ネアンデルタール人による洞窟深部の建造物(追記有)
176000年前頃の洞窟深部の建造物についての研究(Jaubert et al., 2016)が報道されました。ナショナルジオグラフィックでも報道されています。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されており、『サイエンス』のサイトにも解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究が取り上げているのは、南西フランスのブルニケル洞窟(Bruniquel Cave)で発見された、切り取られた石筍で作られた環状の建築物です。
ブルニケル洞窟の入口から336mの地点に、約400個の似たサイズ(約40cm)の切り取られた石筍が規則的に配置されており、二つの楕円を形成しています。大きい方の楕円は長さ6.7mになります。規則的に配置された石筍の総重量は2.2tと推定されています。こうした特徴から、この環状の石の構造は人為的なものだと判断されました。この環状構造には共伴する人工物がないので、どの人類系統が作ったのか、判断が難しくなっています。
そこで、現時点では推定年代から判断するしかないのですが、共伴した焼けた動物の骨は、放射性炭素年代測定法の限界年代を超えていたため、新しくても5万年以上前と推測されます。石筍に付着した方解石のウラン系列年代から、この環状の石の構造の年代は176500±2100年前と推定されました。この時代の西ヨーロッパの人類は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)しか確認されていないので、この環状の石の構造を作ったのはネアンデルタール人だろう、とこの研究は判断しています。
この環状の石の構造はブルニケル洞窟の入口から336mの地点にあるので、自然光は入ってきません。そのため、ネアンデルタール人は狭い通路を何らかの明かりを灯して歩いて行った、と考えられます。似たようなサイズの約400個の石から構成される総重量2.2tの人工物を洞窟深部で作るとなると、かなりの労力を要したと推測されます。また、ネアンデルタール人が地下環境をよく理解していた、とも考えられます。そうしたことからこの研究は、ネアンデルタール人はじゅうらい考えられていたよりも複雑な水準の社会構成を有していたのではないか、と指摘しています。
この環状の石の構造がどのような目的で作られたのか、現時点では判断が難しく、将来の研究に委ねられる、とこの研究は指摘しています。この研究が想定しているのは、象徴的・儀式的な行為の場所だったという可能性と、生活の場もしくは単なる避難所だったという可能性です。焼けた痕跡のある石が発見されているため、ここで調理が行なわれた可能性が想定されていますが、それは儀式の場所でも、日常生活もしくは一時的な待避所であっても行なわれ得ることです。今後、ブルニケル洞窟の調査の進展と、同時代の類似した事例の発見が期待されます。
参考文献:
Jaubert J. et al.(2016): Early Neanderthal constructions deep in Bruniquel Cave in southwestern France. Nature, 534, 7605, 111–114.
http://dx.doi.org/10.1038/nature18291
追記(2016年6月2日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
考古学:フランス南西部ブルニケル洞窟の奥にある初期ネアンデルタール人の構築物
考古学:ネアンデルタール人が作った古代の石筍サークル
ネアンデルタール人は現生人類に最も近縁な絶滅ヒト族だが、その文化生活に関して分かっていることは極めて少なく、最も初期のネアンデルタール人のものに関してはほぼ皆無である。フランス南西部のブルニケル洞窟は、更新世に入り口が自然に閉じてから1990年に発見されるまで誰も立ち入っていなかった。今回J Jaubertたちは、ブルニケル洞窟の奥にある、折れた石筍片が低い壁を作るように積み重ねられている2つの環状構造物について報告し、その年代を明らかにしている。それらの構造物は、洞窟の入り口から336 mの所にあり、大きい方は直径5 mを超えていて、人為活動によるものであることを物語っている。また、その測定年代は約17万6000年前であることから、初期ネアンデルタール人の存在した年代の範囲内となり、これらの構造物は人類が製作した年代の明らかなものとして最古級のものとなる。石筍群に伴って火をたいた痕跡が見つかっているが、これらの構造物の機能については今のところ推測の域を出ない。
ブルニケル洞窟の入口から336mの地点に、約400個の似たサイズ(約40cm)の切り取られた石筍が規則的に配置されており、二つの楕円を形成しています。大きい方の楕円は長さ6.7mになります。規則的に配置された石筍の総重量は2.2tと推定されています。こうした特徴から、この環状の石の構造は人為的なものだと判断されました。この環状構造には共伴する人工物がないので、どの人類系統が作ったのか、判断が難しくなっています。
そこで、現時点では推定年代から判断するしかないのですが、共伴した焼けた動物の骨は、放射性炭素年代測定法の限界年代を超えていたため、新しくても5万年以上前と推測されます。石筍に付着した方解石のウラン系列年代から、この環状の石の構造の年代は176500±2100年前と推定されました。この時代の西ヨーロッパの人類は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)しか確認されていないので、この環状の石の構造を作ったのはネアンデルタール人だろう、とこの研究は判断しています。
この環状の石の構造はブルニケル洞窟の入口から336mの地点にあるので、自然光は入ってきません。そのため、ネアンデルタール人は狭い通路を何らかの明かりを灯して歩いて行った、と考えられます。似たようなサイズの約400個の石から構成される総重量2.2tの人工物を洞窟深部で作るとなると、かなりの労力を要したと推測されます。また、ネアンデルタール人が地下環境をよく理解していた、とも考えられます。そうしたことからこの研究は、ネアンデルタール人はじゅうらい考えられていたよりも複雑な水準の社会構成を有していたのではないか、と指摘しています。
この環状の石の構造がどのような目的で作られたのか、現時点では判断が難しく、将来の研究に委ねられる、とこの研究は指摘しています。この研究が想定しているのは、象徴的・儀式的な行為の場所だったという可能性と、生活の場もしくは単なる避難所だったという可能性です。焼けた痕跡のある石が発見されているため、ここで調理が行なわれた可能性が想定されていますが、それは儀式の場所でも、日常生活もしくは一時的な待避所であっても行なわれ得ることです。今後、ブルニケル洞窟の調査の進展と、同時代の類似した事例の発見が期待されます。
参考文献:
Jaubert J. et al.(2016): Early Neanderthal constructions deep in Bruniquel Cave in southwestern France. Nature, 534, 7605, 111–114.
http://dx.doi.org/10.1038/nature18291
追記(2016年6月2日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
考古学:フランス南西部ブルニケル洞窟の奥にある初期ネアンデルタール人の構築物
考古学:ネアンデルタール人が作った古代の石筍サークル
ネアンデルタール人は現生人類に最も近縁な絶滅ヒト族だが、その文化生活に関して分かっていることは極めて少なく、最も初期のネアンデルタール人のものに関してはほぼ皆無である。フランス南西部のブルニケル洞窟は、更新世に入り口が自然に閉じてから1990年に発見されるまで誰も立ち入っていなかった。今回J Jaubertたちは、ブルニケル洞窟の奥にある、折れた石筍片が低い壁を作るように積み重ねられている2つの環状構造物について報告し、その年代を明らかにしている。それらの構造物は、洞窟の入り口から336 mの所にあり、大きい方は直径5 mを超えていて、人為活動によるものであることを物語っている。また、その測定年代は約17万6000年前であることから、初期ネアンデルタール人の存在した年代の範囲内となり、これらの構造物は人類が製作した年代の明らかなものとして最古級のものとなる。石筍群に伴って火をたいた痕跡が見つかっているが、これらの構造物の機能については今のところ推測の域を出ない。
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