『天智と天武~新説・日本書紀~』第88話「世界一の大仏」
これは5月11日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2016年5月25日号掲載分の感想です。前回は、蘇我入鹿の怨霊を聖徳太子として崇めて鎮魂していたにも関わらず、藤原広嗣が反乱を起こしたことで、光明皇后(安宿媛)と聖武天皇(首皇子)にとって親族となる藤原氏式家の人々が処罰され、さらには光明皇后が流産したため、聖武天皇が激怒し、行信を呼び出そうとしているところで終了しました。今回は、雨の中、行信とその甥である淡海三船が平城京の御所に参上する場面から始まります。
行信と三船はすぐ、蘇我入鹿の怨霊を復活させてしまったことを聖武天皇に謝罪します。しかし、すっかりやつれてしまった聖武天皇は激昂して行信を怒鳴りつけ、光明皇后も、行信のやり方が悪かったので入鹿の怨霊の怒りを買ったのだ、と行信を非難します。入鹿の別人格として聖徳太子を創作し、祀るまではよかったものの、聖徳太子の子孫を滅亡に追いやった人物を入鹿にしてしまったので、聖武天皇や自分が懸念した通り、祟られているではないか、というわけです。
祟りが治まらない場合は覚悟ができている、と聖武天皇に約束していた行信は、自分の責任なので、どんな処分でも受ける、打ち首でも構わない、と言いますが、三船には咎めがないよう、聖武天皇に懇願します。聖武天皇は行信の懇願を受け入れ、行信を投獄するよう、命じます。連行されようとしていた行信は、想像を超える怨霊の力にどう対処するのか、聖武天皇に問いかけます。すると聖武天皇は、想定外のもので鎮魂するしかないので、怨霊も驚いて逃げ出すような、天をも貫く世界一巨大な大仏を造るのだ、と答えます。光明皇后は夫の案に賛同します。行信は本当に国を憂い、天皇夫妻を思って怨霊を鎮魂していたのだ、と叔父をなおも庇おうとした三船は、光明皇后に帰るよう命じられます。聖武天皇は、祟りで汚れている平城京を今すぐにも離れ、諸国に国分寺と国分尼寺を建てて守ってもらう、という構想を光明皇后に語ります。投獄された行信は、入鹿の怨霊よ、これで満足か?と呟きます。
聖武天皇は光明皇后とともに伊勢へと行幸します。聖武天皇が遷都を考えている、という噂は民衆にも広く知れ渡っており、負担が増すばかりだ、と民衆は不満を抱いていました。獄中で髪が伸びてきた行信を、三船が訪ねます。三船は聖武天皇と縁の深い高層に頼んで、やっと行信と面会できたのでした。聖武天皇は祟りへの恐怖から官民を顧みる余裕をなくし、遷都を繰り返している、怨霊を誰よりも知り抜いているのは叔父上なのだから、この状況を何とかしてほしい、と三船は行信に懇願します。
しかし行信は、自分にはそんな力はないとそなたも思い知ったはずだ、と言って冷淡です。それでも三船は諦めず、叔父上を信じている、と言います。行信は達観したように、聖武天皇が想像を超える大仏を造るのを見届けてからでも遅くはない、それまで自分が生きていればの話だが、と冷静に三船に語ります。三船は法隆寺(斑鳩寺)の夢殿を訪れ、蘇我入鹿を模した仏像(現在も法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)の前で、そなたの怒りと無念はじゅうぶん分かったので許してもらいたい、どうしても祟り続けるなら戦うしかない、と誓います。
743年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)10月15日、近江の紫香楽宮で、聖武天皇は世界一巨大な仏像を造ると宣言します。しかし群臣は、国分寺と宮殿に加えて大仏も造るということで、財源はどうするのだ、と不安に思っています。獄中の行信を訪ねた三船は、大仏造立には内外で不満の声が多いので、民衆に人気のある僧侶の行基に勧進をさせたことと、聖武天皇にとって唯一の存命の息子だった安積親王が亡くなったことを報告します。
744年1月、難波宮では、息子を亡くし、どこへ行けば災いがなくなるのか、分からなくなった聖武天皇が錯乱していました。遷都を繰り返した聖武天皇は745年になって平城京に落ち着きますが、この年に山火事・地震・水害と天災が頻発し、病状がますます悪化します。大仏の完成はいつになるのか、と光明皇后に尋ねられた行基は、まだ10年はかかるだろう、と答えます。光明皇后は、それでは大仏の完成前に聖武天皇が崩御してしまうのではないか、と案じます。行基はモブ顔なので、作中では重要な役割を担わないと思われます。意を決した光明皇后が、獄中の行信を訪ねるところで、今回は終了です。
今回は、聖武天皇の「彷徨」と大仏造立計画が蘇我入鹿の怨霊を恐れてのものだった、という話になっていました。歴史創作ものとして、上手く話を作ってきたのではないか、と思います。今回の話を素直に解釈すると、行信も三船も真剣に蘇我入鹿の怨霊化を恐れ、そのために聖徳太子の創作などの鎮魂に全力で取り組んだ、と考えられます。しかし、三船の方はそうだろうと思われるのですが、行信に関しては、まだ三船にも公言していない意図があるのではないか、とも考えられます。
投獄された行信は、入鹿の怨霊よ、これで満足か?と呟いています。素直に解釈すると、自分が投獄されたことで満足し、もう祟らないでもらいたい、と入鹿の怨霊に懇願しているように思われます。しかし、行信が入鹿の子孫でもあり、本人もそれを知っているだろう、ということを考えると、この呟きも意味深であるように思われます。入鹿の怨霊の鎮魂のために、夢殿に入鹿を象った仏像を安置し、聖徳太子という別人格を創作して業績を称賛するだけではなく、大仏の造立まで行なわれるわけですから、自分の当初の計画以上に入鹿が称えられることに、行信は満足しているようにも思われます。
まあ、私の解釈は的外れで、三船が言うように、行信は本当に国を憂いていただけなのかもしれません。しかし行信は、入鹿を殺害した天智天皇(中大兄皇子)の曽孫だとは名乗っても、入鹿の子孫だとは名乗っていないので、そこに隠された意図があるのではないか、と考えたくなります。もはや国家の立場では入鹿を聖人として称揚することはできないものの、せめて法隆寺の再興と入鹿の分身の創作という形で入鹿の名誉を回復し、天智天皇と入鹿の出会いから始まる、自分の祖先たちの長きにわたる因縁を終結させたい、というのが行信の真意ではないか、と私は推測しています。しかし、行信は素直に国を憂いているだけかもしれませんし、あるいはさらに別の意図があるのかもしれません。
天智天皇も天武天皇(大海人皇子)も藤原不比等(史)も退場してからも、意外と長く続いており、次回予告でも最終回とは告知されていなかったので、単行本で第11集分まで続く可能性が高そうです。そうすると、残り5話程度で完結でしょうか。これならば、行信の真意が明かされ、大仏の開眼法要と行信の左遷まで描くこともじゅうぶん可能だと思います。また、多くの読者が気にしているだろう、天智天皇の最期と遺体の安置場所を明かす余裕もありそうです。こうした謎がすべて解き明かされ、すっきりと完結することを期待しています。
行信と三船はすぐ、蘇我入鹿の怨霊を復活させてしまったことを聖武天皇に謝罪します。しかし、すっかりやつれてしまった聖武天皇は激昂して行信を怒鳴りつけ、光明皇后も、行信のやり方が悪かったので入鹿の怨霊の怒りを買ったのだ、と行信を非難します。入鹿の別人格として聖徳太子を創作し、祀るまではよかったものの、聖徳太子の子孫を滅亡に追いやった人物を入鹿にしてしまったので、聖武天皇や自分が懸念した通り、祟られているではないか、というわけです。
祟りが治まらない場合は覚悟ができている、と聖武天皇に約束していた行信は、自分の責任なので、どんな処分でも受ける、打ち首でも構わない、と言いますが、三船には咎めがないよう、聖武天皇に懇願します。聖武天皇は行信の懇願を受け入れ、行信を投獄するよう、命じます。連行されようとしていた行信は、想像を超える怨霊の力にどう対処するのか、聖武天皇に問いかけます。すると聖武天皇は、想定外のもので鎮魂するしかないので、怨霊も驚いて逃げ出すような、天をも貫く世界一巨大な大仏を造るのだ、と答えます。光明皇后は夫の案に賛同します。行信は本当に国を憂い、天皇夫妻を思って怨霊を鎮魂していたのだ、と叔父をなおも庇おうとした三船は、光明皇后に帰るよう命じられます。聖武天皇は、祟りで汚れている平城京を今すぐにも離れ、諸国に国分寺と国分尼寺を建てて守ってもらう、という構想を光明皇后に語ります。投獄された行信は、入鹿の怨霊よ、これで満足か?と呟きます。
聖武天皇は光明皇后とともに伊勢へと行幸します。聖武天皇が遷都を考えている、という噂は民衆にも広く知れ渡っており、負担が増すばかりだ、と民衆は不満を抱いていました。獄中で髪が伸びてきた行信を、三船が訪ねます。三船は聖武天皇と縁の深い高層に頼んで、やっと行信と面会できたのでした。聖武天皇は祟りへの恐怖から官民を顧みる余裕をなくし、遷都を繰り返している、怨霊を誰よりも知り抜いているのは叔父上なのだから、この状況を何とかしてほしい、と三船は行信に懇願します。
しかし行信は、自分にはそんな力はないとそなたも思い知ったはずだ、と言って冷淡です。それでも三船は諦めず、叔父上を信じている、と言います。行信は達観したように、聖武天皇が想像を超える大仏を造るのを見届けてからでも遅くはない、それまで自分が生きていればの話だが、と冷静に三船に語ります。三船は法隆寺(斑鳩寺)の夢殿を訪れ、蘇我入鹿を模した仏像(現在も法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)の前で、そなたの怒りと無念はじゅうぶん分かったので許してもらいたい、どうしても祟り続けるなら戦うしかない、と誓います。
743年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)10月15日、近江の紫香楽宮で、聖武天皇は世界一巨大な仏像を造ると宣言します。しかし群臣は、国分寺と宮殿に加えて大仏も造るということで、財源はどうするのだ、と不安に思っています。獄中の行信を訪ねた三船は、大仏造立には内外で不満の声が多いので、民衆に人気のある僧侶の行基に勧進をさせたことと、聖武天皇にとって唯一の存命の息子だった安積親王が亡くなったことを報告します。
744年1月、難波宮では、息子を亡くし、どこへ行けば災いがなくなるのか、分からなくなった聖武天皇が錯乱していました。遷都を繰り返した聖武天皇は745年になって平城京に落ち着きますが、この年に山火事・地震・水害と天災が頻発し、病状がますます悪化します。大仏の完成はいつになるのか、と光明皇后に尋ねられた行基は、まだ10年はかかるだろう、と答えます。光明皇后は、それでは大仏の完成前に聖武天皇が崩御してしまうのではないか、と案じます。行基はモブ顔なので、作中では重要な役割を担わないと思われます。意を決した光明皇后が、獄中の行信を訪ねるところで、今回は終了です。
今回は、聖武天皇の「彷徨」と大仏造立計画が蘇我入鹿の怨霊を恐れてのものだった、という話になっていました。歴史創作ものとして、上手く話を作ってきたのではないか、と思います。今回の話を素直に解釈すると、行信も三船も真剣に蘇我入鹿の怨霊化を恐れ、そのために聖徳太子の創作などの鎮魂に全力で取り組んだ、と考えられます。しかし、三船の方はそうだろうと思われるのですが、行信に関しては、まだ三船にも公言していない意図があるのではないか、とも考えられます。
投獄された行信は、入鹿の怨霊よ、これで満足か?と呟いています。素直に解釈すると、自分が投獄されたことで満足し、もう祟らないでもらいたい、と入鹿の怨霊に懇願しているように思われます。しかし、行信が入鹿の子孫でもあり、本人もそれを知っているだろう、ということを考えると、この呟きも意味深であるように思われます。入鹿の怨霊の鎮魂のために、夢殿に入鹿を象った仏像を安置し、聖徳太子という別人格を創作して業績を称賛するだけではなく、大仏の造立まで行なわれるわけですから、自分の当初の計画以上に入鹿が称えられることに、行信は満足しているようにも思われます。
まあ、私の解釈は的外れで、三船が言うように、行信は本当に国を憂いていただけなのかもしれません。しかし行信は、入鹿を殺害した天智天皇(中大兄皇子)の曽孫だとは名乗っても、入鹿の子孫だとは名乗っていないので、そこに隠された意図があるのではないか、と考えたくなります。もはや国家の立場では入鹿を聖人として称揚することはできないものの、せめて法隆寺の再興と入鹿の分身の創作という形で入鹿の名誉を回復し、天智天皇と入鹿の出会いから始まる、自分の祖先たちの長きにわたる因縁を終結させたい、というのが行信の真意ではないか、と私は推測しています。しかし、行信は素直に国を憂いているだけかもしれませんし、あるいはさらに別の意図があるのかもしれません。
天智天皇も天武天皇(大海人皇子)も藤原不比等(史)も退場してからも、意外と長く続いており、次回予告でも最終回とは告知されていなかったので、単行本で第11集分まで続く可能性が高そうです。そうすると、残り5話程度で完結でしょうか。これならば、行信の真意が明かされ、大仏の開眼法要と行信の左遷まで描くこともじゅうぶん可能だと思います。また、多くの読者が気にしているだろう、天智天皇の最期と遺体の安置場所を明かす余裕もありそうです。こうした謎がすべて解き明かされ、すっきりと完結することを期待しています。
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