ネアンデルタール人と現生人類のY染色体の違い

 これは4月9日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)のY染色体に関する研究(Mendez et al., 2016)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。これまで、ネアンデルタール人のゲノムは複数の個体で解読されていますが、一定以上の精度で解読された個体は全員女性です。そのため、ネアンデルタール人のY染色体の研究は停滞していました。本論文は、スペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡で発見されたネアンデルタール人男性のY染色体を分析し、チンパンジーおよび現代人と比較しています。Y染色体が分析されたエルシドロン遺跡のネアンデルタール人男性の推定年代は、放射性炭素年代測定法で49000年前頃(非較正)です。

 本論文は、Y染色体のエクソン領域に関して、ネアンデルタール人とチンパンジーと現代人とを比較しています。その結果明らかになったのは、ネアンデルタール人はチンパンジーとも現代人とも異なる分類群を形成している、ということです。もちろん、ネアンデルタール人と現生人類は、ともにチンパンジーよりも相互の方に遺伝的にずっと近いことも明らかになっています。Y染色体において、ネアンデルタール人と現生人類との最直近の共通祖先の推定年代は、588000年前(95%の信頼性で806000~447000年前)となります。現代人のY染色体においては、最初に、近年になって発見されたA00系統が他の系統と分岐しており(関連記事)、その推定年代(本論文では275000年前とされています)は、ネアンデルタール人と現生人類との推定分岐年代の2.1倍(95%の信頼性で1.7~2.9倍)になる、と本論文では指摘されています。

 このことから本論文は、(エルシドロンの)ネアンデルタール人男性のY染色体は、現生人類とネアンデルタール人の共通祖先が存在した時点で分岐した「超古代系統」や、現代人のY染色体系統が分岐する前の現生人類系統や、出アフリカ後の現生人類系統に由来するものではない、との見解を提示しています。また本論文は、これまでに解析された現代人のY染色体にはネアンデルタール人由来のものが確認されていないことから、ネアンデルタール人系統のY染色体は現代では消滅している可能性が高い、とも指摘しています。

 ネアンデルタール人と現生人類との交雑は現在では広く認められており、ネアンデルタール人由来の遺伝子が、現生人類にとって有利に作用したことも、当初は有利か中立的だったのに、後に環境の変化により不利に作用するようになったことも確認されています(関連記事)。本論文は、ネアンデルタール人由来のゲノム領域が現代人において確認されているのに、Y染色体に関しては、ネアンデルタール人由来のものがなぜ現代人には確認されていないのか、という問題も検証しています。まず考えられるのは、現生人類と比較してネアンデルタール人の人口が少ないことなどもあり、偶然消滅した、という可能性です。

 しかし本論文は、Y染色体の遺伝子における現生人類とネアンデルタール人との違いから、遺伝的不適合が原因となって、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代には継承されなかった可能性が高い、との見解を提示しています。本論文は、ネアンデルタール人と現生人類のY染色体において、4つのコーディング領域(PCDH11Y・TMSB4Y・USP9Y・KDM5D)で違いを特定しました。PCDH11YはX染色体との組換え領域に存在し、脳の左右分化と言語の発達に役割を果たしている可能性が指摘されています。USP9Yは、精子形成に影響を与えている可能性が指摘されています。TMSB4Yは腫瘍細胞において分裂増殖を減少させている可能性が指摘されています。KMD5Dは癌の浸潤性の抑制との関連が指摘されています。

 こうした遺伝的違いにより、ネアンデルタール人のY染色体を有する個体は、ネアンデルタール人と現生人類との交雑集団において、繁殖能力が低下し、排除された可能性がある、というわけです。また、これらの遺伝的違いは免疫系との関連も指摘されており、たとえばKDM5Dに由来する抗原は、妊娠期間に母体の免疫反応を誘引する、と考えられています。これは流産の一因となり得るので、ネアンデルタール人と現生人類とが交雑した場合、ネアンデルタール人の男性と現生人類の女性という組み合わせでは、そもそも男児が生まれにくかった可能性も考えられます。本論文は、こうしたネアンデルタール人と現生人類との遺伝的不適合により、ネアンデルタール人系統のY染色体が現代には継承されなかった、という可能性を提示しています。

 本論文は、ネアンデルタール人由来のY染色体が現代人には確認されないという、多くの人がほぼ確信していただろうことを、実証した点で大きな意義があると思います。その理由についての本論文の推測も、説得力のあるものだと思います。性染色体や繁殖に直接関わる遺伝子に関しては、現代人にはネアンデルタール人由来のものが確認されないか少ない、という見解とも符合すると言えそうです(関連記事)。しかし、本論文に関わった研究者たちも認めるように、本論文の仮説を実証するには、ネアンデルタール人のY染色体に見られる現代人とは異なる遺伝的変異が、じっさいに現代人の遺伝子と不適合であることを検証する必要があります。ネアンデルタール人と現生人類のY染色体の比較に関しては、今後の研究の進展が大いに期待されます。


参考文献:
Mendez FL, Poznik GD, Castellano S, and Bustamante CD.(2016): The Divergence of Neandertal and Modern Human Y Chromosomes. The American Journal of Human Genetics, 98, 4, 728-734.
http://dx.doi.org/10.1016/j.ajhg.2016.02.023

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