150万年前頃の人類の足跡と社会構造

 150万年前頃の人類の足跡に関する研究(Hatala et al., 2016)が報道されました。本論文が取り上げているのは、2009年にケニアのイレレット(Ileret)で発見された150万年前頃の人類の足跡群です。この足跡群についてはすでに、アーチ構造・母趾が他の指と直線を成していること・踵から母指球や母趾へと体重を移動させるさいの歩き方などから、現生人類(Homo sapiens)の歩行形態のあらゆる特徴が現れていた、との見解が提示されています(関連記事)。本論文でも改めて、この足跡群を残した人類と現生人類との歩行形態の類似性が指摘されています。

 習慣的な直立二足歩行は人類系統を定義する重要な特徴とされていますが、直立二足歩行を示唆する人類(候補の)化石は700万年前頃までさかのぼるものの、化石記録が稀で断片的なことから、歩行形態の進化については曖昧でした。そのため、イレレットの足跡は貴重な事例と言えます。タンザニアのラエトリ(Laetoli)ではアウストラロピテクス属が残したと思われる375万年前頃の足跡が発見されていますが、現生人類との違いが見られます。現時点では、イレレットの足跡群が現生人類のような歩行形態の最古の事例と言えそうです。本論文では、この足跡を残したのはホモ属で、エレクトス(Homo erectus)だろう、との見解が提示されています。

 イレレットでは97個の足跡が確認されており、少なくとも20人の個体が残した、と判断されています。注目されるのは、サイズの分析などから、複数の男性が存在した可能性が最も高い、と指摘されていることです。本論文は、当時のエレクトス集団には男性間の協力が存在したのではないか、との見解を提示しています。男性間の協力は人類だけではなく他の一部の現生霊長類にも見られますが、現生人類と他の現生霊長類を区分するような社会構造および行動の基礎になっているのではないか、と考えられています。そのような男性間の協力が、すでに150万年前頃のエレクトスに存在するとしたら、現生人類のような社会構造および行動の少なくとも一部は、その時点でエレクトスに存在した可能性が高そうです。

 また、他の動物の足跡との比較から、エレクトスは水辺沿いに移動したのにたいして、他の動物は水辺へと移動したりそこから離れたりしたのではないか、と指摘されています。他の動物は水を求めてこの付近を移動していたのにたいして、エレクトスは水辺で狩猟も含む何らかの食料獲得行動に従事していたのではないか、というわけです。遺跡上層の足跡群はほぼ全員男性のものである可能性も指摘されています。現生人類の狩猟採集民では、大きな収穫が期待できるものの、危険性が高く成功率の低い狩猟を男性が、より安定的な採集を女性が担う傾向にあります。そのため、この時点でエレクトス集団にそのような性的分業が存在した可能性が提示されています。ただ、チンパンジーのように、縄張りの境界を警戒するさいに、おもに男性で集団を組んだことなど、他の可能性も排除できない、とも指摘されています。人類の歩行形態の進化だけではなく、人類の社会構造および行動についての理解の手がかりになるかもしれないという意味で、イレレットの足跡群についての研究は今後も注目されます。


参考文献:
Hatala KG. et al.(2016): Footprints reveal direct evidence of group behavior and locomotion in Homo erectus. Scientific Reports, 6, 28776.
http://dx.doi.org/10.1038/srep28766

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