縄文時代における暴力死亡率

 これは4月2日分の記事として掲載しておきます。縄文時代における暴力死亡率に関する研究(Nakao et al., 2016)が報道されました。日本語の簡易解説記事詳細な解説記事もあります。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、縄文時代における暴力による死亡率を推定し、他地域と比較しています。暴力による死亡率は、戦争によるものや個別の殺人事件なども含みます。この研究が分析対象としたのは、縄文時代の遺跡242ヶ所の人骨2582点(1275人)です。この研究は、そのうち受傷人骨を暴力の痕跡と認定しています。

 その結果、縄文時代における暴力死亡率は、全個体を対象とすると0.89%、成人のみを対象とすると1.8%という結果が得られました。なお、縄文時代とはいっても時期区分により死亡率は異なり、最も高いのは中期です(全個体を対象とすると1.35%、成人のみを対象とすると2.9%)。縄文時代における暴力死亡率は、さまざまな地域・時代の狩猟採集世界の暴力死亡率(縄文時代の5倍以上となる10%以上)と比較してきわめて低い、とこの研究は指摘しています。そのためこの研究は、「戦争は人間の本能である」との近年有力になりつつある主張を再考し、他の要因を解明していかなければならない、と指摘しています。

 確かに近年では、いわゆる先史時代において戦争も含めて暴力の頻度は高かった、と主張する見解が有力になりつつあるように思います。しかし、そうした見解でも、「戦争は人間の本能である」といった単純化はなされていないでしょうし、そもそも「本能」といった曖昧な用語で説明されているわけではないとも思います。人間も含めて多くの動物は、状況次第で容易に暴力を発動するような認知メカニズムを進化の過程で獲得してきた、ということなのだと思います。

 狩猟採集時代も、各地域・時代により状況(環境)は大きく異なっていたでしょうから、縄文時代の日本列島ように死亡率の低めな時代・地域も、高めの時代・地域もあったのでしょう。ただ、縄文時代の暴力死亡率が低いとはいっても、現代の多くの社会と比較するとかなり高いことも否定できないでしょう。その意味で、いわゆる先史時代には戦争がなかったとか、平和的だったとかいった一部?で根強いと思われる観念も見直されるべきでしょう。

 戦争も含めて暴力が、環境・文化・社会形態などのさまざまな要因により決まることは、この研究も指摘するように間違いないでしょう。しかし、「本能」という用語には大いに問題があるとしても、人間の認知メカニズムが、人類史において一般的だった環境において、戦争も含む暴力を容易に発動してきたことも確かだと思います。暴力の減少のためには、人間の認知メカニズムと環境との相互作用について、さらなる研究の進展が必要なのでしょう。


参考文献:
Nakao T. et al.(2016): Violence in the prehistoric period of Japan: the spatio-temporal pattern of skeletal evidence for violence in the Jomon period. Biology Letters, 12, 3, 20160028.
http://dx.doi.org/10.1098/rsbl.2016.0028

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