『天智と天武~新説・日本書紀~』第89話「怨霊封じの条件」
これは5月26日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2016年6月10日号掲載分の感想です。前回は、光明皇后(安宿媛)が投獄された行信を訪れるところで終了しました。今回は、光明皇后が行信に、夫である聖武天皇(首皇子)の具合がよくない、と言って助けを求める場面から始まります。災いが続くのは蘇我入鹿の祟りのためだと行信から聞いて10年になり、行信の指示通りあらゆる手を尽くしたものの、祟りは治まらなかった、と光明皇后が行信に訴えると、だから自分はその責任をとって投獄されたのだ、と行信は言います。
それ故に我々は行信とき違うやり方で祟りを鎮めようとしたのだ、と光明皇后は言います。光明皇后の実家の藤原氏はかなりの俸禄を返上し、そのうちのいくらかを国分寺の仏像造りに充て、聖武天皇は何度も遷都して祟りから逃れようとしました。それにも関わらず、聖武天皇は心と身体を病んだままで、新たに薬師寺を建てたが効果はない、と光明皇后は言います。すると行信は、大仏があるではないか、と指摘します。しかし光明皇后は、大仏の完成まで急がせても7~8年はかかるだろうから、その前に聖武天皇が崩御するかもしれない、と率直に不安を打ち明けます。
行信は光明皇后に、なぜ自分に助けを求めてきたのか、と問いかけます。すると光明皇后は、行信が投獄される直前、想像を超える怨霊の力にどう対処するのか、聖武天皇に問うたからだ、と答えます。次の手も考えずに、聖武天皇にそんなことを問いかけないだろう、というわけです。そうかもしれない、と行信が答えたため、光明皇后は喜びますが、行信は直ちに怨霊を封じる策を言わず、光明皇后の置かれた状況を指摘します。
光明皇后と聖武天皇の間には皇女が一人いますが、男子はいないので(一人いたのですが、夭折しました)、権力を手中にした藤原氏の出身でも心細い限りだろう、心配なのは夫である聖武天皇の身体だけではないはずだ、と行信は光明皇后に指摘します。怒る光明皇后にたいして、怨霊封じの手立ては一つ残っているが、禁じ手とも言える危険な方法であり、一歩間違えれば自分は祟り殺される、と行信は説明します。命を懸けての最終手段なので、うわべだけの言葉では引き受けられない、きれいごとを並べるのならば、大僧上の行基にでも頼むとよい、と行信は光明皇后にやや突き放したように言います。
光明皇后は覚悟を決めたのか、行信に本心を打ち明けます。聖武天皇が崩御したら自分の立場が危うく、父(藤原不比等)と兄たちが亡くなり、甥の広嗣が反乱を起こしたため、藤原氏の権威はかなり弱くなってしまったから、この状況で聖武天皇の後ろ盾を失うわけにはいかない、というわけです。すると行信は、状況さえ味方するなら、聖武天皇の後ろ盾などなくても構わないということなのか、と光明皇后に問いかけます。光明皇后は興奮し、そんなことは言っていない、自分はただ祟りを退け、不安を除きたいだけだ、偽りを言っているわけではない、と答えます。行信は光明皇后が本心を打ち明けたと判断したのか、怨霊封じを引き受けることにしますが、怨霊は強力なので、祟りが治まらない場合はご容赦願いたい、と光明皇后に念押しします。
しぶしぶ認める光明皇后にたいして、この先の不安を確実に解消できる手がある、と行信は進言します。それは、この時点で光明皇后にとって唯一存命中の子供である阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)を皇太子として、その後に即位させる、というものでした。この時点では747年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)のようですが、通説では阿倍内親王の立太子はその10年近く前のことです。この創作意図については、今回はよく分かりませんでした。聖武天皇の先代の元正天皇も女性だった、と指摘する行信にたいして、元正天皇は中継ぎであり、いずれ譲位すると決まっていた、と光明皇后は言います。臣下の身で初めて皇后になったのに前例を気にするとは、と光明皇后に言った行信は、素直におなりください、皇后様ほど欲深い方はいません、この期に及んで私の前で仮面をつけても意味はない、と光明皇后に決断を迫ります。
行信は出獄を許され、法隆寺(斑鳩寺)に戻って来ます。行信の甥である淡海三船は喜び、涙を流します。三船は行信が投獄されていた7年間、毎日経をあげていました。行信は三船に、今後どうするのか、指示します。聖武天皇の病状は相変わらず悪く、大仏の造立は続いているものの、すぐに完成するような状況ではありません。748年2月、行信が三船に指示していた仏像の光背が完成しました。さらに行信は、布・釘・鎖・木工道具などを三船に準備させていました。三船は、蘇我入鹿を模した「聖徳太子」の仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)に光背をつければ怨霊も鎮まるかもしれない、と明るい表情で言いますが、行信は深刻で恐ろしい表情を浮かべています。その様子を三船が心配するところで、今回は終了です。
今回は、救世観音像が法隆寺夢殿に安置というか封印される展開がはっきりと見えてきました。これで、初回冒頭の岡倉天心とフェノロサによる法隆寺調査の場面と上手くつながりそうです。今回の話を素直に解釈すると、行信は自分が祟り殺されることを覚悟のうえで、強力な怨霊を本気で鎮めようとした、ということになりそうです。しかし、行信は(三船も)「大怨霊」たる蘇我入鹿(聖徳太子)が祟るであろう天智天皇(中大兄皇子)の子孫であるだけではなく、入鹿の子孫でもあります。三船はともかく、行信はそのことをよく知っているでしょうから、入鹿を封印しようと単純に考えているだけではないような気もします。それが、後の行信の左遷とも関わってくるのでしょうか。
行信が光明皇后に、皇后ほど欲深い方はいない、と指摘したことはなかなか面白いと思います。たいへん慈悲深いと伝わり、作中でもそのように描写されている光明皇后ですが、その慈善事業は欲深さのゆえだという解釈は、人間心理の一面を突いているように思います。光明皇后の登場は以前から予想していましたが、ここまで深く描かれるとは意外でした。天智天皇も天武天皇(大海人皇子)も退場してから意外と長く続いており、せっかく天智・天武の「過激な」兄弟関係で話題を呼んだらしいのに、離れていく読者が増えるのではないか、とも心配になりますが、個人的には、「謎解き編」ともいうべき行信と光明皇后を中心とする話を楽しんでいます。
阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)が今後登場するのか、ということも注目されますが、薬師寺に関する光明皇后の発言も気になります。光明皇后は、今年(おそらく747年のことでしょう)3月に新たに薬師寺を建てた、と言っています。薬師寺は、天武天皇が皇后である鸕野讚良皇女(持統天皇)の病気平癒のために建立を発願した、と伝わっています。しかし、本作の天武天皇と鸕野讚良皇女の関係からは、天武天皇が鸕野讚良皇女の病気平癒のために薬師寺を建てたとも考えにくいので、薬師寺創建には触れられないのかな、と思っていました。今回の光明皇后の発現から推測すると、作中設定では、光明皇后が夫である聖武天皇の病気平癒のために薬師寺を建て、それが後に天武天皇と鸕野讚良皇女のこととされた、となっているように思われます。薬師寺の件がこれ以上作中で触れられることはないかもしれませんが、何らかの言及があることを期待しています。
予告は、「次号、大怨霊(聖徳太子)との最終決戦!!」となっており、次回で最終回というわけではないようです。そうすると、単行本で第11集分まで続く可能性が高そうで、残り4話程度で完結でしょうか。救世観音像の封印と行信の左遷までは描かれそうですが、私も含めて多くの読者が気にしているであろう、天智天皇の最期と遺体の安置場所についても、しっかりと明かしてもらいたいものです。行信の扱いが予想以上に大きいので、天智天皇の最期と遺体の安置場所については、触れる余裕がないかもしれない、と不安にもなりますが、どうなるのでしょうか。
それ故に我々は行信とき違うやり方で祟りを鎮めようとしたのだ、と光明皇后は言います。光明皇后の実家の藤原氏はかなりの俸禄を返上し、そのうちのいくらかを国分寺の仏像造りに充て、聖武天皇は何度も遷都して祟りから逃れようとしました。それにも関わらず、聖武天皇は心と身体を病んだままで、新たに薬師寺を建てたが効果はない、と光明皇后は言います。すると行信は、大仏があるではないか、と指摘します。しかし光明皇后は、大仏の完成まで急がせても7~8年はかかるだろうから、その前に聖武天皇が崩御するかもしれない、と率直に不安を打ち明けます。
行信は光明皇后に、なぜ自分に助けを求めてきたのか、と問いかけます。すると光明皇后は、行信が投獄される直前、想像を超える怨霊の力にどう対処するのか、聖武天皇に問うたからだ、と答えます。次の手も考えずに、聖武天皇にそんなことを問いかけないだろう、というわけです。そうかもしれない、と行信が答えたため、光明皇后は喜びますが、行信は直ちに怨霊を封じる策を言わず、光明皇后の置かれた状況を指摘します。
光明皇后と聖武天皇の間には皇女が一人いますが、男子はいないので(一人いたのですが、夭折しました)、権力を手中にした藤原氏の出身でも心細い限りだろう、心配なのは夫である聖武天皇の身体だけではないはずだ、と行信は光明皇后に指摘します。怒る光明皇后にたいして、怨霊封じの手立ては一つ残っているが、禁じ手とも言える危険な方法であり、一歩間違えれば自分は祟り殺される、と行信は説明します。命を懸けての最終手段なので、うわべだけの言葉では引き受けられない、きれいごとを並べるのならば、大僧上の行基にでも頼むとよい、と行信は光明皇后にやや突き放したように言います。
光明皇后は覚悟を決めたのか、行信に本心を打ち明けます。聖武天皇が崩御したら自分の立場が危うく、父(藤原不比等)と兄たちが亡くなり、甥の広嗣が反乱を起こしたため、藤原氏の権威はかなり弱くなってしまったから、この状況で聖武天皇の後ろ盾を失うわけにはいかない、というわけです。すると行信は、状況さえ味方するなら、聖武天皇の後ろ盾などなくても構わないということなのか、と光明皇后に問いかけます。光明皇后は興奮し、そんなことは言っていない、自分はただ祟りを退け、不安を除きたいだけだ、偽りを言っているわけではない、と答えます。行信は光明皇后が本心を打ち明けたと判断したのか、怨霊封じを引き受けることにしますが、怨霊は強力なので、祟りが治まらない場合はご容赦願いたい、と光明皇后に念押しします。
しぶしぶ認める光明皇后にたいして、この先の不安を確実に解消できる手がある、と行信は進言します。それは、この時点で光明皇后にとって唯一存命中の子供である阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)を皇太子として、その後に即位させる、というものでした。この時点では747年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)のようですが、通説では阿倍内親王の立太子はその10年近く前のことです。この創作意図については、今回はよく分かりませんでした。聖武天皇の先代の元正天皇も女性だった、と指摘する行信にたいして、元正天皇は中継ぎであり、いずれ譲位すると決まっていた、と光明皇后は言います。臣下の身で初めて皇后になったのに前例を気にするとは、と光明皇后に言った行信は、素直におなりください、皇后様ほど欲深い方はいません、この期に及んで私の前で仮面をつけても意味はない、と光明皇后に決断を迫ります。
行信は出獄を許され、法隆寺(斑鳩寺)に戻って来ます。行信の甥である淡海三船は喜び、涙を流します。三船は行信が投獄されていた7年間、毎日経をあげていました。行信は三船に、今後どうするのか、指示します。聖武天皇の病状は相変わらず悪く、大仏の造立は続いているものの、すぐに完成するような状況ではありません。748年2月、行信が三船に指示していた仏像の光背が完成しました。さらに行信は、布・釘・鎖・木工道具などを三船に準備させていました。三船は、蘇我入鹿を模した「聖徳太子」の仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)に光背をつければ怨霊も鎮まるかもしれない、と明るい表情で言いますが、行信は深刻で恐ろしい表情を浮かべています。その様子を三船が心配するところで、今回は終了です。
今回は、救世観音像が法隆寺夢殿に安置というか封印される展開がはっきりと見えてきました。これで、初回冒頭の岡倉天心とフェノロサによる法隆寺調査の場面と上手くつながりそうです。今回の話を素直に解釈すると、行信は自分が祟り殺されることを覚悟のうえで、強力な怨霊を本気で鎮めようとした、ということになりそうです。しかし、行信は(三船も)「大怨霊」たる蘇我入鹿(聖徳太子)が祟るであろう天智天皇(中大兄皇子)の子孫であるだけではなく、入鹿の子孫でもあります。三船はともかく、行信はそのことをよく知っているでしょうから、入鹿を封印しようと単純に考えているだけではないような気もします。それが、後の行信の左遷とも関わってくるのでしょうか。
行信が光明皇后に、皇后ほど欲深い方はいない、と指摘したことはなかなか面白いと思います。たいへん慈悲深いと伝わり、作中でもそのように描写されている光明皇后ですが、その慈善事業は欲深さのゆえだという解釈は、人間心理の一面を突いているように思います。光明皇后の登場は以前から予想していましたが、ここまで深く描かれるとは意外でした。天智天皇も天武天皇(大海人皇子)も退場してから意外と長く続いており、せっかく天智・天武の「過激な」兄弟関係で話題を呼んだらしいのに、離れていく読者が増えるのではないか、とも心配になりますが、個人的には、「謎解き編」ともいうべき行信と光明皇后を中心とする話を楽しんでいます。
阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)が今後登場するのか、ということも注目されますが、薬師寺に関する光明皇后の発言も気になります。光明皇后は、今年(おそらく747年のことでしょう)3月に新たに薬師寺を建てた、と言っています。薬師寺は、天武天皇が皇后である鸕野讚良皇女(持統天皇)の病気平癒のために建立を発願した、と伝わっています。しかし、本作の天武天皇と鸕野讚良皇女の関係からは、天武天皇が鸕野讚良皇女の病気平癒のために薬師寺を建てたとも考えにくいので、薬師寺創建には触れられないのかな、と思っていました。今回の光明皇后の発現から推測すると、作中設定では、光明皇后が夫である聖武天皇の病気平癒のために薬師寺を建て、それが後に天武天皇と鸕野讚良皇女のこととされた、となっているように思われます。薬師寺の件がこれ以上作中で触れられることはないかもしれませんが、何らかの言及があることを期待しています。
予告は、「次号、大怨霊(聖徳太子)との最終決戦!!」となっており、次回で最終回というわけではないようです。そうすると、単行本で第11集分まで続く可能性が高そうで、残り4話程度で完結でしょうか。救世観音像の封印と行信の左遷までは描かれそうですが、私も含めて多くの読者が気にしているであろう、天智天皇の最期と遺体の安置場所についても、しっかりと明かしてもらいたいものです。行信の扱いが予想以上に大きいので、天智天皇の最期と遺体の安置場所については、触れる余裕がないかもしれない、と不安にもなりますが、どうなるのでしょうか。
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