早期の拡散を反映しているのかもしれない、というわけです(関連記事)。中国の湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)で発見された47個の人間の歯からも、東アジア南部に12万~8万年前頃に現生人類が拡散した可能性が想定されています(関連記事)。こうした東アジアの初期現生人類は、アジアも含むアフリカからの拡散経路で古代型人類と交雑し、祖先的な特徴を有することになったのかもしれない、と指摘されています。
こうした東アジアの「過渡的な」人類化石群はデニソワ人に区分されるかもしれない、との見解も提示されています。また、歯の分析からは、180万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した人類が現生人類の起源になった、との見解も提示されています。その子孫集団は西アジアに定着して、ある集団は東南アジアへ拡散し、別の集団はネアンデルタール人とデニソワ人へと分岐していき、第三の集団がアフリカに戻って現生人類へと進化し、後に世界へと拡散した、というわけです。このモデルでは、現生人類はアフリカで進化したものの、その直近の祖先は西アジアで進化したことになります。
ホモ属の進化について、現時点ではあまりにも証拠が少ないので、確定的な見解を提示することはとてもできません。これまで、ホモ属の進化について東アジアが軽視されてきた傾向は否定できませんから、東アジアの証拠も重視した新たなホモ属の進化像を提示する必要はあると思います。しかし、東アジアにおけるエレクトスから現代人にいたるまでの継続的な進化というような見解には、やはりナショナリズムを背景とする歪みがあるのではないか、と考えたくなります。
ホモ属の進化については今後も議論が続くでしょうが、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先とされるハイデルベルゲンシスの位置づけが鍵の一つとなりそうです(関連記事)。ハイデルベルゲンシスの正基準標本とされているマウエル(Mauer)の下顎骨については、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先と考えるにはあまりにも特殊化している、との見解が提示されています(関連記事)。中期更新世のアフリカやユーラシアにおけるエレクトスよりも派生的な人骨群をハイデルベルゲンシスと便宜的に分類する傾向があるように思われますが、見直しが必要になってくると思われます。
参考文献:
Qiu J.(2016): How China is rewriting the book on human origins. Nature, 535, 7611, 22–25.
http://dx.doi.org/10.1038/535218a
近年までわりと有力だったホモ属進化の仮説は次のようなものです。異論の余地のない最初のホモ属であるエレクトス(Homo erectus)はアフリカで180万年前頃までには出現してユーラシアへと拡散し、東南アジアや東アジアにまで進出しました。その後、60万年前頃までにハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)がアフリカで出現し、ユーラシアへと拡散してネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などへと進化しました。アフリカのハイデルベルゲンシスの子孫は20万年前頃までにアフリカで現生人類へと進化し、6万年前頃にアフリカから世界各地へと拡散していき、ネアンデルタール人などユーラシアの先住人類と交雑することなく、置換していきました。
6年前以降は上記の見解が一部修正され、アフリカからユーラシアへと拡散した現生人類は、ネアンデルタール人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)といった先住人類とわずかながら交雑した、と考えられています。しかし、おもに中国を中心とした一部の研究者たちは、東アジアの900000~125000年前頃の人類化石にはエレクトスと現生人類との中間的な特徴が見られると主張し、そうしたアフリカ起源説に疑問を呈しています。
たとえば、中国の湖北省鄖県(Yunxian)で発見された人類化石は90万年前頃とされており、ハイデルベルゲンシスはアジア起源かもしれない、との見解も提示されています。もっとも、中国の古生物学者も含む多くの研究者たちは、中国の化石はヨーロッパやアフリカのハイデルベルゲンシスとは異なる、と強く主張しています。また、中国の陝西省大茘(Dali)で発見された25万年前頃のほぼ完全な頭蓋は、ハイデルベルゲンシスより「進歩的」とも評価されています。
こうした「過渡的な」化石群は、東アジアにおけるエレクトスから現代人までの継続的進化を示している、と中国を中心とした一部の研究者たちは主張しています。これは、現生人類の多地域進化説もしくは交雑を伴う継続説として知られており、東アジアのエレクトスの子孫はアフリカやユーラシアの他地域から拡散してきた集団と交雑し、現代東アジア人の子孫になった、とされます。その考古学的証拠として、ヨーロッパとアフリカでは石器は顕著に変わったものの、東アジアの人類は170万~1万年前頃まで同じタイプの単純な石器を使用していたことが挙げられています。ただ、石器技術の連続性が人類集団の遺伝的連続性を意味すると言えるのか、疑問が残ります。
こうした東アジアにおける人類進化の連続性を主張する見解の背景には中国のナショナリズムがある、との見解も提示されています。中国の研究者たちはそうした見解を否定していますが、遺伝学の諸研究はエレクトスから現代東アジア人への連続性を否定している、と指摘されています。もっとも、東アジアの「過渡的な」化石人類からのDNA解析がまだ成功していないため、その証拠が検出されていないだけだ、との反論も提示されています。
こうした東アジアの「過渡的な」人類化石群については、交雑を伴う継続性を想定せずに説明可能だ、とも指摘されています。たとえば中国南東部の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)で発見された人骨(下顎骨の前部と2個の臼歯)は、12万~8万年前頃という現生人類のアフリカからの早期の拡散を反映しているのかもしれない、というわけです(関連記事)。中国の湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)で発見された47個の人間の歯からも、東アジア南部に12万~8万年前頃に現生人類が拡散した可能性が想定されています(関連記事)。こうした東アジアの初期現生人類は、アジアも含むアフリカからの拡散経路で古代型人類と交雑し、祖先的な特徴を有することになったのかもしれない、と指摘されています。
こうした東アジアの「過渡的な」人類化石群はデニソワ人に区分されるかもしれない、との見解も提示されています。また、歯の分析からは、180万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した人類が現生人類の起源になった、との見解も提示されています。その子孫集団は西アジアに定着して、ある集団は東南アジアへ拡散し、別の集団はネアンデルタール人とデニソワ人へと分岐していき、第三の集団がアフリカに戻って現生人類へと進化し、後に世界へと拡散した、というわけです。このモデルでは、現生人類はアフリカで進化したものの、その直近の祖先は西アジアで進化したことになります。
ホモ属の進化について、現時点ではあまりにも証拠が少ないので、確定的な見解を提示することはとてもできません。これまで、ホモ属の進化について東アジアが軽視されてきた傾向は否定できませんから、東アジアの証拠も重視した新たなホモ属の進化像を提示する必要はあると思います。しかし、東アジアにおけるエレクトスから現代人にいたるまでの継続的な進化というような見解には、やはりナショナリズムを背景とする歪みがあるのではないか、と考えたくなります。
ホモ属の進化については今後も議論が続くでしょうが、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先とされるハイデルベルゲンシスの位置づけが鍵の一つとなりそうです(関連記事)。ハイデルベルゲンシスの正基準標本とされているマウエル(Mauer)の下顎骨については、ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先と考えるにはあまりにも特殊化している、との見解が提示されています(関連記事)。中期更新世のアフリカやユーラシアにおけるエレクトスよりも派生的な人骨群をハイデルベルゲンシスと便宜的に分類する傾向があるように思われますが、見直しが必要になってくると思われます。
参考文献:
Qiu J.(2016): How China is rewriting the book on human origins. Nature, 535, 7611, 22–25.
http://dx.doi.org/10.1038/535218a
この記事へのコメント
しかし近年、旧人との交雑や、出アフリカの複雑な様相を伺わせる発見があいつぎ、それほど単純な状況ではなかったという印象が日に日に強まっています。
従来は、発掘が進んだ西欧などを中心とした仮説が主流でしたが、アジアをはじめ、まだほとんど手付かずといってもよい幅広い地域の発掘が進めば、今後なにが出てくるかわからないぞという気にもなります。
確かに中国のナショナリズムに影響された多地域進化説をまるごと信じるのはばかげていると思いますが、アジアなどはそれに近い状況もありえたかもしれないという留保は必要ではないかと思い始めてはいます。
まあ、多地域進化説の当初の想定とはかなり異なるのも確かで、あえて多地域進化説を弁護するとしても、新多地域進化説の復権と言うべきかもしれませんが。