石井公成 『聖徳太子 実像と伝説の間』
春秋社から2016年1月に刊行されました。著者はブログにて聖徳太子に関する最新の研究成果を公開しており(関連記事)、本書はそのブログ記事に基づいているところが少なくないので、その意味では意外な指摘の連続だったわけではありません。しかし、新規の内容も少なくないので、得るところが多々ありました。聖徳太子については、この十数年間、マスメディアで大きく取り上げられた「過激な」否定論が一般層にも広く浸透しているように思われますが、本書は、そうした否定論や今でも一部で見られる「信仰」のような肯定論に与することなく、諸史料に基づいて聖徳太子の実像に迫ろうとしています。
本書は、聖徳太子関連の文献には仏教経典をはじめとして仏教文献が多く用いられているものの、これまではその点で理解が充分ではなかった、と指摘します。著者は仏教文献のデータベース作成に関わった研究者の一人であり、その成果が本書では活かされています。このように、聖徳太子関連の文献でじゅうらい気づかれていなかったり注目されていなかったりする出典を多く明らかにしているのが本書の特徴です。これにより、聖徳太子研究の水準をさらに向上させているのではないか、と思います。
また、文献学だけではなく、考古学・美術史学の成果を積極的に取り入れていることも本書の特徴です。そうした検証の結果、本書の提示する聖徳太子像は、有力な天皇(大王)候補として推古朝で蘇我馬子とともに政治を主導し、仏教への理解も深めていった優秀な人物だった、というものです。本書は、『日本書紀』は独自の立場で潤色を加えてはいるものの、「過激な」否定論で想定されているよりも史実を反映していたのではないか、と指摘しています。現時点では、これが穏当な見解と言えそうです。
たとえば、「過激な」聖徳太子否定論では、『三経義疏』は中華地域の作だとされますが、本書は、『三経義疏』における仏教理解の古さと変格漢文の使用から、日本(倭)人の作であり、聖徳太子の作とは断定できないものの、その可能性は高い、との見解を提示しています。本書は、聖徳太子の生涯だけではなく、聖徳太子が各時代にどのように受け取られてきたのか、という問題も詳しく解説しており、聖徳太子について詳しく知りたい一般層にはお勧めの良書になっていると思います。
本書は、聖徳太子関連の文献には仏教経典をはじめとして仏教文献が多く用いられているものの、これまではその点で理解が充分ではなかった、と指摘します。著者は仏教文献のデータベース作成に関わった研究者の一人であり、その成果が本書では活かされています。このように、聖徳太子関連の文献でじゅうらい気づかれていなかったり注目されていなかったりする出典を多く明らかにしているのが本書の特徴です。これにより、聖徳太子研究の水準をさらに向上させているのではないか、と思います。
また、文献学だけではなく、考古学・美術史学の成果を積極的に取り入れていることも本書の特徴です。そうした検証の結果、本書の提示する聖徳太子像は、有力な天皇(大王)候補として推古朝で蘇我馬子とともに政治を主導し、仏教への理解も深めていった優秀な人物だった、というものです。本書は、『日本書紀』は独自の立場で潤色を加えてはいるものの、「過激な」否定論で想定されているよりも史実を反映していたのではないか、と指摘しています。現時点では、これが穏当な見解と言えそうです。
たとえば、「過激な」聖徳太子否定論では、『三経義疏』は中華地域の作だとされますが、本書は、『三経義疏』における仏教理解の古さと変格漢文の使用から、日本(倭)人の作であり、聖徳太子の作とは断定できないものの、その可能性は高い、との見解を提示しています。本書は、聖徳太子の生涯だけではなく、聖徳太子が各時代にどのように受け取られてきたのか、という問題も詳しく解説しており、聖徳太子について詳しく知りたい一般層にはお勧めの良書になっていると思います。
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