Pat Shipman『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』
これは12月13日分の記事として掲載しておきます。パット=シップマン(Pat Shipman)著、河合信和監修・訳、柴田譲治訳で原書房より2015年12月に刊行されました。原書の刊行は2015年です。本書は、現生人類(Homo sapiens)を侵略種と把握し、その拡散が生態系に大きな影響を及ぼした、との認識を前提とし、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅を検証しています。主要な検証対象地域はヨーロッパです。
現生人類がアフリカから世界へと拡散していく過程で、それまで人類の存在していなかったオーストラリア大陸(寒冷期にはサフルランドの一部)やアメリカ大陸や太平洋の島々といった地域において、大型動物を中心に動物の大量絶滅があったことはよく知られています。もっとも、大型動物の絶滅については、人為的要因よりも環境要因を重視する見解もあり、絶滅した大型動物のすべてを人為的要因で説明することには慎重でなければならないでしょう。
本書は、侵略種が拡散先の生態系に大きな影響を及ぼすことを指摘しています。とくに、その繁殖能力や食資源の獲得能力が優れている種ほど、及ぼす影響は大きくなります。人類、とくに現生人類は、武器をはじめとして高度に発達した道具と高い認知能力により頂点捕食者としての地位を確立していたので、オーストラリア大陸やアメリカ大陸のように拡散先で大型動物を絶滅させるにいたった、というわけです。本書はさまざまな衰退・絶滅種の研究から、生物種の衰退・絶滅には気候変化よりも侵略種の存在の方が重要な役割を果たす、と指摘しています。
本書は、ネアンデルタール人の衰退・絶滅もそうした文脈で解釈しています。ネアンデルタール人の絶滅に関してはさまざまな要因が提唱されていますが(関連記事)、気候変動が決定的だったのではなく、現生人類という侵略種の存在こそが決定打だったのだ、というわけです。本書はその根拠として、ネアンデルタール人の絶滅した海洋酸素同位体ステージ(MIS)3の気候変動は激しく、寒冷期もあったものの、それよりも前の寒冷期にもネアンデルタール人は存続してきた、という事実を挙げています。
ただ、本書も指摘するように、ネアンデルタール人の絶滅に気候変動が影響を及ぼさなかったわけではなく、ネアンデルタール人絶滅の前提として、気候変動による衰退があることも認められています。ネアンデルタール人の絶滅要因として、気候変動説と現生人類との競合説は相互に排他的ではない、というわけです。本書のこの見解は、基本的に妥当なものだと思います。ネアンデルタール人はじゅうらい、気候変動による縮小・衰退から回復してきたものの、侵略種たる現生人類との競合により、MIS3に絶滅したのでしょう。
本書は、MIS3の頃のヨーロッパのネアンデルタール人も現生人類も、多様性に違いがあるとはいえ、大型草食動物という同じような食資源に依存していたことを指摘しています。そのため、ネアンデルタール人にとって現生人類は強力な競合相手になったのではないか、というわけです。本書は、ネアンデルタール人が現生人類との競合で劣勢になった要因として、投槍などの投擲具の有無を挙げています。投擲具のある現生人類の方が、大型草食動物をより安全かつ効率的に狩ることができたのではないか、というわけです。また、接近戦の待ち伏せ狩猟に頼っていたネアンデルタール人にとって、寒冷化による森林の縮小といった植生の変化で待ち伏せがより困難になったことも、不利に作用したかもしれない、と指摘されています。さらに、その体格から現生人類よりも1日当たりの消費エネルギーが高かったことも、ネアンデルタール人にとって不利になっただろう、と指摘されています。
本書は、食資源の獲得というか狩猟におけるネアンデルタール人の現生人類にたいする劣勢をさらに決定的にした要因として、イヌ科動物の家畜化を挙げています。本書は、最初期の家畜化されたイヌ科動物を「オオカミイヌ」と呼んでいます。このオオカミイヌの最古の痕跡はヨーロッパで発見されており、イヌ科動物の家畜化はヨーロッパで始まった、と本書は主張しています。最初期のオオカミイヌのミトコンドリアDNAは、現生のイヌの変異幅には収まりません。
しかし本書は、最初期のオオカミイヌが現生のイヌの直系の母系祖先ではないにしても、現生のイヌの遺伝子プールに影響を及ぼしている可能性を指摘しています。ネアンデルタール人と現生人類との事例(現代人のミトコンドリアDNAにネアンデルタール人由来のものはありませんが、非アフリカ系現代人はネアンデルタール人の核DNAの一部をわずかながら継承しています)からも、その可能性は想定されるべきなのでしょう。
本書は、最初期のオオカミイヌの出現時期と、人間が解体したと考えられるマンモスの骨の増加時期とがおおむね一致することから、イヌ科動物の家畜化により、現生人類は大型草食動物の狩猟を以前よりさらに効率的に行なえるようになったのではないか、との見解を提示しています。それが、似たような生態的地位を占める現生人類とネアンデルタール人との競争において、ネアンデルタール人が劣勢となり、衰退・絶滅した要因なのではないか、というわけです。その意味で、表題にあるように、「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」ことになります。
本書の見解の前提となっているのが、家畜化されたかもしれない最初期のイヌ科動物の出現がヨーロッパにおいて36000年前頃までさかのぼるかもしれない、との研究と、ネアンデルタール人の絶滅年代はじゅうらいの推定よりも古く4万年前頃以前だろう、と指摘した研究(関連記事)です。ただ、本書の監修者も指摘するように、本書の云うオオカミイヌの出現時期と、ネアンデルタール人の絶滅時期との間にはまだ4000年ほどの空白期間があることも否定できません。
今後、この空白期間が埋められる可能性はもちろんあります。しかし現時点では、監修者が指摘するように、気候変動と現生人類登場によるストレスなどの諸要因により、すでに大幅に遺伝的多様性を失っていたネアンデルタール人は自然消滅していった、と考えるのが妥当ではないか、と思います。おそらく、ヨーロッパのネアンデルタール人集団は48000年前頃のハインリッヒイベント(HE)5における寒冷化・乾燥化により縮小して遺伝的多様性を失い、以前ならば気候の温暖化とともに集団規模と生息範囲を回復させていたところが、侵略種たる現生人類のヨーロッパへの進出により、衰退・絶滅したのでしょう(関連記事)。
ネアンデルタール人の食生活や石器が数十万年間まったく変わらなかったとの見解は、ネアンデルタール人にたいする過小評価だと思われますし(関連記事)、MIS4に(レヴァントなど一部の西アジアを除く)ユーラシアには現生人類は存在しなかった、との見解も、本書執筆後に刊行されたラオス(関連記事)や中国(関連記事)の人骨の研究からも妥当ではなさそうです。このように疑問点もありますが、本書が良書であることは間違いなく、得るところの多いじつに有益な一冊になっていると思います。ネアンデルタール人の絶滅に関心のある人にはお勧めの一冊と言えるでしょう。
参考文献:
Shipman P.著(2015)、河合信和監修・訳、柴田譲治訳『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』(原書房、原書の刊行は2015年)
現生人類がアフリカから世界へと拡散していく過程で、それまで人類の存在していなかったオーストラリア大陸(寒冷期にはサフルランドの一部)やアメリカ大陸や太平洋の島々といった地域において、大型動物を中心に動物の大量絶滅があったことはよく知られています。もっとも、大型動物の絶滅については、人為的要因よりも環境要因を重視する見解もあり、絶滅した大型動物のすべてを人為的要因で説明することには慎重でなければならないでしょう。
本書は、侵略種が拡散先の生態系に大きな影響を及ぼすことを指摘しています。とくに、その繁殖能力や食資源の獲得能力が優れている種ほど、及ぼす影響は大きくなります。人類、とくに現生人類は、武器をはじめとして高度に発達した道具と高い認知能力により頂点捕食者としての地位を確立していたので、オーストラリア大陸やアメリカ大陸のように拡散先で大型動物を絶滅させるにいたった、というわけです。本書はさまざまな衰退・絶滅種の研究から、生物種の衰退・絶滅には気候変化よりも侵略種の存在の方が重要な役割を果たす、と指摘しています。
本書は、ネアンデルタール人の衰退・絶滅もそうした文脈で解釈しています。ネアンデルタール人の絶滅に関してはさまざまな要因が提唱されていますが(関連記事)、気候変動が決定的だったのではなく、現生人類という侵略種の存在こそが決定打だったのだ、というわけです。本書はその根拠として、ネアンデルタール人の絶滅した海洋酸素同位体ステージ(MIS)3の気候変動は激しく、寒冷期もあったものの、それよりも前の寒冷期にもネアンデルタール人は存続してきた、という事実を挙げています。
ただ、本書も指摘するように、ネアンデルタール人の絶滅に気候変動が影響を及ぼさなかったわけではなく、ネアンデルタール人絶滅の前提として、気候変動による衰退があることも認められています。ネアンデルタール人の絶滅要因として、気候変動説と現生人類との競合説は相互に排他的ではない、というわけです。本書のこの見解は、基本的に妥当なものだと思います。ネアンデルタール人はじゅうらい、気候変動による縮小・衰退から回復してきたものの、侵略種たる現生人類との競合により、MIS3に絶滅したのでしょう。
本書は、MIS3の頃のヨーロッパのネアンデルタール人も現生人類も、多様性に違いがあるとはいえ、大型草食動物という同じような食資源に依存していたことを指摘しています。そのため、ネアンデルタール人にとって現生人類は強力な競合相手になったのではないか、というわけです。本書は、ネアンデルタール人が現生人類との競合で劣勢になった要因として、投槍などの投擲具の有無を挙げています。投擲具のある現生人類の方が、大型草食動物をより安全かつ効率的に狩ることができたのではないか、というわけです。また、接近戦の待ち伏せ狩猟に頼っていたネアンデルタール人にとって、寒冷化による森林の縮小といった植生の変化で待ち伏せがより困難になったことも、不利に作用したかもしれない、と指摘されています。さらに、その体格から現生人類よりも1日当たりの消費エネルギーが高かったことも、ネアンデルタール人にとって不利になっただろう、と指摘されています。
本書は、食資源の獲得というか狩猟におけるネアンデルタール人の現生人類にたいする劣勢をさらに決定的にした要因として、イヌ科動物の家畜化を挙げています。本書は、最初期の家畜化されたイヌ科動物を「オオカミイヌ」と呼んでいます。このオオカミイヌの最古の痕跡はヨーロッパで発見されており、イヌ科動物の家畜化はヨーロッパで始まった、と本書は主張しています。最初期のオオカミイヌのミトコンドリアDNAは、現生のイヌの変異幅には収まりません。
しかし本書は、最初期のオオカミイヌが現生のイヌの直系の母系祖先ではないにしても、現生のイヌの遺伝子プールに影響を及ぼしている可能性を指摘しています。ネアンデルタール人と現生人類との事例(現代人のミトコンドリアDNAにネアンデルタール人由来のものはありませんが、非アフリカ系現代人はネアンデルタール人の核DNAの一部をわずかながら継承しています)からも、その可能性は想定されるべきなのでしょう。
本書は、最初期のオオカミイヌの出現時期と、人間が解体したと考えられるマンモスの骨の増加時期とがおおむね一致することから、イヌ科動物の家畜化により、現生人類は大型草食動物の狩猟を以前よりさらに効率的に行なえるようになったのではないか、との見解を提示しています。それが、似たような生態的地位を占める現生人類とネアンデルタール人との競争において、ネアンデルタール人が劣勢となり、衰退・絶滅した要因なのではないか、というわけです。その意味で、表題にあるように、「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」ことになります。
本書の見解の前提となっているのが、家畜化されたかもしれない最初期のイヌ科動物の出現がヨーロッパにおいて36000年前頃までさかのぼるかもしれない、との研究と、ネアンデルタール人の絶滅年代はじゅうらいの推定よりも古く4万年前頃以前だろう、と指摘した研究(関連記事)です。ただ、本書の監修者も指摘するように、本書の云うオオカミイヌの出現時期と、ネアンデルタール人の絶滅時期との間にはまだ4000年ほどの空白期間があることも否定できません。
今後、この空白期間が埋められる可能性はもちろんあります。しかし現時点では、監修者が指摘するように、気候変動と現生人類登場によるストレスなどの諸要因により、すでに大幅に遺伝的多様性を失っていたネアンデルタール人は自然消滅していった、と考えるのが妥当ではないか、と思います。おそらく、ヨーロッパのネアンデルタール人集団は48000年前頃のハインリッヒイベント(HE)5における寒冷化・乾燥化により縮小して遺伝的多様性を失い、以前ならば気候の温暖化とともに集団規模と生息範囲を回復させていたところが、侵略種たる現生人類のヨーロッパへの進出により、衰退・絶滅したのでしょう(関連記事)。
ネアンデルタール人の食生活や石器が数十万年間まったく変わらなかったとの見解は、ネアンデルタール人にたいする過小評価だと思われますし(関連記事)、MIS4に(レヴァントなど一部の西アジアを除く)ユーラシアには現生人類は存在しなかった、との見解も、本書執筆後に刊行されたラオス(関連記事)や中国(関連記事)の人骨の研究からも妥当ではなさそうです。このように疑問点もありますが、本書が良書であることは間違いなく、得るところの多いじつに有益な一冊になっていると思います。ネアンデルタール人の絶滅に関心のある人にはお勧めの一冊と言えるでしょう。
参考文献:
Shipman P.著(2015)、河合信和監修・訳、柴田譲治訳『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』(原書房、原書の刊行は2015年)
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