『天智と天武~新説・日本書紀~』第78話「天啓」
これは12月11日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2015年12月25日号掲載分の感想です。前回は、大海人皇子(天武帝)とその妻である鸕野讚良皇女(持統帝)が近江朝への反乱の決意を固めたところで終了しました。今回は、近江大津京の十市皇女邸で、十市皇女が母の額田王に、父の大海人皇子と連絡をとる手立てがないか、と相談している場面から始まります。夫の大友皇子が大海人皇子相手に敗死するまで夫に付き従うと誓った十市皇女ですが、やはり父のために情報を流そうとしているようで、父親への敬慕は相変わらず強いようです。
大海人皇子の娘である十市皇女への監視が厳しいなか難しいだろう、と思案する額田王は、大友皇子の夕食が鮒の包み焼きであることを知り、意味深な表情を浮かべて、大海人皇子も鮒の包み焼きが好物だった、と十市皇女に言います。十市皇女が鮒の包み焼きに密書を入れて大海人皇子に送った、との伝承が次回以降に採用されるのでしょうか。十市皇女は大友皇子のいる部屋に夕食を持っていきますが、そこには大友皇子はいませんでした。
その頃大友皇子は、琵琶湖の岸にて瞑想していました。大友皇子は、父である天智帝(中大兄皇子)が得意絶頂の頃を想起していました。自分の造った大津宮はまれに見る聖地であり、琵琶湖は昇る日も落ちる日も生まれくる、天はまさしく自分のものだ、と天智帝は自負していました。瞑想を続ける大友皇子は、次に叔父である大海人皇子のことを想起します。大友皇子は、叔父への敬慕を振り切ろうとしたのか、目を開けます。すると、まさに日が昇ろうとしていました。
大友皇子は服を脱ぎ棄てて琵琶湖に入っていき、我に力を与え、これまでの我を葬り去り、新しい我に創り替えよ、天ツ神に呼びかけます。水中に潜った大友皇子は、大海人皇子を憎み、斬って捨てる勇気を持てるよう、天ツ神に祈ります。非情の心を我に与えよ、と言った大友皇子は水中から立ち上がり、ふっきれたような、また覚悟を汲めたような表情を浮かべます。十市皇女は、大友皇子がずぶ濡れで戻って来たことに驚きます。そんな十市皇女に、これから朝堂院へ行くので支度を頼む、とだけ言い大友皇子は立ち去ります。十市皇女も額田王も、様子が一変した大友皇子に何があったのか分からず、不安で怯えた表情を浮かべます。
近江大津宮で、大友皇子は近江朝の重臣五人組(蘇我赤兄・中臣金・蘇我果安・巨勢人・紀大人)を呼び出します。五人の重臣は、我々を呼び出したのだから大友皇子は即位の決心をしたのだろうとか、噂では腑抜けのようになっているらしいから、最悪の場合を天智帝の息子である川島皇子を立てるしかないが、若いし母親の身分が低いとか、母の身分が低いのは大友皇子も同じだとか、期待と不安の入り混じった様子で話していました。川島皇子は本作では言及されないと思っていただけに、これは意外でした。そこへ大友皇子が現れますが、まさに天智帝が甦ったかのようであり、五人の重臣は大友皇子のただならぬ威厳に畏れを抱いたのか、ただちに平伏し、お帰りなさいませ、大君(天皇)と呼びかけます。
その頃、吉野宮では、大海人皇子が父である蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)の前で手を合わせていました。そこへ鵲が現れ、兵も武器もぞくぞくと集まっており、後は大海人皇子の決断次第だ、と報告します。すると大海人皇子は兵士たちの前に現れ、たった今、天照大神より、亡き先帝(天智帝)に替わり自分が帝になるがよいと神託を賜った、と力強く宣言します。すると兵士たちは沸き立ちます。大津宮では、大友皇子が重臣五人たちに、大海人皇子が天智帝を殺害したことを認め、戦は避けられない、と断言していました。さすがに重臣五人も動揺しますが、それを見た大友皇子は、威厳に満ちた怒りの表情を浮かべます。大友皇子が重臣五人に、早急に戦の準備をせよと命じ、重臣五人が慌てて退出するところで、今回は終了です。
今回は、大友皇子の大きな変化が描かれました。大友皇子がいつ「闇堕ち」するのか、期待と不安を抱きながら待っていた読者もいると思います。今回の大友皇子の大きな変化をどう解釈すべきなのか、難しいところですが、前回、十市皇女から覚悟を決めるよう促され、近江朝の人々から寄せられる期待の通りに行動(父の仇である叔父の大海人皇子を討つこと)すべく、重い決断をくだした、ということなのでしょう。その意味では、闇堕ちというよりは覚醒と考えるべきでしょうか。ただ、大友皇子は今後も根本的なところでは好青年であり続け、その最期にはそうした心境が描かれるのかな、とも思います。
叔父の大海人皇子をたいへん慕っている大友皇子がどのような心境で壬申の乱を迎えるのか、以前より気になっていましたが、誇り高く戦って死ね、と妻から覚悟を迫られたことで、重臣五人組をはじめとして人々の操り人形として叔父と戦うのではなく、主体的に戦う決断をくだしたのでしょう。叔父をたいへん慕っている大友皇子としてはたいへんな精神的負担がかかったことでしょう。それ故に、大友皇子が神を頼りとした、という描写はよかったと思います。大友皇子の変貌により、十市皇女の心境がどう変化するのかも注目されます。父の大海人皇子に密かに情報を伝えた、との伝承が採用されるのではなく、ひねった展開になるかもしれませんし、十市皇女が若くして亡くなったこととも関わってくるかもしれません。まあ、本作ではそこまで描かれないでしょうか。
今回は大友皇子が主役といった感じで、大海人皇子の場面は少なく、その心境もほとんど描かれませんでした。大友皇子の変貌は、物語として練られていた感じでなかなかよかったのですが、大海人皇子の描写には疑問が残ります。このところずっとそうなのですが、大海人皇子の真意がどうもつかみにくいように思います。これは、私の読解力の低さだけの問題ではないと思うのですが、どうなのでしょうか。
このところ大海人皇子は帝位への野心を明らかにしていますが、それ以前は帝位への野心はあまり見せなかったように思います。まあ、近江遷都の前より、天智政権に不満を抱く人々を取り込もうとしていましたから(第54話)、その頃から帝位への野心を強く抱いていたのかもしれません。また、大海人皇子は即位して何をやりたいのか、ということもよく見えてきません。これまでの大海人皇子の言動から推測すると、逆賊とされた父である蘇我入鹿の名誉を回復し、入鹿の目指した理想の政治を実現して、天智政権の圧政から人々を救う、といったところでしょうか。
異父兄である天智帝を、長年の愛憎劇(とはいっても、ほとんど憎悪でしたが)の末に殺してしまった結果、目標の実現のためには政権を奪取して即位するしかないので、天智政権を継承した大友皇子とは雌雄を決しないわけにはいかない、という話の構造なのでしょうか。そのために、大海人皇子は自分をたいへん慕っている大友皇子を突き放さざるを得なかった、と解釈できるのですが、いぜんより大海人皇子は大友皇子に冷淡であるように思われ、大海人皇子の真意は別にあるのではないか、とも思います。
大海人皇子は天智帝に何度か、兄上は自分のものだ、と告白しています。その真意は、父の仇である天智帝を殺すことだけを目標としてきたので、その天智帝を殺してしまったら、人生の目標というか、自分の存在意義を見失ってしまうのが怖かったのかな、と思います(第48話)。そのため、天智帝の死後は、天智帝と容貌の酷似する大友皇子を新たな敵として、自身を奮い立たせようとしているのかな、とも思います。あるいは、天智帝から大切な息子たる大友皇子を奪おうと考えていた大海人皇子だけに(第62話)、天智帝をどこかに監禁していて、大友皇子を死に追いやるところを見せつけようとしているのではないか、と考えたこともありました。
しかし大海人皇子は、甥である大友皇子にも妻である鸕野讚良皇女にも天智帝を殺害したと認めていますし、今回の人物相関図で天智帝は死者扱いとなっていましたから、やはり作中設定では大海人皇子が天智帝を殺害したことになるのでしょう。人物紹介でも、以前は天智帝→大海人皇子→中臣(藤原)鎌足(豊璋)の順の紹介だったのが、今回は大海人皇子→大友皇子→額田王→十市皇女→天智帝の順でしたから、天智帝の死は確定と考えてよさそうです。
どうも大海人皇子の真意をつかみにくいのですが、これに関しては、この後に詳細な心情描写があり、説得力のある話になるのではないか、とまだ期待しています。歴史創作として問題なのは、大海人皇子が天照大神の神託を持ちだしたことです。今回はいつのことなのか明示されていないのですが、雪が降っていましたから、671年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)12月~672年2月頃のことだと思います。この時点で大海人皇子と天照大神とのつながりがすでに深いとの設定なら、もっと前から両者の関係を描いておいた方がよかったのではないか、と思います。率直に言って、天照大神の名前が唐突に出てきた感が否めませんでした。
今回の話が671年12月~672年2月頃のことだとすると、壬申の乱の勃発まで4ヶ月~半年ていどあるわけで、すでにかなり準備が整っているらしい大海人皇子側はともかくとして、近江朝廷側はこれから本格的に準備を進める、ということでしょうか。じっさい、大友皇子が重臣五人組に命じたのは、早急に戦の準備を整えよ、ということであり、直ちに大海人皇子を討伐せよ、ということではありませんでした。そうすると、壬申の乱はある程度丁寧に描かれそうかな、という気もします。白村江の戦い編とまでは言いませんが、せめて定恵(真人)帰国編並には続いてほしいものです。
ともかく、ある程度は壬申の乱が描かれそうということで、壬申の乱で大海人皇子が勝ったにも関わらず、けっきょく蘇我入鹿が史書で逆賊とされた理由や、本来は入鹿のことだったらしい聖徳太子がなぜ厩戸皇子のこととされたのか、そもそも作中世界では上宮王家が存在していたのか、などといった謎解きも含めると、少なくとも単行本で第10集までは続きそうです。できたら、天武朝や持統朝や奈良時代の様子も描かれ、単行本で第11集以降まで連載が続いてもらいたいものです。
今回は第71話以来久々に人物相関図が掲載され、かなりの変更点が見られました。まず、上述したように天智帝が死者として扱われています。鎌足の息子である定恵と史(不比等)、有間皇子と定恵の母である小足媛、鬼室福信・鬼室集斯親子が削られました。わりとキャラが立っていた鬼室集斯はもう登場しないということでしょうか。その替わりに、蘇我赤兄が復活し、新たに草壁皇子が掲載されています。また、大海人皇子と大友皇子の関係が、「壬申の乱で対決」と紹介されています。誕生後間もない頃の様子が1回描かれただけの大津皇子(第42話)も相変わらず掲載されているので、天武朝での草壁皇子と大津皇子との関係が、草壁皇子の母である鸕野讚良皇女も絡めて描かれるのではないか、と期待しています。
大海人皇子の娘である十市皇女への監視が厳しいなか難しいだろう、と思案する額田王は、大友皇子の夕食が鮒の包み焼きであることを知り、意味深な表情を浮かべて、大海人皇子も鮒の包み焼きが好物だった、と十市皇女に言います。十市皇女が鮒の包み焼きに密書を入れて大海人皇子に送った、との伝承が次回以降に採用されるのでしょうか。十市皇女は大友皇子のいる部屋に夕食を持っていきますが、そこには大友皇子はいませんでした。
その頃大友皇子は、琵琶湖の岸にて瞑想していました。大友皇子は、父である天智帝(中大兄皇子)が得意絶頂の頃を想起していました。自分の造った大津宮はまれに見る聖地であり、琵琶湖は昇る日も落ちる日も生まれくる、天はまさしく自分のものだ、と天智帝は自負していました。瞑想を続ける大友皇子は、次に叔父である大海人皇子のことを想起します。大友皇子は、叔父への敬慕を振り切ろうとしたのか、目を開けます。すると、まさに日が昇ろうとしていました。
大友皇子は服を脱ぎ棄てて琵琶湖に入っていき、我に力を与え、これまでの我を葬り去り、新しい我に創り替えよ、天ツ神に呼びかけます。水中に潜った大友皇子は、大海人皇子を憎み、斬って捨てる勇気を持てるよう、天ツ神に祈ります。非情の心を我に与えよ、と言った大友皇子は水中から立ち上がり、ふっきれたような、また覚悟を汲めたような表情を浮かべます。十市皇女は、大友皇子がずぶ濡れで戻って来たことに驚きます。そんな十市皇女に、これから朝堂院へ行くので支度を頼む、とだけ言い大友皇子は立ち去ります。十市皇女も額田王も、様子が一変した大友皇子に何があったのか分からず、不安で怯えた表情を浮かべます。
近江大津宮で、大友皇子は近江朝の重臣五人組(蘇我赤兄・中臣金・蘇我果安・巨勢人・紀大人)を呼び出します。五人の重臣は、我々を呼び出したのだから大友皇子は即位の決心をしたのだろうとか、噂では腑抜けのようになっているらしいから、最悪の場合を天智帝の息子である川島皇子を立てるしかないが、若いし母親の身分が低いとか、母の身分が低いのは大友皇子も同じだとか、期待と不安の入り混じった様子で話していました。川島皇子は本作では言及されないと思っていただけに、これは意外でした。そこへ大友皇子が現れますが、まさに天智帝が甦ったかのようであり、五人の重臣は大友皇子のただならぬ威厳に畏れを抱いたのか、ただちに平伏し、お帰りなさいませ、大君(天皇)と呼びかけます。
その頃、吉野宮では、大海人皇子が父である蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)の前で手を合わせていました。そこへ鵲が現れ、兵も武器もぞくぞくと集まっており、後は大海人皇子の決断次第だ、と報告します。すると大海人皇子は兵士たちの前に現れ、たった今、天照大神より、亡き先帝(天智帝)に替わり自分が帝になるがよいと神託を賜った、と力強く宣言します。すると兵士たちは沸き立ちます。大津宮では、大友皇子が重臣五人たちに、大海人皇子が天智帝を殺害したことを認め、戦は避けられない、と断言していました。さすがに重臣五人も動揺しますが、それを見た大友皇子は、威厳に満ちた怒りの表情を浮かべます。大友皇子が重臣五人に、早急に戦の準備をせよと命じ、重臣五人が慌てて退出するところで、今回は終了です。
今回は、大友皇子の大きな変化が描かれました。大友皇子がいつ「闇堕ち」するのか、期待と不安を抱きながら待っていた読者もいると思います。今回の大友皇子の大きな変化をどう解釈すべきなのか、難しいところですが、前回、十市皇女から覚悟を決めるよう促され、近江朝の人々から寄せられる期待の通りに行動(父の仇である叔父の大海人皇子を討つこと)すべく、重い決断をくだした、ということなのでしょう。その意味では、闇堕ちというよりは覚醒と考えるべきでしょうか。ただ、大友皇子は今後も根本的なところでは好青年であり続け、その最期にはそうした心境が描かれるのかな、とも思います。
叔父の大海人皇子をたいへん慕っている大友皇子がどのような心境で壬申の乱を迎えるのか、以前より気になっていましたが、誇り高く戦って死ね、と妻から覚悟を迫られたことで、重臣五人組をはじめとして人々の操り人形として叔父と戦うのではなく、主体的に戦う決断をくだしたのでしょう。叔父をたいへん慕っている大友皇子としてはたいへんな精神的負担がかかったことでしょう。それ故に、大友皇子が神を頼りとした、という描写はよかったと思います。大友皇子の変貌により、十市皇女の心境がどう変化するのかも注目されます。父の大海人皇子に密かに情報を伝えた、との伝承が採用されるのではなく、ひねった展開になるかもしれませんし、十市皇女が若くして亡くなったこととも関わってくるかもしれません。まあ、本作ではそこまで描かれないでしょうか。
今回は大友皇子が主役といった感じで、大海人皇子の場面は少なく、その心境もほとんど描かれませんでした。大友皇子の変貌は、物語として練られていた感じでなかなかよかったのですが、大海人皇子の描写には疑問が残ります。このところずっとそうなのですが、大海人皇子の真意がどうもつかみにくいように思います。これは、私の読解力の低さだけの問題ではないと思うのですが、どうなのでしょうか。
このところ大海人皇子は帝位への野心を明らかにしていますが、それ以前は帝位への野心はあまり見せなかったように思います。まあ、近江遷都の前より、天智政権に不満を抱く人々を取り込もうとしていましたから(第54話)、その頃から帝位への野心を強く抱いていたのかもしれません。また、大海人皇子は即位して何をやりたいのか、ということもよく見えてきません。これまでの大海人皇子の言動から推測すると、逆賊とされた父である蘇我入鹿の名誉を回復し、入鹿の目指した理想の政治を実現して、天智政権の圧政から人々を救う、といったところでしょうか。
異父兄である天智帝を、長年の愛憎劇(とはいっても、ほとんど憎悪でしたが)の末に殺してしまった結果、目標の実現のためには政権を奪取して即位するしかないので、天智政権を継承した大友皇子とは雌雄を決しないわけにはいかない、という話の構造なのでしょうか。そのために、大海人皇子は自分をたいへん慕っている大友皇子を突き放さざるを得なかった、と解釈できるのですが、いぜんより大海人皇子は大友皇子に冷淡であるように思われ、大海人皇子の真意は別にあるのではないか、とも思います。
大海人皇子は天智帝に何度か、兄上は自分のものだ、と告白しています。その真意は、父の仇である天智帝を殺すことだけを目標としてきたので、その天智帝を殺してしまったら、人生の目標というか、自分の存在意義を見失ってしまうのが怖かったのかな、と思います(第48話)。そのため、天智帝の死後は、天智帝と容貌の酷似する大友皇子を新たな敵として、自身を奮い立たせようとしているのかな、とも思います。あるいは、天智帝から大切な息子たる大友皇子を奪おうと考えていた大海人皇子だけに(第62話)、天智帝をどこかに監禁していて、大友皇子を死に追いやるところを見せつけようとしているのではないか、と考えたこともありました。
しかし大海人皇子は、甥である大友皇子にも妻である鸕野讚良皇女にも天智帝を殺害したと認めていますし、今回の人物相関図で天智帝は死者扱いとなっていましたから、やはり作中設定では大海人皇子が天智帝を殺害したことになるのでしょう。人物紹介でも、以前は天智帝→大海人皇子→中臣(藤原)鎌足(豊璋)の順の紹介だったのが、今回は大海人皇子→大友皇子→額田王→十市皇女→天智帝の順でしたから、天智帝の死は確定と考えてよさそうです。
どうも大海人皇子の真意をつかみにくいのですが、これに関しては、この後に詳細な心情描写があり、説得力のある話になるのではないか、とまだ期待しています。歴史創作として問題なのは、大海人皇子が天照大神の神託を持ちだしたことです。今回はいつのことなのか明示されていないのですが、雪が降っていましたから、671年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)12月~672年2月頃のことだと思います。この時点で大海人皇子と天照大神とのつながりがすでに深いとの設定なら、もっと前から両者の関係を描いておいた方がよかったのではないか、と思います。率直に言って、天照大神の名前が唐突に出てきた感が否めませんでした。
今回の話が671年12月~672年2月頃のことだとすると、壬申の乱の勃発まで4ヶ月~半年ていどあるわけで、すでにかなり準備が整っているらしい大海人皇子側はともかくとして、近江朝廷側はこれから本格的に準備を進める、ということでしょうか。じっさい、大友皇子が重臣五人組に命じたのは、早急に戦の準備を整えよ、ということであり、直ちに大海人皇子を討伐せよ、ということではありませんでした。そうすると、壬申の乱はある程度丁寧に描かれそうかな、という気もします。白村江の戦い編とまでは言いませんが、せめて定恵(真人)帰国編並には続いてほしいものです。
ともかく、ある程度は壬申の乱が描かれそうということで、壬申の乱で大海人皇子が勝ったにも関わらず、けっきょく蘇我入鹿が史書で逆賊とされた理由や、本来は入鹿のことだったらしい聖徳太子がなぜ厩戸皇子のこととされたのか、そもそも作中世界では上宮王家が存在していたのか、などといった謎解きも含めると、少なくとも単行本で第10集までは続きそうです。できたら、天武朝や持統朝や奈良時代の様子も描かれ、単行本で第11集以降まで連載が続いてもらいたいものです。
今回は第71話以来久々に人物相関図が掲載され、かなりの変更点が見られました。まず、上述したように天智帝が死者として扱われています。鎌足の息子である定恵と史(不比等)、有間皇子と定恵の母である小足媛、鬼室福信・鬼室集斯親子が削られました。わりとキャラが立っていた鬼室集斯はもう登場しないということでしょうか。その替わりに、蘇我赤兄が復活し、新たに草壁皇子が掲載されています。また、大海人皇子と大友皇子の関係が、「壬申の乱で対決」と紹介されています。誕生後間もない頃の様子が1回描かれただけの大津皇子(第42話)も相変わらず掲載されているので、天武朝での草壁皇子と大津皇子との関係が、草壁皇子の母である鸕野讚良皇女も絡めて描かれるのではないか、と期待しています。
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