『天智と天武~新説・日本書紀~』第77話「妻たちの覚悟」
これは11月26日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2015年12月10日号掲載分の感想です。前回は、大海人皇子(天武帝)から天智帝(中大兄皇子)を殺害したと打ち明けられ、失意のなか吉野から立ち去る大友皇子を、大海人皇子と鵲が樹上から密かに見ているところで終了しました。今回は、近江大津宮の十市皇女邸で、十市が大友皇子との間の息子である葛野王を寝かせつけている場面から始まります。
十市皇女の配下は、十市皇女の父である大海人皇子が夫の父である天智帝を殺害したため、夫が父を討たねばならない状況となっており、十市皇女は近江にはいづらいだろう、と噂していました。吉野から戻った大友皇子は、夜更けにも関わらず、ただちに十市皇女邸を訪れます。大海人皇子に会えたのか、と十市皇女に尋ねられた大友皇子は、ここにいることは誰にも言うな、しばらく誰にも会いたくない、と答えます。十市皇女は大友皇子に食い下がり、大海人皇子が天智帝を殺害したのか、改めて尋ねます。疲れたとから寝ると言って退出しようとした大友皇子ですが、もしそうだったらどうするのだ、と十市皇女に尋ねます。
すると十市皇女は逆に、大海人皇子はやっと父親である蘇我入鹿の仇討ちを果たしたのだと確信している、あなたはどうなさるおつもりですか、と問い返します。大友皇子は苦渋の表情を浮かべ、戦になるだけだ、と答えます。しかし十市皇女は、その答えには不満で、自分をどうするつもりなのか、大友皇子に尋ねたつもりだったのでした。十市皇女は大友皇子に、立場上、大友皇子はどんなに大海人皇子に恋い焦がれていようとも、大海人皇子を討たねばならない、と通告します。
動揺する大友皇子に、隠さなくても分かっている、と十市皇女は言います。自分は隠しているつもりの恋心が周囲に明らかだということは、珍しくないでしょう。今回の大友皇子の様子に、過去を思い出して赤面したり、共感したりする読者もいることでしょう。十市皇女は大友皇子に心境を打ち明けます。恋い焦がれる叔父の大海人皇子の娘というだけで、大友皇子が自分娶ったことを、十市皇女は悩み恨んでいました。今では、心配なのは息子の葛野王だけであり、自分のことはどうでもよいのではないか、と十市皇女は大友皇子に厳しく尋ねます。
返答に詰まる大友皇子に、はっきり答えるよう、十市皇女は要求します。それにより自分も覚悟を決める、というわけです。大友皇子は自嘲し、行きたいなら父である大海人皇子のいる吉野に行けばよい、と十市皇女に答えます。自分にはそなたを留めておく自信はない、自分には意思など無用の長物なのだから自分に聞くな、意思があったところで苦しいだけだ、と大友皇子は心情を吐露します。十市皇女に謝罪した大友皇子は、頼むからどうでもよいとは言わないでくれ、苦しい胸がもっと苦しくなるからだ、と言います。どうでもよいのは自分自身だ、そなたらの言う通りにする、自分はただの人形だ、と大友皇子は十市皇女に打ち明けます。壬申の乱は、近江朝廷の重臣など周囲の期待に大友皇子が応えようとしたからだ、という展開になるのでしょうか。
すると十市皇女は、ならば大海人皇子と堂々と戦って死んでください、と大友皇子に言います。大友皇子は大海人皇子に敵わないだろうから、残された名誉ある道は死しかない、というわけです。すると大友皇子は狂ったように笑い出し、大海人皇子の手で死ねるなら本望だ、よく言ってくれた、と十市皇女に答えます。大友皇子の覚悟が決まったことを見た十市皇女は涙を流して大友皇子に抱き着き、自分はあなたの妻だからどこにも行かない、生きている限りお側にいます、と言います。大友皇子と十市皇女は抱き合って涙を流します。
吉野の宮滝では、大海人皇子が弓の稽古をしていました。そこへ大海人皇子の妻である鸕野讚良皇女(持統帝)が血相を変えて訪ねてきます。父である天智帝を殺したのは本当なのか、と鸕野讚良皇女は大海人皇子に詰め寄ります。自分と大友皇子との話を誰かに盗み聞きさせていたようだな、と冷静に答える大海人皇子にたいして、あなたの口から聞きたいのだ、と鸕野讚良皇女は強く要求します。天智帝を殺したことを大海人皇子が認めると、大事な父をなぜ殺したのだ、と鸕野讚良皇女は言い、涙を流しながら大海人皇子に殴りかかります。すると大海人皇子は冷静に、自分が次の大君(天皇)になるからだ、と答えます。
鸕野讚良皇女は大海人皇子に矢を向け、許さない、と言います。その様子を見ていた、大海人皇子と鸕野讚良皇女の間の息子である草壁皇子は狼狽します。鸕野讚良皇女の放った矢は、大海人皇子の耳をわずかにかすめていきました。大友皇子に負けることは許さない、草壁皇子と自分のためにも必ず勝ってもらう、と言って鸕野讚良皇女と草壁皇子は立ち去ります。大海人皇子と鸕野讚良皇女が近江朝への反乱の決意を固めたような表情を浮かべたところで、今回は終了です。
今回は、十市皇女と鸕野讚良皇女の覚悟とともに、大友皇子・十市皇女夫妻と大海人皇子・鸕野讚良皇女夫妻の関係が描かれました。大友皇子・十市皇女夫妻の話はこれまでの描写に沿ったものであり、説得力があったと思います。十市皇女は大友皇子の真意に気づいており、そのことに傷つき、大友皇子を恨んでいたようですが、大友皇子が叔父である大海人皇子相手に敗れて死ぬ覚悟を決めたことを知り、大友皇子が大海人皇子相手に敗死するだろうその日まで、大友皇子に付いていく決意を固めました。大友皇子の決意は、大海人皇子への尋常ではない傾倒からも説得力があるように思います。
大友皇子・十市皇女夫妻の間の息子である葛野王は、幼少の頃の藤原史(不比等)にやや似ているように思います。今後、葛野王が重要な役割を果たすところまで連載が続けばよいのですが、さすがにそこまでは続かないでしょうか。せめて、十市皇女が若くして死んでしまった経緯までは描いてもらいたいものですが、壬申の乱の後のことですし、天智帝と大海人皇子との「兄弟喧嘩」という主題に直接関係するわけではないので、難しいでしょうか。
大友皇子・十市皇女夫妻の話が、これまで二人の関係があまり描かれていなかったにも関わらず、作中でのこれまでの描写に沿った説得力のあるものだったのにたいして、大海人皇子・鸕野讚良皇女夫妻の話は、率直に言って説得力に欠けるところがあったと思います。鸕野讚良皇女の気の強さはこれまで多少なりとも描かれていたので、今回鸕野讚良皇女が激昂したこと自体は、意外ではありませんでした。問題なのは、鸕野讚良皇女が激昂した理由です。
鸕野讚良皇女は、父である天智帝を夫である大海人皇子が殺害したことに激昂しました。今回、改めて大海人皇子は天智帝を殺害したと認めましたから、その遺体は、蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)とともに、大海人皇子が籠っている吉野の社に安置されているのかもしれません。大海人皇子の僧形は、異父兄である天智帝への弔いということでしょうか。以前、鸕野讚良皇女は額田王に父のことをよろしく頼むと言っていましたが(第62話)、これは嫉妬心によるもので、夫である大海人皇子に手を出すな、という警告が鸕野讚良皇女の真意だ、と私は解釈していました。
この他には、鸕野讚良皇女が父である天智帝を慕っているような描写はありません。天智帝は、自分の娘で鸕野讚良皇女の同母姉である大田皇女に冷淡で、大田皇女が妊娠した頃、二人の母方祖父である蘇我倉山田石川麻呂が自害に追い込まれた一件の頃から会っていない(10年以上?)、と言っていたくらいなので(第29話)、鸕野讚良皇女にも同様に冷淡なのだと私は思っていました。また、大田皇女と鸕野讚良皇女が大海人皇子の妻となったのは、体のよい厄介払いではないか、と鵲が推測していたくらいなので(第17話)、大田皇女も鸕野讚良皇女も、大海人皇子と結婚した後は父の天智帝に冷ややかな感情を抱いていたのではないか、と私は推測していました。
それだけに、大海人皇子が父を殺したと知り、鸕野讚良皇女が激昂したのは本当に意外でした。今回の描写からは、帝を殺害して自分と息子の草壁皇子をも窮地に追いやった、との理由よりも、父親を殺されたことのほうが、鸕野讚良皇女が激昂した理由としてはるかに大きかったように思われます。まあ、大田皇女は幼少時に父の天智帝をたいへん慕っていましたから(関連記事)、鸕野讚良皇女もその頃からずっと父を慕っていたのかもしれませんが、それならば、これまでに少しはそうした描写があってもよかったのではないか、と思います。
さらに言えば、天智帝殺害の容疑がかけられることを承知で、吉野へと退去した大海人皇子がわざわざ連れてくるくらいですから、鸕野讚良皇女は大海人皇子にかなり信用されているのでしょう。しかしこれまで、大海人皇子・鸕野讚良皇女夫妻の関係は皆無と言ってよいくらい描かれていなかったので、大海人皇子が鸕野讚良皇女を吉野に連れてきたこと自体が意外でした。まあ、『日本書紀』の記事を採用しただけなのかもしれませんし、鸕野讚良皇女がこのまま空気で作品が完結するよりは、前回と今回のように存在感を示したほうがよかった、とも思いますが。
今回の鸕野讚良皇女の心境を考えると、父を殺した夫は許せないものの、夫が帝位への野心を明らかにしたので、こうなった以上は、自分と息子のためにも、反逆者として討伐されて敗者となるのではなく、勝って権力を奪取してもらいたい、というところでしょうか。しかし、鸕野讚良皇女の大海人皇子へのわだかまりは残るでしょうから、これが、鸕野讚良皇女が藤原史を重用し、ついには大海人皇子の悲願だった蘇我入鹿の名誉回復が最終的には阻止された要因となるのでしょうか。まあ、そこまで描かれなさそうではありますが。
今回、第42話以来久々に登場した草壁皇子ですが、作中ではおそらく満年齢で10歳くらいだと思います。草壁皇子の容貌は母の鸕野讚良皇女に似ており、つまりは母方祖父にして伯父である天智帝に(ついでに言えば、叔父にして従兄弟の大友皇子にも)似ている、ということになります。ただ、まだ10歳なので仕方ないのかもしれませんが、草壁皇子は狼狽した様子を見せており、気弱な性格のように思われます。草壁皇子は天智帝に似ているわけですから、大田皇女の息子の大津皇子が大海人皇子(とその父である蘇我入鹿)に似ており、天智帝・大海人皇子兄弟の愛憎関係が大海人皇子の子供の世代にも継承される・・・と妄想したくなります。
もし、大田皇女が妹の鸕野讚良皇女に毒殺されていたとしたら、弟にとって、兄は親を殺害した仇である、という関係が草壁皇子と大津皇子でも再現されることになります。まあ、これまでの描写からして、鸕野讚良皇女が姉の大田皇女を毒殺したということはなさそうですし、大海人皇子の子供である程度詳しく描かれそうなのは十市皇女くらいになりそうですから、帝位をめぐる草壁皇子と大津皇子の関係は、本作では描かれないのでしょう。できれば、壬申の乱で一区切りの後に、天武朝・持統朝~『日本書紀』の編纂を経て救世観音像が法隆寺夢殿に安置されるまでを、続編で描いてもらいたいものですが、さすがに難しいでしょうか。
何しろ、本作の掲載順序はずっと悪いように思われ、同じくこのところずっと掲載順序が悪いように思われた『マウンドファーザー』が、いかにも打ち切りといった感じで次回にて終了しますから、本作の完結も近いのかもしれません。年末発売予定だった単行本第9集は、来年(2016年)1月末発売と予定が変更になったようですから、単行本第9集には最大でこの後3話収録されることになります。このうち最終回とその前回が増ページとなり、壬申の乱が1~2話程度で完結したら、あるいは単行本第9集で完結するのではないか、と不安になります。ともかく今は、少しでも長く連載が続くことを願っています。
十市皇女の配下は、十市皇女の父である大海人皇子が夫の父である天智帝を殺害したため、夫が父を討たねばならない状況となっており、十市皇女は近江にはいづらいだろう、と噂していました。吉野から戻った大友皇子は、夜更けにも関わらず、ただちに十市皇女邸を訪れます。大海人皇子に会えたのか、と十市皇女に尋ねられた大友皇子は、ここにいることは誰にも言うな、しばらく誰にも会いたくない、と答えます。十市皇女は大友皇子に食い下がり、大海人皇子が天智帝を殺害したのか、改めて尋ねます。疲れたとから寝ると言って退出しようとした大友皇子ですが、もしそうだったらどうするのだ、と十市皇女に尋ねます。
すると十市皇女は逆に、大海人皇子はやっと父親である蘇我入鹿の仇討ちを果たしたのだと確信している、あなたはどうなさるおつもりですか、と問い返します。大友皇子は苦渋の表情を浮かべ、戦になるだけだ、と答えます。しかし十市皇女は、その答えには不満で、自分をどうするつもりなのか、大友皇子に尋ねたつもりだったのでした。十市皇女は大友皇子に、立場上、大友皇子はどんなに大海人皇子に恋い焦がれていようとも、大海人皇子を討たねばならない、と通告します。
動揺する大友皇子に、隠さなくても分かっている、と十市皇女は言います。自分は隠しているつもりの恋心が周囲に明らかだということは、珍しくないでしょう。今回の大友皇子の様子に、過去を思い出して赤面したり、共感したりする読者もいることでしょう。十市皇女は大友皇子に心境を打ち明けます。恋い焦がれる叔父の大海人皇子の娘というだけで、大友皇子が自分娶ったことを、十市皇女は悩み恨んでいました。今では、心配なのは息子の葛野王だけであり、自分のことはどうでもよいのではないか、と十市皇女は大友皇子に厳しく尋ねます。
返答に詰まる大友皇子に、はっきり答えるよう、十市皇女は要求します。それにより自分も覚悟を決める、というわけです。大友皇子は自嘲し、行きたいなら父である大海人皇子のいる吉野に行けばよい、と十市皇女に答えます。自分にはそなたを留めておく自信はない、自分には意思など無用の長物なのだから自分に聞くな、意思があったところで苦しいだけだ、と大友皇子は心情を吐露します。十市皇女に謝罪した大友皇子は、頼むからどうでもよいとは言わないでくれ、苦しい胸がもっと苦しくなるからだ、と言います。どうでもよいのは自分自身だ、そなたらの言う通りにする、自分はただの人形だ、と大友皇子は十市皇女に打ち明けます。壬申の乱は、近江朝廷の重臣など周囲の期待に大友皇子が応えようとしたからだ、という展開になるのでしょうか。
すると十市皇女は、ならば大海人皇子と堂々と戦って死んでください、と大友皇子に言います。大友皇子は大海人皇子に敵わないだろうから、残された名誉ある道は死しかない、というわけです。すると大友皇子は狂ったように笑い出し、大海人皇子の手で死ねるなら本望だ、よく言ってくれた、と十市皇女に答えます。大友皇子の覚悟が決まったことを見た十市皇女は涙を流して大友皇子に抱き着き、自分はあなたの妻だからどこにも行かない、生きている限りお側にいます、と言います。大友皇子と十市皇女は抱き合って涙を流します。
吉野の宮滝では、大海人皇子が弓の稽古をしていました。そこへ大海人皇子の妻である鸕野讚良皇女(持統帝)が血相を変えて訪ねてきます。父である天智帝を殺したのは本当なのか、と鸕野讚良皇女は大海人皇子に詰め寄ります。自分と大友皇子との話を誰かに盗み聞きさせていたようだな、と冷静に答える大海人皇子にたいして、あなたの口から聞きたいのだ、と鸕野讚良皇女は強く要求します。天智帝を殺したことを大海人皇子が認めると、大事な父をなぜ殺したのだ、と鸕野讚良皇女は言い、涙を流しながら大海人皇子に殴りかかります。すると大海人皇子は冷静に、自分が次の大君(天皇)になるからだ、と答えます。
鸕野讚良皇女は大海人皇子に矢を向け、許さない、と言います。その様子を見ていた、大海人皇子と鸕野讚良皇女の間の息子である草壁皇子は狼狽します。鸕野讚良皇女の放った矢は、大海人皇子の耳をわずかにかすめていきました。大友皇子に負けることは許さない、草壁皇子と自分のためにも必ず勝ってもらう、と言って鸕野讚良皇女と草壁皇子は立ち去ります。大海人皇子と鸕野讚良皇女が近江朝への反乱の決意を固めたような表情を浮かべたところで、今回は終了です。
今回は、十市皇女と鸕野讚良皇女の覚悟とともに、大友皇子・十市皇女夫妻と大海人皇子・鸕野讚良皇女夫妻の関係が描かれました。大友皇子・十市皇女夫妻の話はこれまでの描写に沿ったものであり、説得力があったと思います。十市皇女は大友皇子の真意に気づいており、そのことに傷つき、大友皇子を恨んでいたようですが、大友皇子が叔父である大海人皇子相手に敗れて死ぬ覚悟を決めたことを知り、大友皇子が大海人皇子相手に敗死するだろうその日まで、大友皇子に付いていく決意を固めました。大友皇子の決意は、大海人皇子への尋常ではない傾倒からも説得力があるように思います。
大友皇子・十市皇女夫妻の間の息子である葛野王は、幼少の頃の藤原史(不比等)にやや似ているように思います。今後、葛野王が重要な役割を果たすところまで連載が続けばよいのですが、さすがにそこまでは続かないでしょうか。せめて、十市皇女が若くして死んでしまった経緯までは描いてもらいたいものですが、壬申の乱の後のことですし、天智帝と大海人皇子との「兄弟喧嘩」という主題に直接関係するわけではないので、難しいでしょうか。
大友皇子・十市皇女夫妻の話が、これまで二人の関係があまり描かれていなかったにも関わらず、作中でのこれまでの描写に沿った説得力のあるものだったのにたいして、大海人皇子・鸕野讚良皇女夫妻の話は、率直に言って説得力に欠けるところがあったと思います。鸕野讚良皇女の気の強さはこれまで多少なりとも描かれていたので、今回鸕野讚良皇女が激昂したこと自体は、意外ではありませんでした。問題なのは、鸕野讚良皇女が激昂した理由です。
鸕野讚良皇女は、父である天智帝を夫である大海人皇子が殺害したことに激昂しました。今回、改めて大海人皇子は天智帝を殺害したと認めましたから、その遺体は、蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)とともに、大海人皇子が籠っている吉野の社に安置されているのかもしれません。大海人皇子の僧形は、異父兄である天智帝への弔いということでしょうか。以前、鸕野讚良皇女は額田王に父のことをよろしく頼むと言っていましたが(第62話)、これは嫉妬心によるもので、夫である大海人皇子に手を出すな、という警告が鸕野讚良皇女の真意だ、と私は解釈していました。
この他には、鸕野讚良皇女が父である天智帝を慕っているような描写はありません。天智帝は、自分の娘で鸕野讚良皇女の同母姉である大田皇女に冷淡で、大田皇女が妊娠した頃、二人の母方祖父である蘇我倉山田石川麻呂が自害に追い込まれた一件の頃から会っていない(10年以上?)、と言っていたくらいなので(第29話)、鸕野讚良皇女にも同様に冷淡なのだと私は思っていました。また、大田皇女と鸕野讚良皇女が大海人皇子の妻となったのは、体のよい厄介払いではないか、と鵲が推測していたくらいなので(第17話)、大田皇女も鸕野讚良皇女も、大海人皇子と結婚した後は父の天智帝に冷ややかな感情を抱いていたのではないか、と私は推測していました。
それだけに、大海人皇子が父を殺したと知り、鸕野讚良皇女が激昂したのは本当に意外でした。今回の描写からは、帝を殺害して自分と息子の草壁皇子をも窮地に追いやった、との理由よりも、父親を殺されたことのほうが、鸕野讚良皇女が激昂した理由としてはるかに大きかったように思われます。まあ、大田皇女は幼少時に父の天智帝をたいへん慕っていましたから(関連記事)、鸕野讚良皇女もその頃からずっと父を慕っていたのかもしれませんが、それならば、これまでに少しはそうした描写があってもよかったのではないか、と思います。
さらに言えば、天智帝殺害の容疑がかけられることを承知で、吉野へと退去した大海人皇子がわざわざ連れてくるくらいですから、鸕野讚良皇女は大海人皇子にかなり信用されているのでしょう。しかしこれまで、大海人皇子・鸕野讚良皇女夫妻の関係は皆無と言ってよいくらい描かれていなかったので、大海人皇子が鸕野讚良皇女を吉野に連れてきたこと自体が意外でした。まあ、『日本書紀』の記事を採用しただけなのかもしれませんし、鸕野讚良皇女がこのまま空気で作品が完結するよりは、前回と今回のように存在感を示したほうがよかった、とも思いますが。
今回の鸕野讚良皇女の心境を考えると、父を殺した夫は許せないものの、夫が帝位への野心を明らかにしたので、こうなった以上は、自分と息子のためにも、反逆者として討伐されて敗者となるのではなく、勝って権力を奪取してもらいたい、というところでしょうか。しかし、鸕野讚良皇女の大海人皇子へのわだかまりは残るでしょうから、これが、鸕野讚良皇女が藤原史を重用し、ついには大海人皇子の悲願だった蘇我入鹿の名誉回復が最終的には阻止された要因となるのでしょうか。まあ、そこまで描かれなさそうではありますが。
今回、第42話以来久々に登場した草壁皇子ですが、作中ではおそらく満年齢で10歳くらいだと思います。草壁皇子の容貌は母の鸕野讚良皇女に似ており、つまりは母方祖父にして伯父である天智帝に(ついでに言えば、叔父にして従兄弟の大友皇子にも)似ている、ということになります。ただ、まだ10歳なので仕方ないのかもしれませんが、草壁皇子は狼狽した様子を見せており、気弱な性格のように思われます。草壁皇子は天智帝に似ているわけですから、大田皇女の息子の大津皇子が大海人皇子(とその父である蘇我入鹿)に似ており、天智帝・大海人皇子兄弟の愛憎関係が大海人皇子の子供の世代にも継承される・・・と妄想したくなります。
もし、大田皇女が妹の鸕野讚良皇女に毒殺されていたとしたら、弟にとって、兄は親を殺害した仇である、という関係が草壁皇子と大津皇子でも再現されることになります。まあ、これまでの描写からして、鸕野讚良皇女が姉の大田皇女を毒殺したということはなさそうですし、大海人皇子の子供である程度詳しく描かれそうなのは十市皇女くらいになりそうですから、帝位をめぐる草壁皇子と大津皇子の関係は、本作では描かれないのでしょう。できれば、壬申の乱で一区切りの後に、天武朝・持統朝~『日本書紀』の編纂を経て救世観音像が法隆寺夢殿に安置されるまでを、続編で描いてもらいたいものですが、さすがに難しいでしょうか。
何しろ、本作の掲載順序はずっと悪いように思われ、同じくこのところずっと掲載順序が悪いように思われた『マウンドファーザー』が、いかにも打ち切りといった感じで次回にて終了しますから、本作の完結も近いのかもしれません。年末発売予定だった単行本第9集は、来年(2016年)1月末発売と予定が変更になったようですから、単行本第9集には最大でこの後3話収録されることになります。このうち最終回とその前回が増ページとなり、壬申の乱が1~2話程度で完結したら、あるいは単行本第9集で完結するのではないか、と不安になります。ともかく今は、少しでも長く連載が続くことを願っています。
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