Curtis William Marean「史上最強の侵略種ホモ・サピエンス」
これは12月4日分の記事として掲載しておきます。『日経サイエンス』2016年1月号の記事です。本論考は、それまでの人類とは異なり世界中へと拡散した現生人類(Homo sapiens)を「史上最強の侵略種」と把握しています。この認識自体は、妥当なところが多分にあると思います。現生人類がアフリカから拡散を始めた時には、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)やデニソワ人(種区分未定)やホモ属の新種とされる更新世フローレス島人(Homo floresiensis)など複数の先住人類が世界中に存在していました。しかし、更新世の末までには、そうした先住人類は(その一部は交雑により現生人類に吸収される形で)絶滅しました。また、現生人類が地球全体へと拡散する過程で、多くの大型動物が絶滅しました。
本論考は現生人類がそのように「地球全体を征服」できた理由を考察し、人類のなかでも現生人類に特有の新たな社会的行動の進化と、革新的技術である高度な投射武器の開発を挙げています。新たな社会的行動の進化とは、血縁関係だけに依存しない、ひじょうに協力的な行動のことです。これが、個体間の緊密な協力とともに、他集団との熾烈な競争をもたらした、と本論考は指摘しています。一般的には肯定的に語られる協力性と、一般的には否定的に語られる残虐性とが同居しているのではないか、というわけです。本論考は、現生人類に見られるこの強い協同性を「超向社会性」と呼んでいます。
本論考は、この「超向社会性」は学習して獲得した性向ではなく、生得的(遺伝的)なものである、と主張しています。本論考は、「超向社会性」が選択される条件として、集団間の競争が熾烈で、総人口が少なく、質の高い資源が密集した環境である、と推測しています。その具体的な場所として本論考が挙げているのは、アフリカ南部沿岸です。予測がつきやすく価値の高い密集資源たる貝の存在するアフリカ南部沿岸で、現生人類の「超向社会性」は進化していったのではないか、というわけです。この「超向社会性」に革新的技術である高度な投射武器が加わったことで、現生人類は地球を「征服」できた、というのが本論考の見通しです。
「超向社会性」も高度な投射武器も有さなかった、ネアンデルタール人など現生人類ではない系統の人類は、現生人類により滅亡に追い込まれ、それまで人類と接触経験のなかったオーストラリア大陸(寒冷期にはサフルランドの一部)やアメリカ大陸の大型動物も、現生人類により絶滅に追い込まれたのだ、と本論考は推測しています。ただ、更新世末の大型動物の絶滅理由に関しては、人為的なのか自然環境的なのかをめぐって、議論が続いています(関連記事)。
また本論考は、ネアンデルタール人絶滅の要因を、現生人類との資源獲得競争での敗北というよりも、現生人類によるネアンデルタール人の殺戮として把握しています。かつて現生人類多地域進化説の論者たちが、現生人類アフリカ単一起源説を批判するさいに用い、単一起源説の論者たちが否定した、殺戮者としての現生人類という見解が甦ったようにも思われます。
以上、本論考についてざっと見てきました。本論考は、現生人類の10万年前頃の出アフリカは中東止まりだった、との見解を提示していますが、中国で発見された人類の歯の分析(関連記事 )から、疑問の残るところです。もっとも、これは本論考の趣旨に大きく影響する問題ではないでしょう。本論考で問題となるのは、「超向社会性」が現生人類に認められるのは間違いないとしても、それがネアンデルタール人など他系統の人類には存在しなかったのか、ということです。
一般論として、存在しなかったことを証明するのはたいへん難しいわけですから、私の疑問は難癖と言われても仕方ないかもしれませんが、本論考の核となるこの箇所が弱いことは否定できないと思います。それでも、本論考の見解はなかなか興味深く、現生人類の拡散を信頼への裏切りにたいする処罰・報復感情で説明する研究(関連記事)とも通ずるところがあるように思われ、注目されます。本論考は、現生人類の「超向社会性」は遺伝的であると主張しているので、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人とのゲノム比較により、将来的には本論考の見解が証明されるようになるのかもしれません。ただ、それまでは複数ある検証すべき仮説の一つとして扱われるべきだと思います。
ネアンデルタール人の絶滅に関しては、複数の仮説が提示されています(関連記事 )。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅理由は複合的なものであり、各地域により、ネアンデルタール人が絶滅した理由は異なるのではないか、と思います。おそらく多くの地域で、本論考が推測しているように、ネアンデルタール人の消滅に現生人類が関わっていた可能性は高いでしょうが、その理由を一般化することには慎重でなければいけないでしょう。とくに、本論考が想定しているような、現生人類によるネアンデルタール人の直接的な殺害は、人口密度の低い時代にどれだけ起こり得たのか、疑問が残ります。また、現生人類とは関わりなく、ネアンデルタール人が消滅した地域もあったかもしれません。ネアンデルタール人の絶滅理由については、今後も研究の動向を追いかけていき、このブログで随時取り上げていく予定です。
参考文献:
Marean CW. (2016)、『日経サイエンス』編集部訳「史上最強の侵略種ホモ・サピエンス」『日経サイエンス』2016年1月号
本論考は現生人類がそのように「地球全体を征服」できた理由を考察し、人類のなかでも現生人類に特有の新たな社会的行動の進化と、革新的技術である高度な投射武器の開発を挙げています。新たな社会的行動の進化とは、血縁関係だけに依存しない、ひじょうに協力的な行動のことです。これが、個体間の緊密な協力とともに、他集団との熾烈な競争をもたらした、と本論考は指摘しています。一般的には肯定的に語られる協力性と、一般的には否定的に語られる残虐性とが同居しているのではないか、というわけです。本論考は、現生人類に見られるこの強い協同性を「超向社会性」と呼んでいます。
本論考は、この「超向社会性」は学習して獲得した性向ではなく、生得的(遺伝的)なものである、と主張しています。本論考は、「超向社会性」が選択される条件として、集団間の競争が熾烈で、総人口が少なく、質の高い資源が密集した環境である、と推測しています。その具体的な場所として本論考が挙げているのは、アフリカ南部沿岸です。予測がつきやすく価値の高い密集資源たる貝の存在するアフリカ南部沿岸で、現生人類の「超向社会性」は進化していったのではないか、というわけです。この「超向社会性」に革新的技術である高度な投射武器が加わったことで、現生人類は地球を「征服」できた、というのが本論考の見通しです。
「超向社会性」も高度な投射武器も有さなかった、ネアンデルタール人など現生人類ではない系統の人類は、現生人類により滅亡に追い込まれ、それまで人類と接触経験のなかったオーストラリア大陸(寒冷期にはサフルランドの一部)やアメリカ大陸の大型動物も、現生人類により絶滅に追い込まれたのだ、と本論考は推測しています。ただ、更新世末の大型動物の絶滅理由に関しては、人為的なのか自然環境的なのかをめぐって、議論が続いています(関連記事)。
また本論考は、ネアンデルタール人絶滅の要因を、現生人類との資源獲得競争での敗北というよりも、現生人類によるネアンデルタール人の殺戮として把握しています。かつて現生人類多地域進化説の論者たちが、現生人類アフリカ単一起源説を批判するさいに用い、単一起源説の論者たちが否定した、殺戮者としての現生人類という見解が甦ったようにも思われます。
以上、本論考についてざっと見てきました。本論考は、現生人類の10万年前頃の出アフリカは中東止まりだった、との見解を提示していますが、中国で発見された人類の歯の分析(関連記事 )から、疑問の残るところです。もっとも、これは本論考の趣旨に大きく影響する問題ではないでしょう。本論考で問題となるのは、「超向社会性」が現生人類に認められるのは間違いないとしても、それがネアンデルタール人など他系統の人類には存在しなかったのか、ということです。
一般論として、存在しなかったことを証明するのはたいへん難しいわけですから、私の疑問は難癖と言われても仕方ないかもしれませんが、本論考の核となるこの箇所が弱いことは否定できないと思います。それでも、本論考の見解はなかなか興味深く、現生人類の拡散を信頼への裏切りにたいする処罰・報復感情で説明する研究(関連記事)とも通ずるところがあるように思われ、注目されます。本論考は、現生人類の「超向社会性」は遺伝的であると主張しているので、現生人類とネアンデルタール人やデニソワ人とのゲノム比較により、将来的には本論考の見解が証明されるようになるのかもしれません。ただ、それまでは複数ある検証すべき仮説の一つとして扱われるべきだと思います。
ネアンデルタール人の絶滅に関しては、複数の仮説が提示されています(関連記事 )。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅理由は複合的なものであり、各地域により、ネアンデルタール人が絶滅した理由は異なるのではないか、と思います。おそらく多くの地域で、本論考が推測しているように、ネアンデルタール人の消滅に現生人類が関わっていた可能性は高いでしょうが、その理由を一般化することには慎重でなければいけないでしょう。とくに、本論考が想定しているような、現生人類によるネアンデルタール人の直接的な殺害は、人口密度の低い時代にどれだけ起こり得たのか、疑問が残ります。また、現生人類とは関わりなく、ネアンデルタール人が消滅した地域もあったかもしれません。ネアンデルタール人の絶滅理由については、今後も研究の動向を追いかけていき、このブログで随時取り上げていく予定です。
参考文献:
Marean CW. (2016)、『日経サイエンス』編集部訳「史上最強の侵略種ホモ・サピエンス」『日経サイエンス』2016年1月号
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