中期更新世の人骨の核DNA解析(追記有)
中期更新世の人骨の核DNAの解析結果に関する研究(Meyer et al., 2016)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。この中期更新世の人骨の核DNAの解析結果については、すでに昨年(2015年)9月10日~12日にかけてロンドンで開催された人間進化研究ヨーロッパ協会の第5回総会で報告されており(関連記事)、概要はその報告と基本的に変わりません。
この研究が分析対象としたのは、さまざまな部位の豊富な人骨が一括して発見されている中期更新世の遺跡として有名な、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された人骨群です。SH遺跡では少なくとも28個体分となる6700個以上の人骨が発見されており、その年代は43万年前頃と推定されています。この研究は、SH人骨群のDNAを、現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や、南西シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と比較しています。中期更新世のSH遺跡の人骨のDNA解析に成功した要因として、考古学者たちが慎重に人骨を保存していたことが指摘されています。
SH遺跡の人骨群は、形態的には、ネアンデルタール人の派生的特徴が認められる一方で、祖先的特徴も有しており、ネアンデルタール人の祖先集団か、その近縁集団だと考えられています(関連記事)。ネアンデルタール人の派生的特徴は短期間に一括して出現したのではないだろう、というわけです。しかし、SH遺跡の「大腿骨18」のミトコンドリアDNAが解析されると、事態は混乱してきます。「大腿骨18」のミトコンドリアDNAは、ネアンデルタール人よりもデニソワ人の方と近縁でした(関連記事)。
ミトコンドリアDNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統とが分岐し、その後にネアンデルタール人の系統と現生人類の系統とが分岐したことになります(関連記事)。ところが、核DNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人およびネアンデルタール人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統とが分岐し、その後にデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人の祖先系統とが分岐したことになります(関連記事)。
このように、SH集団・デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類をめぐる進化系統樹における位置づけは混乱しており、昨年公表されたデニソワ人の新たなDNA解析でも、同様の結果が得られました(関連記事)。母系のみでの遺伝となるミトコンドリアDNAよりは、核DNAに基づく系統樹の方がより実態を反映しているだろう、というのが一般的な見解でしょうが、ミトコンドリアDNAと核DNAでの系統樹の違いをどう説明するのか、という問題は残ります。
この問題に関しては、「デニソワ人型」のミトコンドリアDNAは、これらの系統の人類よりもっと前に分岐したホモ属の人類系統からもたらされたのではないか、などといった複数の仮説が提示されており、議論が続いています。そのような混乱した状況において、この研究は、SH集団の新たな核およびミトコンドリアのDNA解析に成功したわけですから、この問題の解明に大きく貢献した、と言えるでしょう。
まずSH人骨群の新たな核DNA解析についてですが、大腿骨破片と門歯が報告されています。その解析・比較結果から、SH集団はデニソワ人よりもネアンデルタール人の方と近縁である、ということが明らかになりました。一方、SH人骨群の新たなミトコンドリアDNA解析についてですが、大腿骨破片・門歯・臼歯・肩甲骨が報告されています。その解析・比較結果から、以前の解析結果と同様に、SH集団はネアンデルタール人や現生人類よりもデニソワ人の方と近縁であることが明らかになりました。このように、SH集団は、核DNAではデニソワ人よりもネアンデルタール人の方に、ミトコンドリアDNAではネアンデルタール人よりもデニソワ人の方に近縁である、ということになります。
核DNAの解析からは、現生人類の祖先系統とネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統とがおそらく75万~55万年前頃までには分岐し、その後の遅くとも43万年前頃までには、デニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人の祖先系統が分岐したことになります。SH集団は、デニソワ人の系統とネアンデルタール人の系統が分岐した後に、ネアンデルタール人の直接の祖先系統と分岐したか、ネアンデルタール人の直接の祖先系統である、ということになりそうです。上述したように、形態的にSH集団はネアンデルタール人の祖先集団もしくはその近縁集団と推測されており、核DNAの解析結果はこの推測を裏づけます。ミトコンドリアDNAの解析結果からは、ネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統とデニソワ人およびSH集団の共通祖先系統が分岐した後に、デニソワ人の祖先系統とSH集団の系統とが分岐したことになります。
SH集団の新たな核およびミトコンドリアのDNAの解析により、中期更新世以降の人類の進化を解明する重要な手がかりが得られましたが、問題が解決したわけではなく、さらに検証・議論が続いてく結果になった、と言えそうです。現時点では複数の仮説が想定されますが、この研究は、SH集団はネアンデルタール人の祖先系統であり、ネアンデルタール人の系統のミトコンドリアDNAは、その進化史の後期において変わったのではないか、との見解を提示しています。
これまで、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の進化系統樹が、核DNAとミトコンドリアDNAとで食い違うことについて、デニソワ人がデニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万~100万年前頃に分岐したと推定される遺伝学的に未知の系統の人類と交雑したと推測されていることから(関連記事)、「デニソワ人型」のミトコンドリアDNAはその未知の系統の人類からもたらされたのではないか、との推測の方が有力だったように思われます。
しかしこの研究は、SH集団のミトコンドリアおよび核のDNA解析の結果を踏まえて、ネアンデルタール人の祖先系統は本来「デニソワ人型」のミトコンドリアDNAを有していたのであり、後期ネアンデルタール人においてミトコンドリアDNAが置換されたのではないか、との見解を提示しています。本論文の筆頭著者のミーヤー(Matthias Meyer)博士は、アフリカからユーラシアに移住してきた遺伝学的に未知の人類系統がネアンデルタール人と交雑し、「後期ネアンデルタール人型」のミトコンドリアDNAをもたらした可能性が高いのではないか、と指摘しています。その考古学的根拠として、アフリカからユーラシアへの石器技術の拡散が、50万年前頃と、その後の25万年前頃に起きたことが挙げられています。
この見解は、デニソワ人の新たなDNA解析に関するこのブログの記事のコメント欄で頂いた、「デニソワ人とネアンデルタール人の共通祖先から、ネアンデルタール人が分岐する際に、より後に出アフリカした(つまり現生人類と後に分岐した)集団のミトコンドリアDNAを母系から取りこんで、ネアンデルタール人になって行った」という指摘と通ずるものです。この見解については、指摘を受けるまでほとんど想定していませんでした。ここは過疎ブログなので読者もコメントも少ないのですが、このように有益な指摘もあるので、コメント欄は開放し続けておくべきかな、と改めて思うとともに、感謝する次第です。この分野の研究の進展は著しいので、今後も最新の研究動向をできるだけ追いかけるつもりです。
参考文献:
Meyer M. et al.(2016): Nuclear DNA sequences from the Middle Pleistocene Sima de los Huesos hominins. Nature, 531, 7595, 504–507.
http://dx.doi.org/10.1038/nature17405
追記(2016年3月24日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化生物学:シマ・デ・ロス・ウエソスの中期更新世ヒト族の核DNA塩基配列
進化生物学:中期更新世のスペインにいたヒト族はネアンデルタール人に近縁だった
スペイン、シエラ・デ・アタプエルカのシマ・デ・ロス・ウエソスで発見された中期更新世のヒト族について、新たに行われたゲノム解析から、このヒト族がデニソワ人よりもネアンデルタール人に近縁なことが明らかになり、ネアンデルタール人とデニソワ人の分岐が43万年以上前であることが示された。これらの標本のミトコンドリアゲノム解析に基づく以前の報告では、デニソワ人に近縁なことが示唆されていたが、それだと、後期更新世のネアンデルタール人と形態的特徴を共有していることなど他の考古学的証拠と符合しなかった。
この研究が分析対象としたのは、さまざまな部位の豊富な人骨が一括して発見されている中期更新世の遺跡として有名な、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された人骨群です。SH遺跡では少なくとも28個体分となる6700個以上の人骨が発見されており、その年代は43万年前頃と推定されています。この研究は、SH人骨群のDNAを、現生人類(Homo sapiens)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や、南西シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と比較しています。中期更新世のSH遺跡の人骨のDNA解析に成功した要因として、考古学者たちが慎重に人骨を保存していたことが指摘されています。
SH遺跡の人骨群は、形態的には、ネアンデルタール人の派生的特徴が認められる一方で、祖先的特徴も有しており、ネアンデルタール人の祖先集団か、その近縁集団だと考えられています(関連記事)。ネアンデルタール人の派生的特徴は短期間に一括して出現したのではないだろう、というわけです。しかし、SH遺跡の「大腿骨18」のミトコンドリアDNAが解析されると、事態は混乱してきます。「大腿骨18」のミトコンドリアDNAは、ネアンデルタール人よりもデニソワ人の方と近縁でした(関連記事)。
ミトコンドリアDNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統とが分岐し、その後にネアンデルタール人の系統と現生人類の系統とが分岐したことになります(関連記事)。ところが、核DNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人およびネアンデルタール人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統とが分岐し、その後にデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人の祖先系統とが分岐したことになります(関連記事)。
このように、SH集団・デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類をめぐる進化系統樹における位置づけは混乱しており、昨年公表されたデニソワ人の新たなDNA解析でも、同様の結果が得られました(関連記事)。母系のみでの遺伝となるミトコンドリアDNAよりは、核DNAに基づく系統樹の方がより実態を反映しているだろう、というのが一般的な見解でしょうが、ミトコンドリアDNAと核DNAでの系統樹の違いをどう説明するのか、という問題は残ります。
この問題に関しては、「デニソワ人型」のミトコンドリアDNAは、これらの系統の人類よりもっと前に分岐したホモ属の人類系統からもたらされたのではないか、などといった複数の仮説が提示されており、議論が続いています。そのような混乱した状況において、この研究は、SH集団の新たな核およびミトコンドリアのDNA解析に成功したわけですから、この問題の解明に大きく貢献した、と言えるでしょう。
まずSH人骨群の新たな核DNA解析についてですが、大腿骨破片と門歯が報告されています。その解析・比較結果から、SH集団はデニソワ人よりもネアンデルタール人の方と近縁である、ということが明らかになりました。一方、SH人骨群の新たなミトコンドリアDNA解析についてですが、大腿骨破片・門歯・臼歯・肩甲骨が報告されています。その解析・比較結果から、以前の解析結果と同様に、SH集団はネアンデルタール人や現生人類よりもデニソワ人の方と近縁であることが明らかになりました。このように、SH集団は、核DNAではデニソワ人よりもネアンデルタール人の方に、ミトコンドリアDNAではネアンデルタール人よりもデニソワ人の方に近縁である、ということになります。
核DNAの解析からは、現生人類の祖先系統とネアンデルタール人およびデニソワ人の共通祖先系統とがおそらく75万~55万年前頃までには分岐し、その後の遅くとも43万年前頃までには、デニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人の祖先系統が分岐したことになります。SH集団は、デニソワ人の系統とネアンデルタール人の系統が分岐した後に、ネアンデルタール人の直接の祖先系統と分岐したか、ネアンデルタール人の直接の祖先系統である、ということになりそうです。上述したように、形態的にSH集団はネアンデルタール人の祖先集団もしくはその近縁集団と推測されており、核DNAの解析結果はこの推測を裏づけます。ミトコンドリアDNAの解析結果からは、ネアンデルタール人および現生人類の共通祖先系統とデニソワ人およびSH集団の共通祖先系統が分岐した後に、デニソワ人の祖先系統とSH集団の系統とが分岐したことになります。
SH集団の新たな核およびミトコンドリアのDNAの解析により、中期更新世以降の人類の進化を解明する重要な手がかりが得られましたが、問題が解決したわけではなく、さらに検証・議論が続いてく結果になった、と言えそうです。現時点では複数の仮説が想定されますが、この研究は、SH集団はネアンデルタール人の祖先系統であり、ネアンデルタール人の系統のミトコンドリアDNAは、その進化史の後期において変わったのではないか、との見解を提示しています。
これまで、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の進化系統樹が、核DNAとミトコンドリアDNAとで食い違うことについて、デニソワ人がデニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万~100万年前頃に分岐したと推定される遺伝学的に未知の系統の人類と交雑したと推測されていることから(関連記事)、「デニソワ人型」のミトコンドリアDNAはその未知の系統の人類からもたらされたのではないか、との推測の方が有力だったように思われます。
しかしこの研究は、SH集団のミトコンドリアおよび核のDNA解析の結果を踏まえて、ネアンデルタール人の祖先系統は本来「デニソワ人型」のミトコンドリアDNAを有していたのであり、後期ネアンデルタール人においてミトコンドリアDNAが置換されたのではないか、との見解を提示しています。本論文の筆頭著者のミーヤー(Matthias Meyer)博士は、アフリカからユーラシアに移住してきた遺伝学的に未知の人類系統がネアンデルタール人と交雑し、「後期ネアンデルタール人型」のミトコンドリアDNAをもたらした可能性が高いのではないか、と指摘しています。その考古学的根拠として、アフリカからユーラシアへの石器技術の拡散が、50万年前頃と、その後の25万年前頃に起きたことが挙げられています。
この見解は、デニソワ人の新たなDNA解析に関するこのブログの記事のコメント欄で頂いた、「デニソワ人とネアンデルタール人の共通祖先から、ネアンデルタール人が分岐する際に、より後に出アフリカした(つまり現生人類と後に分岐した)集団のミトコンドリアDNAを母系から取りこんで、ネアンデルタール人になって行った」という指摘と通ずるものです。この見解については、指摘を受けるまでほとんど想定していませんでした。ここは過疎ブログなので読者もコメントも少ないのですが、このように有益な指摘もあるので、コメント欄は開放し続けておくべきかな、と改めて思うとともに、感謝する次第です。この分野の研究の進展は著しいので、今後も最新の研究動向をできるだけ追いかけるつもりです。
参考文献:
Meyer M. et al.(2016): Nuclear DNA sequences from the Middle Pleistocene Sima de los Huesos hominins. Nature, 531, 7595, 504–507.
http://dx.doi.org/10.1038/nature17405
追記(2016年3月24日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化生物学:シマ・デ・ロス・ウエソスの中期更新世ヒト族の核DNA塩基配列
進化生物学:中期更新世のスペインにいたヒト族はネアンデルタール人に近縁だった
スペイン、シエラ・デ・アタプエルカのシマ・デ・ロス・ウエソスで発見された中期更新世のヒト族について、新たに行われたゲノム解析から、このヒト族がデニソワ人よりもネアンデルタール人に近縁なことが明らかになり、ネアンデルタール人とデニソワ人の分岐が43万年以上前であることが示された。これらの標本のミトコンドリアゲノム解析に基づく以前の報告では、デニソワ人に近縁なことが示唆されていたが、それだと、後期更新世のネアンデルタール人と形態的特徴を共有していることなど他の考古学的証拠と符合しなかった。
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