久保健一郎『戦国大名の兵粮事情』
歴史文化ライブラリーの一冊として、吉川弘文館より2015年12月に刊行されました。本書は兵粮事情から戦国時代の経済・社会状況を検証しています。本書は兵粮をモノとカネの二つの側面で把握しています。もちろん、兵粮は食として消費されるわけですが、それだけではなく、カネのように運用されることもあるわけです。兵粮とはコメを指すことが多いようですが、近世の石高制ではまさにコメがカネ・価値基準として通用しているのであり、石高制の成立にカネとしての兵粮の深化があったのではないか、との見通しが本書では提示されています。
本書は、戦国時代よりも前の中世の兵粮事情の解説にも少し分量を割いています。中世前期には、兵粮は戦争のたびにモノとして賦課されていました。それが兵粮料というかたちで戦費として収取されるようになり、さらには、あらかじめ在地の年貢から控除されることなどを通じて、しだいにカネとしても認識されるようになった、というのが本書の見通しです。戦国時代には、さまざまな階層の人々が兵粮をカネとして運用していました。また、戦国大名は領国の危機にさいして、領国の食糧すべてを兵粮として管理・統制しようとします。しかし、それは大名権力の強化を意味するとは限らず、領国の危機が去れば、兵粮として徴収された食糧も返却されました。
戦国時代には、戦乱が長期化・恒常化するなかで、戦いに備えて兵粮の流通が活性化し、兵粮はモノとしてもカネとしても深化していくことになります。戦いに備えてそうした性格の兵粮の消費が進み、戦時には兵粮がおびただしく消費されました。戦国大名はそうした兵粮の流通をじゅうぶん統制できたわけではなく、近代国家の軍隊のような集権的・統制的な兵粮の運用はとてもできませんでした。こうした兵粮の統制の不徹底は、島原の乱の事例からも窺えるように、近世の統一政権になっても基本的には変わらなかったようです。
そうした兵粮を中心とした戦国時代の経済・社会において、武士から百姓まで多くの人々が借銭借米に苦しむことになりましたが、すべての人々が貧困に苦しんだわけではなく、兵粮が遍在していたことを、本書は強調しています。戦国大名は、多くの人々が借銭借米に苦しむなか、救済策を講じたものの、領国運営のためには、戦国時代の経済の「勝ち組」であることの多かった金融業者を優遇せねばならず、その救済策は不徹底なものになってしまいました。本書は兵粮から見た戦国時代の経済・社会像を提示しており、なかなか興味深い見解が提示されているので、この観点からの研究の進展が期待されます。
本書は、戦国時代よりも前の中世の兵粮事情の解説にも少し分量を割いています。中世前期には、兵粮は戦争のたびにモノとして賦課されていました。それが兵粮料というかたちで戦費として収取されるようになり、さらには、あらかじめ在地の年貢から控除されることなどを通じて、しだいにカネとしても認識されるようになった、というのが本書の見通しです。戦国時代には、さまざまな階層の人々が兵粮をカネとして運用していました。また、戦国大名は領国の危機にさいして、領国の食糧すべてを兵粮として管理・統制しようとします。しかし、それは大名権力の強化を意味するとは限らず、領国の危機が去れば、兵粮として徴収された食糧も返却されました。
戦国時代には、戦乱が長期化・恒常化するなかで、戦いに備えて兵粮の流通が活性化し、兵粮はモノとしてもカネとしても深化していくことになります。戦いに備えてそうした性格の兵粮の消費が進み、戦時には兵粮がおびただしく消費されました。戦国大名はそうした兵粮の流通をじゅうぶん統制できたわけではなく、近代国家の軍隊のような集権的・統制的な兵粮の運用はとてもできませんでした。こうした兵粮の統制の不徹底は、島原の乱の事例からも窺えるように、近世の統一政権になっても基本的には変わらなかったようです。
そうした兵粮を中心とした戦国時代の経済・社会において、武士から百姓まで多くの人々が借銭借米に苦しむことになりましたが、すべての人々が貧困に苦しんだわけではなく、兵粮が遍在していたことを、本書は強調しています。戦国大名は、多くの人々が借銭借米に苦しむなか、救済策を講じたものの、領国運営のためには、戦国時代の経済の「勝ち組」であることの多かった金融業者を優遇せねばならず、その救済策は不徹底なものになってしまいました。本書は兵粮から見た戦国時代の経済・社会像を提示しており、なかなか興味深い見解が提示されているので、この観点からの研究の進展が期待されます。
この記事へのコメント