南川高志『世界史リブレット人008 ユリアヌス 逸脱のローマ皇帝』
山川出版社より2015年12月に刊行されました。本書は、後世のキリスト教勢力から「背教者」として非難されてきたローマ皇帝ユリアヌスの簡略な伝記です。本書はユリアヌスを、「逸脱」という観点から把握し、ユリアヌスの「逸脱」から当時のローマ帝国の性格が浮き彫りにされる、と指摘しています。ユリアヌスはコンスタンティヌス1世の甥であり、恵まれた出生身分と言えそうですが、それ故に警戒され、皇帝に即位するまでにも、たびたび生命の危機を経験しました。恵まれた出生身分とは言っても、当初は同時代の人々から皇帝に即位することをほぼまったくと言ってよいほど期待されておらず、それどころかたびたび生命の危機を経験していたわけで、同時代の上層身分の人々との比較では、必ずしも恵まれていたとは言えないように思います。
ユリアヌスは、猜疑心が強かったらしい従兄弟のローマ皇帝コンスタンティウス2世に警戒され、不遇の少年・青年時代を過ごします。ユリアヌスはキリスト教徒として育てられましたが、この不遇時代にユリアヌスは新プラトン主義の影響を強く受け、当時すでにローマ帝国内で大きな勢力を有するようになっていたキリスト教への違和感を強めていき、それが即位後の「伝統宗教復興」につながっていくようです。もっとも、ユリアヌスの「伝統宗教復興」とは、共和国時代のローマのそれというよりは、古代ギリシア文化の再生という信条が大きかったようです。
この不遇なユリアヌスがローマ帝国の皇帝に即位する契機となったのは、コンスタンティウス2世から副帝に任命されたことでした。コンスタンティウス2世がその強い猜疑心による警戒のあまり、ユリアヌスの兄も含めて多くの親族を殺害してしまったため、広大なローマ帝国領を分割して統治するさいに、それを任せられるにふさわしい年齢の男性親族がユリアヌスしかいなかった、という事情があったわけです。コンスタンティウス2世にとって、ユリアヌスを副帝に抜擢するのは不本意だったでしょうが、コンスタンティウス2世は自らの側近に政治・軍事を主導させ、ユリアヌスはお飾りの権威として機能すればよい、という体制を築こうとしていたようです。
しかしユリアヌスは、副帝として軍事行動でしだいに指導力を発揮していき、大きな功績を挙げるようになります。統治者としてのユリアヌスのこうした行動を、コンスタンティウス2世の方針から「逸脱」していった、と本書は評価しています。兵士たちからの信望が高まっていき、ついにユリアヌスは皇帝(正帝)に推戴されます。これはコンスタンティウス2世への明らかな反逆であり、さらに大きな「逸脱」だった、と本書は評価しています。ユリアヌスとコンスタンティウス2世との対立は、コンスタンティウス2世の急死によりあっけなく収束し、ユリアヌスは正式にローマ帝国の皇帝として君臨します。
副帝時代には「伝統宗教復興」の方針を強く打ち出していなかったユリアヌスですが、コンスタンティウス2世との対立が表面化すると、次第に「伝統宗教復興」を強く掲げるようになります。これには、キリスト教を深く信仰していたコンスタンティウス2世への対抗という側面もあったようです。ユリアヌスは、ディオクレティアヌス帝以前のような大々的なキリスト教迫害を実行したわけではなく、信仰の自由を掲げたわけですが、皇帝のコンスタンティウス2世が熱心な信者だったように、当時キリスト教はすでにローマ帝国において大きな勢力を有していました。そのような状況のローマ帝国において、皇帝に即位したユリアヌスはキリスト教へのローマ皇帝からの保護・支援を停止し、さらには「伝統宗教復興」を掲げてキリスト教を教育の場から追放しようとしました。
このようなユリアヌスの政策は、キリスト教勢力にとって迫害と受け取られても不思議ではなかった、と言えそうです。こうしたユリアヌスの政策は、当時のローマ帝国の在り様からは「逸脱」していた、と本書は評価しています。さらに本書は、対キリスト教政策だけではなく、禁欲的な志向の強かったユリアヌスが、質素な衣服で簡素な生活を送っていたことも、当時のローマ皇帝の規範から「逸脱」していた、と評価しています。皇帝が専制的な性格を強めていき(専制君主政)、荘厳な儀式に権威を依拠するようになっていた軍人皇帝時代後のローマ帝国において、ユリアヌスはローマ皇帝のあるべき道から「逸脱」していた、というわけです。
また、ユリアヌスの禁欲的な姿勢が、東方で市民から反感を買っていたことも指摘されています。専制君主政からのユリアヌスの「逸脱」について、法を超越する存在としてのローマ皇帝像にたいして、ユリアヌスは皇帝も法を順守する存在であるべきだと考えていた、とも本書は指摘しています。まさにさまざまな点において、ユリアヌスは当時のローマ皇帝の規範から「逸脱」した存在であり、逆にユリアヌスの「逸脱」から、当時のローマ帝国の性格が浮き彫りにされる、というわけです。
このようにユリアヌスを「逸脱」の皇帝として把握する本書ですが、ユリアヌスが積極的にサーサーン王朝と対決しようとしたことは、軍事的功績を挙げることにより威信を確立しようとしたローマ皇帝の規範に則ったものである、と評価しています。数々の「逸脱」により当時としては異色の存在と言えそうなユリアヌスが、珍しくローマ皇帝の規範に則ったのは、それまでの実績によりユリアヌスが自身の軍事的才能に自信を有していたためなのかもしれません。しかし、ユリアヌスはそのサーサーン王朝との対決で戦死してしまいます。本書はそこに、歴史の皮肉を見ているように思われます。
本書はユリアヌスの伝記であるとともに、ユリアヌスを「逸脱」の皇帝として把握することにより、当時のローマ帝国の性格を浮き彫りにしています。世界史リブレットということで、分量の少ない簡略な伝記になっていますが、個人的には当たりの一冊でした。
ユリアヌスは、猜疑心が強かったらしい従兄弟のローマ皇帝コンスタンティウス2世に警戒され、不遇の少年・青年時代を過ごします。ユリアヌスはキリスト教徒として育てられましたが、この不遇時代にユリアヌスは新プラトン主義の影響を強く受け、当時すでにローマ帝国内で大きな勢力を有するようになっていたキリスト教への違和感を強めていき、それが即位後の「伝統宗教復興」につながっていくようです。もっとも、ユリアヌスの「伝統宗教復興」とは、共和国時代のローマのそれというよりは、古代ギリシア文化の再生という信条が大きかったようです。
この不遇なユリアヌスがローマ帝国の皇帝に即位する契機となったのは、コンスタンティウス2世から副帝に任命されたことでした。コンスタンティウス2世がその強い猜疑心による警戒のあまり、ユリアヌスの兄も含めて多くの親族を殺害してしまったため、広大なローマ帝国領を分割して統治するさいに、それを任せられるにふさわしい年齢の男性親族がユリアヌスしかいなかった、という事情があったわけです。コンスタンティウス2世にとって、ユリアヌスを副帝に抜擢するのは不本意だったでしょうが、コンスタンティウス2世は自らの側近に政治・軍事を主導させ、ユリアヌスはお飾りの権威として機能すればよい、という体制を築こうとしていたようです。
しかしユリアヌスは、副帝として軍事行動でしだいに指導力を発揮していき、大きな功績を挙げるようになります。統治者としてのユリアヌスのこうした行動を、コンスタンティウス2世の方針から「逸脱」していった、と本書は評価しています。兵士たちからの信望が高まっていき、ついにユリアヌスは皇帝(正帝)に推戴されます。これはコンスタンティウス2世への明らかな反逆であり、さらに大きな「逸脱」だった、と本書は評価しています。ユリアヌスとコンスタンティウス2世との対立は、コンスタンティウス2世の急死によりあっけなく収束し、ユリアヌスは正式にローマ帝国の皇帝として君臨します。
副帝時代には「伝統宗教復興」の方針を強く打ち出していなかったユリアヌスですが、コンスタンティウス2世との対立が表面化すると、次第に「伝統宗教復興」を強く掲げるようになります。これには、キリスト教を深く信仰していたコンスタンティウス2世への対抗という側面もあったようです。ユリアヌスは、ディオクレティアヌス帝以前のような大々的なキリスト教迫害を実行したわけではなく、信仰の自由を掲げたわけですが、皇帝のコンスタンティウス2世が熱心な信者だったように、当時キリスト教はすでにローマ帝国において大きな勢力を有していました。そのような状況のローマ帝国において、皇帝に即位したユリアヌスはキリスト教へのローマ皇帝からの保護・支援を停止し、さらには「伝統宗教復興」を掲げてキリスト教を教育の場から追放しようとしました。
このようなユリアヌスの政策は、キリスト教勢力にとって迫害と受け取られても不思議ではなかった、と言えそうです。こうしたユリアヌスの政策は、当時のローマ帝国の在り様からは「逸脱」していた、と本書は評価しています。さらに本書は、対キリスト教政策だけではなく、禁欲的な志向の強かったユリアヌスが、質素な衣服で簡素な生活を送っていたことも、当時のローマ皇帝の規範から「逸脱」していた、と評価しています。皇帝が専制的な性格を強めていき(専制君主政)、荘厳な儀式に権威を依拠するようになっていた軍人皇帝時代後のローマ帝国において、ユリアヌスはローマ皇帝のあるべき道から「逸脱」していた、というわけです。
また、ユリアヌスの禁欲的な姿勢が、東方で市民から反感を買っていたことも指摘されています。専制君主政からのユリアヌスの「逸脱」について、法を超越する存在としてのローマ皇帝像にたいして、ユリアヌスは皇帝も法を順守する存在であるべきだと考えていた、とも本書は指摘しています。まさにさまざまな点において、ユリアヌスは当時のローマ皇帝の規範から「逸脱」した存在であり、逆にユリアヌスの「逸脱」から、当時のローマ帝国の性格が浮き彫りにされる、というわけです。
このようにユリアヌスを「逸脱」の皇帝として把握する本書ですが、ユリアヌスが積極的にサーサーン王朝と対決しようとしたことは、軍事的功績を挙げることにより威信を確立しようとしたローマ皇帝の規範に則ったものである、と評価しています。数々の「逸脱」により当時としては異色の存在と言えそうなユリアヌスが、珍しくローマ皇帝の規範に則ったのは、それまでの実績によりユリアヌスが自身の軍事的才能に自信を有していたためなのかもしれません。しかし、ユリアヌスはそのサーサーン王朝との対決で戦死してしまいます。本書はそこに、歴史の皮肉を見ているように思われます。
本書はユリアヌスの伝記であるとともに、ユリアヌスを「逸脱」の皇帝として把握することにより、当時のローマ帝国の性格を浮き彫りにしています。世界史リブレットということで、分量の少ない簡略な伝記になっていますが、個人的には当たりの一冊でした。
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