丸島和洋『真田四代と信繁』
これは12月18日分の記事として掲載しておきます。平凡社新書の一冊として平凡社より2015年11月に刊行されました。著者は来年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』の時代考証担当者の一人です。真田四代とは、幸綱・信綱・昌幸・信之(信幸)という戦国時代~江戸時代初期にかけての真田家の当主のことです。この四人と昌幸の次男である信繁とに1章ずつ割かれており、全体では5章構成となっています。幸綱は以前には幸隆という名前で知られていましたが、諱(実名)は幸綱で、幸隆は法名(一徳斎幸隆)の一部である可能性が高いそうです。
戦国時代~江戸時代初期にかけての真田家を、国衆から近世大名へと変容・成長していった、と把握しているのが本書の特徴です。国衆は戦国大名に従属しているものの、自立性が高い、と本書では指摘されています。国衆は戦国大名の命により軍事的な奉公をするものの、内政面では基本的に戦国大名から干渉されない、というわけです。本書は、武田信玄(晴信)に仕えた後の真田幸綱が、激戦になったと伝わっている第四次川中島合戦の前年に、上杉謙信(長尾景虎)に太刀を進上していた、という事実を紹介しています。このような自立性が国衆の特徴なのでしょう。
「表裏比興者」と言われた昌幸は、武田家滅亡前後から豊臣政権に従属するまで、めまぐるしく従属先を変えており、それは創作ものでは面白い話にできそうなので、来年の大河ドラマ『真田丸』でも、この時期の真田家の描写には期待しています。ただ、この時期の真田家の動向は、昌幸自身の個性もあるにしても、国衆の基本的な性格に起因するものではないかな、と私には思われました。おそらく、昌幸の代の真田家の動向は、国衆として特異的なものではないのでしょう。
本書は真田家四代の前史にもそれなりに分量を割いています。幸綱よりも前の真田家の動向はよく分からないようですが、乏しい史料のなかから、本書は真田家の出自を何とか探ろうとしています。本書によると、どうも真田家は、信濃の土着豪族が中央貴族たる滋野氏と結びついて成立した海野氏から、鎌倉時代初期に分出した庶流家だったようです。室町時代にも、結城合戦などで幸綱の祖先らしい真田家の動向が窺えるのですが、その痕跡はたいへん少なく、はっきりと把握するのは今後も難しそうです。
真田家は幸綱の代に武田信玄に従属し、功績を積み重ねていくことで有力な国衆に成長していきました。信綱が真田家の当主となったのは幸綱の死後のこととも言われていましたが、本書は、幸綱の存命中にすでに信綱が当主だったことを改めて明らかにしています。信綱が長篠の戦いで討ち死にし、武藤家を継承していた弟の昌幸が真田家を継承します。本書によると、武田家で外様として扱われていた真田家は、武藤家を継承するなど譜代として扱われていた昌幸が当主となることで、譜代的性格が強くなっていたようです。武田家の滅亡に関しては、その前年の高天神城の陥落が大きな影響を有したのではないか、と本書では指摘されています。これにより、武田家の威信が決定的に低下したのではないか、というわけです。
本書がもっとも分量を割いているのは昌幸で、史料の残存状況もあるのでしょうが、真田家が国衆から独立した近世大名へと成長・変容していく過程で、昌幸の代が決定的だった、ということを反映しているようにも思われます。本書は、戦国時代~江戸時代初期の真田家の動向を詳しく取り上げることで、中世~近世の移行期の特色を浮き彫りにしているようにも思います。本書は全体的に読みやすい文章になっており、来年の大河ドラマの予習としてはもちろん、国衆の視点からの中世~近世の移行期の解説としても、良書と言えるでしょう。
戦国時代~江戸時代初期にかけての真田家を、国衆から近世大名へと変容・成長していった、と把握しているのが本書の特徴です。国衆は戦国大名に従属しているものの、自立性が高い、と本書では指摘されています。国衆は戦国大名の命により軍事的な奉公をするものの、内政面では基本的に戦国大名から干渉されない、というわけです。本書は、武田信玄(晴信)に仕えた後の真田幸綱が、激戦になったと伝わっている第四次川中島合戦の前年に、上杉謙信(長尾景虎)に太刀を進上していた、という事実を紹介しています。このような自立性が国衆の特徴なのでしょう。
「表裏比興者」と言われた昌幸は、武田家滅亡前後から豊臣政権に従属するまで、めまぐるしく従属先を変えており、それは創作ものでは面白い話にできそうなので、来年の大河ドラマ『真田丸』でも、この時期の真田家の描写には期待しています。ただ、この時期の真田家の動向は、昌幸自身の個性もあるにしても、国衆の基本的な性格に起因するものではないかな、と私には思われました。おそらく、昌幸の代の真田家の動向は、国衆として特異的なものではないのでしょう。
本書は真田家四代の前史にもそれなりに分量を割いています。幸綱よりも前の真田家の動向はよく分からないようですが、乏しい史料のなかから、本書は真田家の出自を何とか探ろうとしています。本書によると、どうも真田家は、信濃の土着豪族が中央貴族たる滋野氏と結びついて成立した海野氏から、鎌倉時代初期に分出した庶流家だったようです。室町時代にも、結城合戦などで幸綱の祖先らしい真田家の動向が窺えるのですが、その痕跡はたいへん少なく、はっきりと把握するのは今後も難しそうです。
真田家は幸綱の代に武田信玄に従属し、功績を積み重ねていくことで有力な国衆に成長していきました。信綱が真田家の当主となったのは幸綱の死後のこととも言われていましたが、本書は、幸綱の存命中にすでに信綱が当主だったことを改めて明らかにしています。信綱が長篠の戦いで討ち死にし、武藤家を継承していた弟の昌幸が真田家を継承します。本書によると、武田家で外様として扱われていた真田家は、武藤家を継承するなど譜代として扱われていた昌幸が当主となることで、譜代的性格が強くなっていたようです。武田家の滅亡に関しては、その前年の高天神城の陥落が大きな影響を有したのではないか、と本書では指摘されています。これにより、武田家の威信が決定的に低下したのではないか、というわけです。
本書がもっとも分量を割いているのは昌幸で、史料の残存状況もあるのでしょうが、真田家が国衆から独立した近世大名へと成長・変容していく過程で、昌幸の代が決定的だった、ということを反映しているようにも思われます。本書は、戦国時代~江戸時代初期の真田家の動向を詳しく取り上げることで、中世~近世の移行期の特色を浮き彫りにしているようにも思います。本書は全体的に読みやすい文章になっており、来年の大河ドラマの予習としてはもちろん、国衆の視点からの中世~近世の移行期の解説としても、良書と言えるでしょう。
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