Eugene E. Harris『ゲノム革命 ヒト起源の真実』

 これは4月24日分の記事として掲載しておきます。ユージン=E=ハリス(Eugene E. Harris)著、水谷淳訳で、早川書房より2016年4月に刊行されました。原書の刊行は2015年です。ゲノム解析による現代人の起源・進化の解明という、まさに日進月歩と言うべき分野だけに、原書の刊行が2015年と最近であることは、本書の価値を大いに高めていると思います。もっとも、本書が取り上げている研究はおおむね2013年までのもので、その後も、おそらく著者が予想・期待していたであろうように、ゲノム解析による人類進化史の研究は大きく進展しています。

 それ故に、本書は現時点でもやや「古く」なっていると言えるかもしれませんし、もちろん今後は急速に「古く」なっていくわけですが、系統樹をはじめとして進化についての基礎的で丁寧な解説とともに、研究史も紹介されているので、長く読み続けられるだけの価値がじゅうぶんあるのではないか、と思います。人類の進化に関心を有する人にとって必読の一冊と言えるでしょう。私にとっては大当たりでした。このような良書が比較的安価に購入できるような社会の維持を今後も望みたいものです。

 本書の特徴としてまず挙げられるのは、形態学的特徴に依拠した分類・進化系統樹の危うさです。著者は元々自然人類学でも形態学を専攻しており、1990年代に大学院生だった頃には、自然人類学のなかでも遺伝学にたいする形態学の優位を確信していたそうです。しかし著者は、ヒヒ族の系統樹をめぐる論争に関わったことから、形態学に基づく分類・進化系統樹がいかに危ういか、痛感したそうです。現生種でさえ、形態学に基づく分類・進化系統樹が危ういのに、(多くの場合断片的でしかない)化石に基づく分類・進化系統樹はなおさら危うい、というわけです。

 ここから著者は、ゲノム解析に基づく研究を進めていきます。本書は、ゲノム解析の結果からどのように系統樹を作成するのか、といった基礎から解説していき、ゲノム解析による人類の進化像を提示しています。本書が強調しているのは、種系統樹と遺伝子系統樹とは必ずしも一致しない、ということです。現代人と近縁な現生種としてゴリラとチンパンジーがいますが、個々の遺伝子というかゲノム領域で比較すると、現代人とゴリラが近縁でチンパンジーがこれら2種とはやや疎遠だとか、チンパンジーとゴリラとが近縁で現代人がその2種とはやや疎遠だとか、複数の系統樹が描けます。しかし、ゲノム全体の比較からは、現代人とチンパンジーが近縁でゴリラがその2種とやや疎遠であることは確定している、と本書は指摘します。遺伝子に関しても、一部に基づく系統樹が危ういものであることが改めて了解されます。

 本書は、現代人の起源がサハラ砂漠以南のアフリカにあることを認めつつも、以前強く主張されていたような、短期間に一地域で現生人類(Homo sapiens)が出現したという見解よりも、現生人類はアフリカの広範な地域で長期間かけて進化した、という見解の方が妥当だろう、と指摘しています。また本書は、近年の研究成果を参照し、現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などの「古代型ホモ属(本書では旧人類と表記されています)」との交雑も積極的に認めています。現在では、現生人類とネアンデルタール人や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)との交雑がほぼ通説として確立していますが、本書は、それだけではなく、アフリカにおいても、現生人類と(遺伝学的に)未知の系統の人類とが交雑した可能性が高い、と指摘しています。以前は現生人類多地域進化説の根拠とされてきた、現代東アジア人に多いシャベル状切歯(門歯)について、3万年前頃に東アジアで出現した遺伝的変異が関わっている、との見解も注目されます。

 上述したように、原書の刊行は近年のことなのですが、原書刊行(というか執筆)後も、ゲノム解析による人類進化史の解明について、次々と重要な研究が公表されています。そのうちの一部は訳者あとがきにて簡潔に触れられていますが、このブログで取り上げたものでとくに重要と思われるものをいくつか挙げておきます。本書は、まだ証拠は得られていないと断りつつも、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人と現生人類とが交雑した可能性を指摘しています。本書の予想通り、ヨーロッパにおいてもネアンデルタール人と現生人類との交雑が起きた可能性の高いことが、ヨーロッパの初期現生人類のゲノム解析により明らかになっています(関連記事)。

 スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡で発見された人骨群について、本書ではミトコンドリアDNAの解析結果が報告されており、それをどう解釈するのか謎のままである、と率直に述べられています。この人骨群に関してはその後、核DNAの解析結果も報告されており、ネアンデルタール人の祖先集団かその近縁集団である可能性が高い、と言えそうです(関連記事)。また、ネアンデルタール人と現生人類との交雑は、じゅうらい有力視されていた65000~47000年前頃の他に、10万年前頃にも起きていたのではないか、との見解が提示されたことも注目されます(関連記事)。この他にも、デニソワ人の新たなDNA解析(関連記事)など、ここで取り上げるべき研究は多くあるのですが、長くなりそうなのでここまでにしておきます。


参考文献:
Harris EE.著(2016)、水谷淳訳『ゲノム革命 ヒト起源の真実』(早川書房、原書の刊行は2015年)

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