玉木俊明『ヨーロッパ覇権史』

 これは1月31日分の記事として掲載しておきます。ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2015年10月に刊行されました。本書の問題意識の前提として、アジアの高い経済成長とヨーロッパの混迷が見られる現代社会においても、ヨーロッパ発の規範は依然として強く、現代人は「ヨーロッパ化した世界」に生きている、との認識があります。さらに、本書では明言されていませんが、「未開拓の土地」を前提として持続的な経済成長を志向するヨーロッパ発の近代世界システムは行き詰っており、新たなシステムが形成されるであろうものの、その端緒さえ見えていない現時点において、ヨーロッパ発の近代世界システムがいかに形成されてきたのか検証することにより、次の世界システムをよりよくする手がかりがつかめるのではないか、との問題意識も本書にはあるように思われます。

 本書の題名は抽象的なので、題名からは具体的な内容を予想しにくいのですが、網羅的な歴史ではなく、政治・外交・(狭義の)文化は言及されておらず、基本的には経済史となっています。その他には、軍事史も多少取り上げられています。本書は、近代以降にヨーロッパ発の仕組みが世界中を覆ったことを改めて強調していますが、ヨーロッパの他地域、とくにアジアに対する優越はさほど昔からではなく、19世紀になってからだ、と指摘しています。長くアジアにたいして劣勢だったヨーロッパがアジアをはじめとして他地域にたいする圧倒的な優位をどのように築いていったのか、ということを本書は経済史から解説しています。

 本書は、ヨーロッパが他地域にたいする優越を築いた要因として、アメリカ大陸をはじめとして「未開拓の土地」を得て有益な資源を生産・獲得できたことと、軍事革命が重要な役割を果たした複数の主権国家の成立および競合、印刷技術の発達が可能にした情報伝達の拡散・高精度化による経済的規範の拡大などを挙げています。ヨーロッパ列強は「未開拓の土地」を植民地化していき、いわゆる帝国主義の時代が到来するのですが、それが可能となった前提として、本書は軍事革命を重視しています。軍事革命による軍事的優越の結果、ヨーロッパは自らの作った規範を他地域に浸透させることが可能となり、現代まで「ヨーロッパ化」の時代が続いている、というわけです。

 本書はさらに、ヨーロッパのなかでも他国・他地域に規範を浸透させることが可能だった覇権国家はオランダとイギリスであり(第二次世界大戦後はアメリカ合衆国)、オランダの影響力が限定的だったのにたいして、イギリスの影響力は世界中に及んだ、と指摘しています。イギリスはオランダと違い、国家の経済への介入が強く、財政をはじめとして中央集権的な国家体制を築けたことが世界中に強い影響力を及ぼすことにつながった、というのが本書の見解です。

 本書の視点で興味深いのは、世界システム論に基本的には依拠しつつも、世界システム論でもその批判でも軽視されていた、流通の問題を重視していることです。流通をどこがどの程度掌握するのかということが、覇権確立にさいして重要である、と本書は指摘しています。原材料地と加工生産地という関係だけでは、支配と従属の関係が決まるわけではない、というわけです。流通の掌握には軍事力、とくに海軍力が重要な役割を果たし、この点からも本書は軍事革命の意義を強調しています。また、現代社会において「未開拓の土地」が「今までなら労働者が手にしていた賃金」になっているのではないか、との指摘も興味深いものです。こうした点からも、本書は近代世界システムの行き詰まりを指摘しています。

 本書は、ヨーロッパ発の規範が近代になって世界をどのように覆い、それが現代にまで続いているのか、ということを経済史の観点から分かりやすく解説しています。世界システム論(の改良版)の解説にもなっており、この点でも有益だと思います。ただ、政治・外交・(狭義の)文化は基本的に言及されていないので、近代において世界中に及ぶ規範を築いた覇権国家としてイギリスの役割のみが強調されており、たとえばフランスの役割には言及されていません。新書という性格上、仕方のないところかもしれませんが、政治も含めて広義の文化という視点からも、ヨーロッパ覇権史が論じられていればもっとよかったかな、とは思います。

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