『天智と天武~新説・日本書紀~』第82話「決着」
これは2月11日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2016年2月25日号掲載分の感想です。前回は、近江朝廷側が大海人皇子(天武帝)側に降伏を申し出て、大海人皇子と大友皇子が近江大津宮にて二人きりで会ったところで終了しました。今回は、大友皇子が叔父である大海人皇子に謝罪する場面から始まります。大海人皇子の実父である蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)の前で、数々の非礼をお許しください、と大友皇子は大海人皇子に謝罪し、入鹿を模した仏像も傷をまったくつけていない状態で返す、と言います。
大友皇子は大海人皇子に、自分は父である天智帝(中大兄皇子)の敵である叔父上に全力で立ち向かったと自負しており、妻の十市皇女と息子の葛野王のことも叔父上がよく計らってくれると信じているので心配していない、と言った後、最後の願いを聞いてほしい、と申し出ます。大友皇子の最後の願いとは、大海人皇子の手にかかって死にたい、ということでした。涙を浮かべる大友皇子に、昔の顔に戻ったな、と言った大海人皇子は、大友皇子に刀を突き刺します。大友皇子は大海人皇子に感謝し、お慕いしていました、と言ってその短い生涯を終えます。大海人皇子は実父である入鹿を模した仏像の前で、自分もようやく復讐に終止符が打てそうだ、と呟きます。
年が明けて673年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)2月、法隆寺(斑鳩寺)に安置された入鹿を模した仏像の前で、大海人皇子は自分の即位式が明日行なわれることを報告します。法隆寺は作中でも全焼したはずですが(第71話)、この時点ですでに一部再建されていた、ということでしょうか。父である蘇我入鹿の名誉回復にやっと取り組める、と呟いた大海人皇子は、法隆寺を新たに造り直すことを誓い、自分が治める飛鳥の地を見守ってください、と父である入鹿(を模した仏像)に語りかけます。そちらに行った鵲と一緒に、この先もずっと、時を越えて、と大海人皇子は呟きます。ここで鵲の墓が描かれており、やはり鵲は、壬申の乱の瀬田橋の戦いにて討ち死にしたようです。初期から登場していた重要人物にしては、やけにあっさりとした退場で残念です。
この後、大海人皇子が673年2月27日に飛鳥浄御原宮で即位し(天武天皇)、「大君」とされていた君主号を「天皇」と改め、大臣を置かずに皇親政治に徹したことや、八色の姓の制定など朝廷の身分秩序を確立し、律令国家を強化するとともに、後の『古事記』・『日本書紀』につながる国史の基礎を作ったものの、完成を待たずして686年9月に崩御したことが語られます。どうも、天武朝の歴史というか天武天皇の事績に関しては、古典的な見解が採用されており、ひねった設定にはなっていないようです。
ここで時代は一気に720年5月まで進みます。平城京では藤原不比等(史)が完成した『日本紀(日本書紀)』を元正天皇に献上しました。成人後の不比等の登場は第37話以来となります。元正天皇からは労いの言葉がかけられ、光栄至極でございます、と不比等は答えます。元正天皇の容貌は、父である草壁皇子に似た感じで、つまりは天智帝系の顔です。たいへん美しいと伝わる元正天皇ですが、今回の描写ではそこまでの容貌ではなかったように思います。まあ、本作の基準からすると、どちらかというと美人顔の設定なのだな、とは思いますが。
群臣は、『日本紀』の完成をこの目で見られるとは感激したとか、天皇家の歴史を「正しく記す」ことに全力を尽くしたとか、天武天皇の代から編纂が始まったので40年近く経っているとか話していました。不比等は感慨深げに、長い歳月を費やしたものだ、と言います。その直後、不比等は倒れ、自邸に運ばれます。不比等は四人の息子たちの見守るなか、意識を回復します。この四人は、今回は明示されていませんが、おそらく武智麻呂・房前・宇合・麻呂なのでしょう。
不比等は、『日本紀』が完成したはずなのに、夢の中ではまだ半分もできていない、と言って編纂時の様子を想起します。不比等は編纂にさいして、御三方の名誉を守らねばならない、と執筆者たちに厳命していました。その三人とは、持統帝(鸕野讚良皇女)・天智帝・藤原(中臣)鎌足です。鸕野讚良皇女が夫の天武帝と不仲だったとか、天智帝が山科で沓を一つ残して薨去したとか、自分の父の鎌足が百済王子の余豊璋だとか書いてはならない、というわけです。不比等は、我が藤原一族は神の世から日本にいるのであり、悪意に満ちた戯言を記してはならない、と史官たちに厳命します。
よくぞ完成したものよ、と満足そうに不比等が呟くと、その息子たちは、父上はどんな困難なことでも決めたことは必ずやり遂げる、我々の誇りだ、と言います。不比等は息子たちに、次は娘の光明子(安宿媛)を皇后の座につける、と言いますが、息子たちは、皇后は皇族でなければならない、と言って驚きます。すると不比等が、それは誰が決めたのだ、これからこの国の全ては自分が決めるのだ、と力強く息子たちに宣言するところで、今回は終了です。
今回はあまりの急展開に、覚悟していたとはいえ、それでも茫然としてしまいました。大友皇子が願い通りに大海人皇子により殺されたところまではともかく、天武朝が1ページの説明文だけで語られてしまい、一気に奈良時代にまで進むとは、単行本第10集での完結(残り3話もしくは4話でしょう)は確実なのだな、と改めて思い知らされました。1年前には、「本編」の合間に今回のような奈良時代を描いた「未来パート」が時々挿入されるのかな、と予想していたのですが、壬申の乱があっさりと終わり、天武朝がほぼ全部省略されて奈良時代に突入し、謎解きが始まってしまいました。定恵(真人)死後の展開が速いので、打ち切りで当初の構想より早く完結することになり、壬申の乱が短縮され、天武朝もほぼ全部省略されたのかもしれません。まあ、これは私の邪推なので、当初からの構想通りなのかもしれませんが。
私の邪推はさておき、今回についてですが、大友皇子については、おおむね予想通りの最期でした。無理に大海人皇子への憎悪を抱いたものの、結局は善人の姿に戻って亡くなるという展開は、予定調和的なところもあるものの、悪くはなかったように思います。大友皇子の思考・言動が分かりやすかったのにたいして、大海人皇子の方は、定恵の死後はその意図がどうも分かりにくくなっています。今回、大海人皇子は復讐に終止符が打てそうだと言い、父である蘇我入鹿の名誉回復に取り組むことを明らかにしています。
大海人皇子の復讐が、なぜ大友皇子を殺すところまで行かねばならなかったのか、どうもよく分からないのですが、天智帝から後継者たる息子の大友皇子を奪おうという大海人皇子の計画(第62話)に基づくものと考えるべきなのでしょうか。そうだとすると、天智帝が生きていないと意味がないように思えるのですが、さすがに人物相関図でも死者扱いされていますから、天智帝が672年以降も生きていた、という話にはならないでしょうか。ただ、次回予告では「実質的な支配者(藤原不比等)の前に次号、謎の男が現れて!?」とありますから、それが天智帝なのかもしれません。もっとも、そうだとすると天智帝は90代半ばとなりますから、さすがにそれはないでしょうか。次回現れる謎の男は行信ではないか、とも思うのですが、自信はありません。
話が一気に奈良時代にまで進み、これから本格的な謎解きが始まるのでしょうが、残り3話か4話だと推測されるだけに、どこまで作中の謎が解明されるのか、不安も残ります。まず、大海人皇子が即位前に取り組むと意気込んでいた蘇我入鹿の名誉回復がけっきょく叶わなかったことについてですが、これは、不比等(史)がなぜ実質的な最高権力者になったのか、という謎でもあると思います。以前から私は、天武帝(大海人皇子)の後継者指名に関して、草壁皇子の擁立に史が大きく貢献し、鸕野讚良皇女から深く信頼された、という話になるのだと予想していました。
天武帝は自身に容貌が似て(これは作中で明示されているわけではなく、私の予想にすぎませんが)優秀な大津皇子を後継者にしたかったものの、天武帝の皇后である鸕野讚良皇女は息子の草壁皇子の即位に強くこだわり、不比等の支援を得て天武帝没後に大津皇子を葬り去ったのではないか、というわけです。さらに、鸕野讚良皇女が夫の天武帝と不仲だった、との今回の不比等の発言から推測すると、鸕野讚良皇女は不比等と謀って天武帝を暗殺したのではないか、とも思われます。鸕野讚良皇女は母の敵とも言える豊璋(不比等の父)を恨んでいましたが(第32話)、息子の即位のために貢献した不比等に関しては深く信頼したのかもしれません。
入鹿の名誉が回復されなかったことと関連して、本来は入鹿のことだったらしい聖徳太子が厩戸皇子のこととされた理由や、そもそも上宮王家は作中世界では存在したのか、という謎が解明されることも期待していますが、残り3話か4話だとすると、この謎が解明されることはないでしょうか。十市皇女が若くして亡くなったことも気になりますが、こちらも言及されるだけの余裕はもうなさそうです。天智帝の最期も大いに気になるところで、こちらは主人公だけにしっかりと語られるのではないか、と予想しています。
元正天皇の人物像も気になるところですが、残り3話か4話では掘り下げられることはないでしょう。今回初めて名前が語られた光明子に関しては、残り3話か4話で重要人物として描かれる可能性があると思います。入鹿を象った仏像は現在では法隆寺夢殿に救世観音像として安置(封印)されているのですが、これは、藤原四兄弟の相次ぐ病没に怯えた光明皇后(と聖武天皇?)の命によるのではないか、というのが私の予想です(関連記事)。
今回は、完結が近いことを思い知らされてかなり落ち込んでしまいましたが、一方で、最低限の謎解きはありそうで、何とかまとまった形で完結しそうだな、との道筋も見えてきましたので、絶望したというほどではありませんでした。新羅や唐も登場する「国際」情勢や、草壁皇子と大津皇子との関係などの天武朝における人間模様を見たかった、という思いもありますが、それは自分の妄想や他の読者の方々の考察で我慢しなければならないのでしょう。完結が間近に見えてきて寂しい限りですが、最後までしっかりと見届けたいものです。
大友皇子は大海人皇子に、自分は父である天智帝(中大兄皇子)の敵である叔父上に全力で立ち向かったと自負しており、妻の十市皇女と息子の葛野王のことも叔父上がよく計らってくれると信じているので心配していない、と言った後、最後の願いを聞いてほしい、と申し出ます。大友皇子の最後の願いとは、大海人皇子の手にかかって死にたい、ということでした。涙を浮かべる大友皇子に、昔の顔に戻ったな、と言った大海人皇子は、大友皇子に刀を突き刺します。大友皇子は大海人皇子に感謝し、お慕いしていました、と言ってその短い生涯を終えます。大海人皇子は実父である入鹿を模した仏像の前で、自分もようやく復讐に終止符が打てそうだ、と呟きます。
年が明けて673年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)2月、法隆寺(斑鳩寺)に安置された入鹿を模した仏像の前で、大海人皇子は自分の即位式が明日行なわれることを報告します。法隆寺は作中でも全焼したはずですが(第71話)、この時点ですでに一部再建されていた、ということでしょうか。父である蘇我入鹿の名誉回復にやっと取り組める、と呟いた大海人皇子は、法隆寺を新たに造り直すことを誓い、自分が治める飛鳥の地を見守ってください、と父である入鹿(を模した仏像)に語りかけます。そちらに行った鵲と一緒に、この先もずっと、時を越えて、と大海人皇子は呟きます。ここで鵲の墓が描かれており、やはり鵲は、壬申の乱の瀬田橋の戦いにて討ち死にしたようです。初期から登場していた重要人物にしては、やけにあっさりとした退場で残念です。
この後、大海人皇子が673年2月27日に飛鳥浄御原宮で即位し(天武天皇)、「大君」とされていた君主号を「天皇」と改め、大臣を置かずに皇親政治に徹したことや、八色の姓の制定など朝廷の身分秩序を確立し、律令国家を強化するとともに、後の『古事記』・『日本書紀』につながる国史の基礎を作ったものの、完成を待たずして686年9月に崩御したことが語られます。どうも、天武朝の歴史というか天武天皇の事績に関しては、古典的な見解が採用されており、ひねった設定にはなっていないようです。
ここで時代は一気に720年5月まで進みます。平城京では藤原不比等(史)が完成した『日本紀(日本書紀)』を元正天皇に献上しました。成人後の不比等の登場は第37話以来となります。元正天皇からは労いの言葉がかけられ、光栄至極でございます、と不比等は答えます。元正天皇の容貌は、父である草壁皇子に似た感じで、つまりは天智帝系の顔です。たいへん美しいと伝わる元正天皇ですが、今回の描写ではそこまでの容貌ではなかったように思います。まあ、本作の基準からすると、どちらかというと美人顔の設定なのだな、とは思いますが。
群臣は、『日本紀』の完成をこの目で見られるとは感激したとか、天皇家の歴史を「正しく記す」ことに全力を尽くしたとか、天武天皇の代から編纂が始まったので40年近く経っているとか話していました。不比等は感慨深げに、長い歳月を費やしたものだ、と言います。その直後、不比等は倒れ、自邸に運ばれます。不比等は四人の息子たちの見守るなか、意識を回復します。この四人は、今回は明示されていませんが、おそらく武智麻呂・房前・宇合・麻呂なのでしょう。
不比等は、『日本紀』が完成したはずなのに、夢の中ではまだ半分もできていない、と言って編纂時の様子を想起します。不比等は編纂にさいして、御三方の名誉を守らねばならない、と執筆者たちに厳命していました。その三人とは、持統帝(鸕野讚良皇女)・天智帝・藤原(中臣)鎌足です。鸕野讚良皇女が夫の天武帝と不仲だったとか、天智帝が山科で沓を一つ残して薨去したとか、自分の父の鎌足が百済王子の余豊璋だとか書いてはならない、というわけです。不比等は、我が藤原一族は神の世から日本にいるのであり、悪意に満ちた戯言を記してはならない、と史官たちに厳命します。
よくぞ完成したものよ、と満足そうに不比等が呟くと、その息子たちは、父上はどんな困難なことでも決めたことは必ずやり遂げる、我々の誇りだ、と言います。不比等は息子たちに、次は娘の光明子(安宿媛)を皇后の座につける、と言いますが、息子たちは、皇后は皇族でなければならない、と言って驚きます。すると不比等が、それは誰が決めたのだ、これからこの国の全ては自分が決めるのだ、と力強く息子たちに宣言するところで、今回は終了です。
今回はあまりの急展開に、覚悟していたとはいえ、それでも茫然としてしまいました。大友皇子が願い通りに大海人皇子により殺されたところまではともかく、天武朝が1ページの説明文だけで語られてしまい、一気に奈良時代にまで進むとは、単行本第10集での完結(残り3話もしくは4話でしょう)は確実なのだな、と改めて思い知らされました。1年前には、「本編」の合間に今回のような奈良時代を描いた「未来パート」が時々挿入されるのかな、と予想していたのですが、壬申の乱があっさりと終わり、天武朝がほぼ全部省略されて奈良時代に突入し、謎解きが始まってしまいました。定恵(真人)死後の展開が速いので、打ち切りで当初の構想より早く完結することになり、壬申の乱が短縮され、天武朝もほぼ全部省略されたのかもしれません。まあ、これは私の邪推なので、当初からの構想通りなのかもしれませんが。
私の邪推はさておき、今回についてですが、大友皇子については、おおむね予想通りの最期でした。無理に大海人皇子への憎悪を抱いたものの、結局は善人の姿に戻って亡くなるという展開は、予定調和的なところもあるものの、悪くはなかったように思います。大友皇子の思考・言動が分かりやすかったのにたいして、大海人皇子の方は、定恵の死後はその意図がどうも分かりにくくなっています。今回、大海人皇子は復讐に終止符が打てそうだと言い、父である蘇我入鹿の名誉回復に取り組むことを明らかにしています。
大海人皇子の復讐が、なぜ大友皇子を殺すところまで行かねばならなかったのか、どうもよく分からないのですが、天智帝から後継者たる息子の大友皇子を奪おうという大海人皇子の計画(第62話)に基づくものと考えるべきなのでしょうか。そうだとすると、天智帝が生きていないと意味がないように思えるのですが、さすがに人物相関図でも死者扱いされていますから、天智帝が672年以降も生きていた、という話にはならないでしょうか。ただ、次回予告では「実質的な支配者(藤原不比等)の前に次号、謎の男が現れて!?」とありますから、それが天智帝なのかもしれません。もっとも、そうだとすると天智帝は90代半ばとなりますから、さすがにそれはないでしょうか。次回現れる謎の男は行信ではないか、とも思うのですが、自信はありません。
話が一気に奈良時代にまで進み、これから本格的な謎解きが始まるのでしょうが、残り3話か4話だと推測されるだけに、どこまで作中の謎が解明されるのか、不安も残ります。まず、大海人皇子が即位前に取り組むと意気込んでいた蘇我入鹿の名誉回復がけっきょく叶わなかったことについてですが、これは、不比等(史)がなぜ実質的な最高権力者になったのか、という謎でもあると思います。以前から私は、天武帝(大海人皇子)の後継者指名に関して、草壁皇子の擁立に史が大きく貢献し、鸕野讚良皇女から深く信頼された、という話になるのだと予想していました。
天武帝は自身に容貌が似て(これは作中で明示されているわけではなく、私の予想にすぎませんが)優秀な大津皇子を後継者にしたかったものの、天武帝の皇后である鸕野讚良皇女は息子の草壁皇子の即位に強くこだわり、不比等の支援を得て天武帝没後に大津皇子を葬り去ったのではないか、というわけです。さらに、鸕野讚良皇女が夫の天武帝と不仲だった、との今回の不比等の発言から推測すると、鸕野讚良皇女は不比等と謀って天武帝を暗殺したのではないか、とも思われます。鸕野讚良皇女は母の敵とも言える豊璋(不比等の父)を恨んでいましたが(第32話)、息子の即位のために貢献した不比等に関しては深く信頼したのかもしれません。
入鹿の名誉が回復されなかったことと関連して、本来は入鹿のことだったらしい聖徳太子が厩戸皇子のこととされた理由や、そもそも上宮王家は作中世界では存在したのか、という謎が解明されることも期待していますが、残り3話か4話だとすると、この謎が解明されることはないでしょうか。十市皇女が若くして亡くなったことも気になりますが、こちらも言及されるだけの余裕はもうなさそうです。天智帝の最期も大いに気になるところで、こちらは主人公だけにしっかりと語られるのではないか、と予想しています。
元正天皇の人物像も気になるところですが、残り3話か4話では掘り下げられることはないでしょう。今回初めて名前が語られた光明子に関しては、残り3話か4話で重要人物として描かれる可能性があると思います。入鹿を象った仏像は現在では法隆寺夢殿に救世観音像として安置(封印)されているのですが、これは、藤原四兄弟の相次ぐ病没に怯えた光明皇后(と聖武天皇?)の命によるのではないか、というのが私の予想です(関連記事)。
今回は、完結が近いことを思い知らされてかなり落ち込んでしまいましたが、一方で、最低限の謎解きはありそうで、何とかまとまった形で完結しそうだな、との道筋も見えてきましたので、絶望したというほどではありませんでした。新羅や唐も登場する「国際」情勢や、草壁皇子と大津皇子との関係などの天武朝における人間模様を見たかった、という思いもありますが、それは自分の妄想や他の読者の方々の考察で我慢しなければならないのでしょう。完結が間近に見えてきて寂しい限りですが、最後までしっかりと見届けたいものです。
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