中期鮮新世の人類の多様性

 中期鮮新世の人類の多様性に関する研究(Haile-Selassie et al., 2016)が報道されました。本論文は、390万年前以前の初期人類についても概観しつつ、おもに中期鮮新世となる380万~330万年前頃の人類の多様性を検証しています。この時期の人類としては、タンザニアやエチオピアで発見されたアウストラロピテクス属のアファレンシス(Australopithecus afarensis)がよく知られており、長い間、アファレンシスがこの時期の唯一の人類種だった、と考えられてきました。

 しかし、1990年代半ば以降、アファレンシスとは異なると主張されたこの時期の人類化石が相次いで報告されています。たとえば、同じアウストラロピテクス属ではチャドで発見されたバーレルガザリ(Australopithecus bahrelghazali)が、アウストラロピテクス属とは異なるケニアントロプス属として、ケニアで発見されたプラティオプス(Kenyanthropus platyops)が報告されています。しかし、これらの化石については、アファレンシスの地域的変異ではないか、との疑問も根強く、広く新種として受け入れられているとは言い難い状況でした。ただ本論文は、プラティオプスに関しては、その上顎がアファレンシスとは異なるという分析があることから、新種説が妥当だと指摘しています。

 この2種に関してはまだ異論もあるものの、本論文の筆頭著者自身も関わった研究から、380万~330万年前頃のアフリカ東部に複数の人類種が存在したことは確実だ、と本論文では主張されています。その一つが、エチオピアで発見された350万~330万年前頃のアウストラロピテクス属化石で、新種デイレメダ(Australopithecus deyiremeda)と分類されました(関連記事)。もう一つは、デイレメダの近くで発見された340万~330万年前頃の人類化石(BRT-VP-2/73)です(関連記事)。この人類化石は歩行形態がアファレンシスとは異なっているので、複数の人類種が存在した決定的な証拠とされています。この化石はデイレメダに分類される可能性もあるのですが、現時点では決定的証拠がないため種区分は未定です。

 本論文はこうした複数の人類化石の発見から、中期鮮新世のアフリカ東部(~中部)には複数の人類種が存在したことは確実だ、との見解を提示しています。しかし一方で本論文は、これらの新たに発見された化石が人類進化の知見を深めたことは確かであるにしても、新たな問題を提起したことも認めています。それは、これら複数の人類種がどのように共存していたのか、という問題です。上述したように、「BRT-VP-2/73」はアファレンシスとは異なる歩行形態だったと考えられます。また、これら複数の人類種の間では食性が異なっていた可能性も考えられます。それが、異なる生態的地位となり、共存を可能としたのかもしれません。

 なお、本論文の主要な検証対象は中期鮮新世のアフリカ東部であり、アフリカ中央部も含まれます。アフリカ南部は基本的に検証対象外なので、367万年前頃と主張されている、南アフリカ共和国で発見されたアウストラロピテクス属化石(関連記事)については言及されていません。この化石をアウストラロピテクス属の新種プロメテウス(Australopithecus prometheus)と分類しようとする見解もあります。この人類化石の正確な位置づけはまだ曖昧ですが、アフリカ南部も含めて、中期鮮新世のアフリカの人類はすでに多様だった可能性が高いようです。


参考文献:
Haile-Selassie Y, Melillo SM, and Su DF.(2016): The Pliocene hominin diversity conundrum: Do more fossils mean less clarity? PNAS, 113, 23, 6364–6371.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1521266113

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