さかのぼるフロレシエンシスの年代(追記有)
インドネシア領フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟で発見された後期更新世の人骨群の新たな推定年代に関する研究(Sutikna et al., 2016)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。リアンブア洞窟では更新世の人骨群が発見されています。この人骨群をめぐっては当初、新種なのか、それとも病変の現生人類(Homo sapiens)なのか、という激論が展開されました。しかし現在では、この人骨群をホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と区分する見解がおおむね受け入れられているように思われます。
フロレシエンシスの正基準標本であるLB1の骨格は脆かったので、その年代測定に用いられたのは、LB1の近くで発見された炭でした。その炭の放射性炭素年代測定の結果、較正年代で、LB1は18000年前頃、フロレシエンシスの下限年代は17000年前頃もしくは13000~11000年前頃と推定されました。現生人類は5万年前頃にオーストラリア大陸(更新世の寒冷期にはニューギニアやタスマニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)にまで進出していたと考えられているので、現生人類がフローレス島もしくはその近隣地域に侵出してから長期間、フロレシエンシスは生存していたことになります。フロレシエンシスの祖先集団がどの人類系統だったのか、という問題とともに、長期間近隣の現生人類と共存していたように思えることも、フロレシエンシスに関する大きな謎でした。この研究は、フロレシエンシスの新たな推定年代を報告し、現生人類とフロレシエンシスとの長期間の共存という問題に重要な手がかりを提示しています。
しかしこの研究は、フロレシエンシスの痕跡に関して層序学的に再検証し、以前年代測定に用いられた炭が、もっと新しい年代の層からより古い層に嵌入した可能性の高いことを明らかにしました。そこで、フロレシエンシスの人骨と同じ層の新たに発掘された岩や泥が複数の方法で年代測定され、フロレシエンシスの人骨の下限年代は6万年前頃、フロレシエンシスの所産と考えられる石器群の下限年代は5万年前頃と推定されました。
もちろん、今後フローレス島もしくはその近隣地域で、5万年前以降のフロレシエンシスの痕跡が発見される可能性はあります。ただ、現時点での証拠からは、現生人類がフローレス島の近隣地域に侵出してきたのと同じ頃にフロレシエンシスの痕跡が途絶えたと解釈するのが妥当ですから、現生人類の侵出によりフロレシエンシスが絶滅に追い込まれた可能性が指摘されています。現生人類がヨーロッパに侵出してから短期間でネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が絶滅したのと同様のことが、東南アジア島嶼部でも起きたのであり、フロレシエンシスと現生人類との共存は長期間ではなかった、というわけです。この問題については、今後の研究の進展が大いに注目されます。
参考文献:
Sutikna T. et al.(2016): Revised stratigraphy and chronology for Homo floresiensis at Liang Bua in Indonesia. Nature, 532, 7599, 366–369.
http://dx.doi.org/10.1038/nature17179
追記(2016年4月1日)
ナショナルジオグラフィックで報道されました。
追記(2016年4月21日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
考古学:インドネシアのリャン・ブアのフローレス原人に関する層序および年代の修正
考古学:フローレス原人の年代はもっと古かった
インドネシア・フローレス島のリャン・ブア洞窟で、「ホビット」として知られる小柄な旧人類であるフローレス原人(Homo floresiensis)が発見されたことは、2004年の考古学上の大事件だった。これが大きな議論を巻き起こした要因は、フローレス原人がリャン・ブア洞窟にいた年代が9万5000年~1万2000年前であり、現生人類がこの地域に定着した年代(約5万年前)よりも後まで存続していたためであった。当時の調査チームのT Sutiknaをはじめとする多くのメンバーはその後、他の研究者らとチームを組んでリャン・ブアを再び訪れ、洞窟内の未調査部分を新たな発掘によって調べた。その結果、洞窟内の堆積層は均一に堆積しておらず、フローレス原人を含む層は考えられていたよりも古いらしいことが分かった。新たな放射年代測定から、フローレス原人の遺骨と石器の年代は19万~5万年前となった。従って、島に到来した現生人類に遭遇するまでフローレス原人が存続していたかどうかは、議論の余地がある問題である。
フロレシエンシスの正基準標本であるLB1の骨格は脆かったので、その年代測定に用いられたのは、LB1の近くで発見された炭でした。その炭の放射性炭素年代測定の結果、較正年代で、LB1は18000年前頃、フロレシエンシスの下限年代は17000年前頃もしくは13000~11000年前頃と推定されました。現生人類は5万年前頃にオーストラリア大陸(更新世の寒冷期にはニューギニアやタスマニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)にまで進出していたと考えられているので、現生人類がフローレス島もしくはその近隣地域に侵出してから長期間、フロレシエンシスは生存していたことになります。フロレシエンシスの祖先集団がどの人類系統だったのか、という問題とともに、長期間近隣の現生人類と共存していたように思えることも、フロレシエンシスに関する大きな謎でした。この研究は、フロレシエンシスの新たな推定年代を報告し、現生人類とフロレシエンシスとの長期間の共存という問題に重要な手がかりを提示しています。
しかしこの研究は、フロレシエンシスの痕跡に関して層序学的に再検証し、以前年代測定に用いられた炭が、もっと新しい年代の層からより古い層に嵌入した可能性の高いことを明らかにしました。そこで、フロレシエンシスの人骨と同じ層の新たに発掘された岩や泥が複数の方法で年代測定され、フロレシエンシスの人骨の下限年代は6万年前頃、フロレシエンシスの所産と考えられる石器群の下限年代は5万年前頃と推定されました。
もちろん、今後フローレス島もしくはその近隣地域で、5万年前以降のフロレシエンシスの痕跡が発見される可能性はあります。ただ、現時点での証拠からは、現生人類がフローレス島の近隣地域に侵出してきたのと同じ頃にフロレシエンシスの痕跡が途絶えたと解釈するのが妥当ですから、現生人類の侵出によりフロレシエンシスが絶滅に追い込まれた可能性が指摘されています。現生人類がヨーロッパに侵出してから短期間でネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が絶滅したのと同様のことが、東南アジア島嶼部でも起きたのであり、フロレシエンシスと現生人類との共存は長期間ではなかった、というわけです。この問題については、今後の研究の進展が大いに注目されます。
参考文献:
Sutikna T. et al.(2016): Revised stratigraphy and chronology for Homo floresiensis at Liang Bua in Indonesia. Nature, 532, 7599, 366–369.
http://dx.doi.org/10.1038/nature17179
追記(2016年4月1日)
ナショナルジオグラフィックで報道されました。
追記(2016年4月21日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
考古学:インドネシアのリャン・ブアのフローレス原人に関する層序および年代の修正
考古学:フローレス原人の年代はもっと古かった
インドネシア・フローレス島のリャン・ブア洞窟で、「ホビット」として知られる小柄な旧人類であるフローレス原人(Homo floresiensis)が発見されたことは、2004年の考古学上の大事件だった。これが大きな議論を巻き起こした要因は、フローレス原人がリャン・ブア洞窟にいた年代が9万5000年~1万2000年前であり、現生人類がこの地域に定着した年代(約5万年前)よりも後まで存続していたためであった。当時の調査チームのT Sutiknaをはじめとする多くのメンバーはその後、他の研究者らとチームを組んでリャン・ブアを再び訪れ、洞窟内の未調査部分を新たな発掘によって調べた。その結果、洞窟内の堆積層は均一に堆積しておらず、フローレス原人を含む層は考えられていたよりも古いらしいことが分かった。新たな放射年代測定から、フローレス原人の遺骨と石器の年代は19万~5万年前となった。従って、島に到来した現生人類に遭遇するまでフローレス原人が存続していたかどうかは、議論の余地がある問題である。
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