デニソワ人の臼歯の形態およびDNA解析
これは11月19日分の記事として掲載しておきます。デニソワ人(種区分未定)の臼歯の形態およびそのDNA解析についての研究(Sawyer et al., 2015)が報道(日本語版)されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。デニソワ人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とも現生人類(Homo sapiens)とも異なる系統の人類です。これまで、デニソワ人は3個体分発見されているものの、手の指骨(デニソワ3)・臼歯2点(デニソワ4・デニソワ8)だけで形態学的情報はひじょうに少ないので、遺伝学的に定義された人類系統と言えるでしょう。
本論文は、デニソワ8の臼歯の特徴をデニソワ4や現生人類およびネアンデルタール人など他系統の人類の臼歯と比較するとともに、デニソワ4の核DNAとデニソワ8のミトコンドリアおよび核のDNAを解析し、すでに高精度の核ゲノム配列が得られているデニソワ3やネアンデルタール人や現代人と比較しています。デニソワ4の年代は、放射性炭素年代測定法により、5万年以上前と、48600±2300年前という結果が得られています。デニソワ3の年代は5万年以上前ということしか明らかになっておらず、その下層で発見されたデニソワ8は、デニソワ3よりも古いことになりそうです。なお、デニソワ3の下層では、ネアンデルタール人の足の指骨(デニソワ5)が発見されており、高精度の核ゲノム配列が得られています(関連記事)。
デニソワ4とデニソワ8の臼歯の特徴は、ネアンデルタール人や現生人類の平均的な臼歯と比較してたいへん大きく、ネアンデルタール人や現生人類とは異なる祖先的特徴を有することです。そのサイズは鮮新世の人類に匹敵する、と本論文では指摘されています。デニソワ4とデニソワ8の年代が異なることから、この臼歯の特徴はデニソワ人の一部の個体に見られる例外ではなく、デニソワ人に共通する特徴である可能性が高そうです。ただ本論文では、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された上部旧石器時代の現生人類ワセ2(Oase 2)と、ウズベキスタンのオビラハマート(Obi- Rakhmat)洞窟で発見されたネアンデルタール人と推定されているオビラハマート1(関連記事)の臼歯は、デニソワ4とデニソワ8の臼歯のサイズに匹敵する、とも指摘されています。
臼歯の形態とともに本論文が解析しているのは、デニソワ4・8のDNAです。ミトコンドリアDNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人および現生人類(Homo sapiens)の共通祖先系統とが分岐し、その後にネアンデルタール人の系統と現生人類の系統とが分岐したことになります(関連記事)。ところが、核DNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人およびネアンデルタール人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統とが分岐し、その後にデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人の祖先系統とが分岐したことになります(関連記事)。
本論文の解析結果も、基本的にはこれまでの研究を支持するものとなりました。すでにデニソワ4のミトコンドリアDNAは、ネアンデルタール人・現生人類との比較でデニソワ3とともに単系統を形成することが明らかになっていました。デニソワ4の核DNAの解析と、デニソワ8の核およびミトコンドリアのDNAの解析でも、デニソワ4・8ともにデニソワ3と単系統を形成するものの、核DNAとミトコンドリアDNAでは、デニソワ人系統の人類進化系統樹における位置づけが異なる、ということが改めて明らかになりました。
核DNAでもミトコンドリアDNAでも、デニソワ人の遺伝的多様性はネアンデルタール人よりも高く、現代人よりも低いことが明らかになりました。年代に違いがあるとはいえ、同じ洞窟から発見された3個体のデニソワ人の遺伝的多様性が、広範な地域の7個体のネアンデルタール人のそれよりも高いことから、後期ネアンデルタール人の遺伝的多様性はかなり低かったのではないか、と推測されています。これは、ネアンデルタール人がある時点で人口減少による瓶首効果(ボトルネック)を経験したためなのかもしれず、前期ネアンデルタール人の遺伝的多様性はもっと高かった可能性も考えられるでしょう。
デニソワ人の間の遺伝的相違については、ミトコンドリアDNAでは、デニソワ3とデニソワ4の系統と、デニソワ8の系統に区分できることが明らかになりました。デニソワ人の間の遺伝的相違から、デニソワ8の年代はデニソワ3・4よりも6万年古いと推定されており、そうした違いを反映しているのかもしれません。上述したように、デニソワ洞窟にはネアンデルタール人も居住していました。本論文は、ネアンデルタール人がデニソワ洞窟を占拠してデニソワ人のデニソワ洞窟での居住が中断され、デニソワ人がデニソワ洞窟の近隣地域に居住していた可能性を指摘しています。デニソワ人は中断を挟みつつデニソワ洞窟およびその周辺に複数回進出した可能性があるわけで、デニソワ8とデニソワ3・4は祖先-子孫関係にはなく、デニソワ人のなかで異なる系統だったのかもしれません。
デニソワ人は遺伝学的に定義された人類系統であり、これまでの人類系統が解剖学的に定義されていたことを考えると、異質と言えるでしょう。現時点では、デニソワ人はデニソワ洞窟でしか発見されていませんが、他地域の既知の人骨のなかにデニソワ人の系統に区分できるものがあるかもしれない、ということは多くの研究者が想定しているでしょう。その根拠として、デニソワ人由来の核DNA領域が現代オセアニア人においてやや多く(関連記事)、現代東アジア人においてそれよりもずっと少なく継承されている(関連記事)、との研究があります。そのため、デニソワ人はアジアに広範に存在していたのではないか、と考えられています。ただ、デニソワ4については、ゲノム配列の精度が低いこともあり、オセアニア人への遺伝子流動の検出を確証するにはじゅうぶんなデータが得られなかった、とのことです。同様に、ゲノム配列の精度の低さの問題から、デニソワ3で検出されたネアンデルタール人からの遺伝子流動がデニソワ4・8でも確認されるのか、という問題についても、検証するのにじゅうぶんなデータが得られなかった、と指摘されています。
さらに本論文では、デニソワ3の核DNA解析で推定された、デニソワ人と遺伝学的に未知の系統の人類(解剖学的には既知かもしれません)との交雑の影響も、デニソワ人3個体の間では異なっていたかもしれない、と指摘されています。この未知の系統の人類は、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万~100万年前頃に分岐した、と推定されています。また、この未知の系統の人類が、デニソワ人にネアンデルタール人や現生人類とは大きく異なる系統のミトコンドリアDNAをもたらしたのではないか、とも推測されています。本論文は、こうした問題を解決するには、もっと多くのデニソワ人標本からの核DNAが必要だ、と指摘しています。
以上、本論文をざっと見てきました。本論文により改めて、ネアンデルタール人とも現生人類とも異なる系統としてのデニソワ人の存在が確認されました。デニソワ人の大きな臼歯と祖先的な形態はデニソワ人に共通する特徴である可能性が高いので、今後形態学的にデニソワ人か否か区分するさいの判断基準になるかもしれません。ミトコンドリアDNAと核DNAとで、人類進化系統樹におけるデニソワ人の位置づけが異なる問題に関しては、イベリア半島北部の中期更新世の人類のDNA解析(関連記事)も関係してきて解釈の難しいところですが、デニソワ人型のミトコンドリアDNAは、デニソワ人と交雑した遺伝学的に未知の人類系統からもたらされた、との可能性が高いように思います。
参考文献:
Sawyer S. et al.(2015): Nuclear and mitochondrial DNA sequences from two Denisovan individuals. PNAS, 112, 51, 15696–15700.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1519905112
本論文は、デニソワ8の臼歯の特徴をデニソワ4や現生人類およびネアンデルタール人など他系統の人類の臼歯と比較するとともに、デニソワ4の核DNAとデニソワ8のミトコンドリアおよび核のDNAを解析し、すでに高精度の核ゲノム配列が得られているデニソワ3やネアンデルタール人や現代人と比較しています。デニソワ4の年代は、放射性炭素年代測定法により、5万年以上前と、48600±2300年前という結果が得られています。デニソワ3の年代は5万年以上前ということしか明らかになっておらず、その下層で発見されたデニソワ8は、デニソワ3よりも古いことになりそうです。なお、デニソワ3の下層では、ネアンデルタール人の足の指骨(デニソワ5)が発見されており、高精度の核ゲノム配列が得られています(関連記事)。
デニソワ4とデニソワ8の臼歯の特徴は、ネアンデルタール人や現生人類の平均的な臼歯と比較してたいへん大きく、ネアンデルタール人や現生人類とは異なる祖先的特徴を有することです。そのサイズは鮮新世の人類に匹敵する、と本論文では指摘されています。デニソワ4とデニソワ8の年代が異なることから、この臼歯の特徴はデニソワ人の一部の個体に見られる例外ではなく、デニソワ人に共通する特徴である可能性が高そうです。ただ本論文では、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された上部旧石器時代の現生人類ワセ2(Oase 2)と、ウズベキスタンのオビラハマート(Obi- Rakhmat)洞窟で発見されたネアンデルタール人と推定されているオビラハマート1(関連記事)の臼歯は、デニソワ4とデニソワ8の臼歯のサイズに匹敵する、とも指摘されています。
臼歯の形態とともに本論文が解析しているのは、デニソワ4・8のDNAです。ミトコンドリアDNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人および現生人類(Homo sapiens)の共通祖先系統とが分岐し、その後にネアンデルタール人の系統と現生人類の系統とが分岐したことになります(関連記事)。ところが、核DNAに基づく人類進化系統樹では、まずデニソワ人およびネアンデルタール人の共通祖先系統と現生人類の祖先系統とが分岐し、その後にデニソワ人の祖先系統とネアンデルタール人の祖先系統とが分岐したことになります(関連記事)。
本論文の解析結果も、基本的にはこれまでの研究を支持するものとなりました。すでにデニソワ4のミトコンドリアDNAは、ネアンデルタール人・現生人類との比較でデニソワ3とともに単系統を形成することが明らかになっていました。デニソワ4の核DNAの解析と、デニソワ8の核およびミトコンドリアのDNAの解析でも、デニソワ4・8ともにデニソワ3と単系統を形成するものの、核DNAとミトコンドリアDNAでは、デニソワ人系統の人類進化系統樹における位置づけが異なる、ということが改めて明らかになりました。
核DNAでもミトコンドリアDNAでも、デニソワ人の遺伝的多様性はネアンデルタール人よりも高く、現代人よりも低いことが明らかになりました。年代に違いがあるとはいえ、同じ洞窟から発見された3個体のデニソワ人の遺伝的多様性が、広範な地域の7個体のネアンデルタール人のそれよりも高いことから、後期ネアンデルタール人の遺伝的多様性はかなり低かったのではないか、と推測されています。これは、ネアンデルタール人がある時点で人口減少による瓶首効果(ボトルネック)を経験したためなのかもしれず、前期ネアンデルタール人の遺伝的多様性はもっと高かった可能性も考えられるでしょう。
デニソワ人の間の遺伝的相違については、ミトコンドリアDNAでは、デニソワ3とデニソワ4の系統と、デニソワ8の系統に区分できることが明らかになりました。デニソワ人の間の遺伝的相違から、デニソワ8の年代はデニソワ3・4よりも6万年古いと推定されており、そうした違いを反映しているのかもしれません。上述したように、デニソワ洞窟にはネアンデルタール人も居住していました。本論文は、ネアンデルタール人がデニソワ洞窟を占拠してデニソワ人のデニソワ洞窟での居住が中断され、デニソワ人がデニソワ洞窟の近隣地域に居住していた可能性を指摘しています。デニソワ人は中断を挟みつつデニソワ洞窟およびその周辺に複数回進出した可能性があるわけで、デニソワ8とデニソワ3・4は祖先-子孫関係にはなく、デニソワ人のなかで異なる系統だったのかもしれません。
デニソワ人は遺伝学的に定義された人類系統であり、これまでの人類系統が解剖学的に定義されていたことを考えると、異質と言えるでしょう。現時点では、デニソワ人はデニソワ洞窟でしか発見されていませんが、他地域の既知の人骨のなかにデニソワ人の系統に区分できるものがあるかもしれない、ということは多くの研究者が想定しているでしょう。その根拠として、デニソワ人由来の核DNA領域が現代オセアニア人においてやや多く(関連記事)、現代東アジア人においてそれよりもずっと少なく継承されている(関連記事)、との研究があります。そのため、デニソワ人はアジアに広範に存在していたのではないか、と考えられています。ただ、デニソワ4については、ゲノム配列の精度が低いこともあり、オセアニア人への遺伝子流動の検出を確証するにはじゅうぶんなデータが得られなかった、とのことです。同様に、ゲノム配列の精度の低さの問題から、デニソワ3で検出されたネアンデルタール人からの遺伝子流動がデニソワ4・8でも確認されるのか、という問題についても、検証するのにじゅうぶんなデータが得られなかった、と指摘されています。
さらに本論文では、デニソワ3の核DNA解析で推定された、デニソワ人と遺伝学的に未知の系統の人類(解剖学的には既知かもしれません)との交雑の影響も、デニソワ人3個体の間では異なっていたかもしれない、と指摘されています。この未知の系統の人類は、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万~100万年前頃に分岐した、と推定されています。また、この未知の系統の人類が、デニソワ人にネアンデルタール人や現生人類とは大きく異なる系統のミトコンドリアDNAをもたらしたのではないか、とも推測されています。本論文は、こうした問題を解決するには、もっと多くのデニソワ人標本からの核DNAが必要だ、と指摘しています。
以上、本論文をざっと見てきました。本論文により改めて、ネアンデルタール人とも現生人類とも異なる系統としてのデニソワ人の存在が確認されました。デニソワ人の大きな臼歯と祖先的な形態はデニソワ人に共通する特徴である可能性が高いので、今後形態学的にデニソワ人か否か区分するさいの判断基準になるかもしれません。ミトコンドリアDNAと核DNAとで、人類進化系統樹におけるデニソワ人の位置づけが異なる問題に関しては、イベリア半島北部の中期更新世の人類のDNA解析(関連記事)も関係してきて解釈の難しいところですが、デニソワ人型のミトコンドリアDNAは、デニソワ人と交雑した遺伝学的に未知の人類系統からもたらされた、との可能性が高いように思います。
参考文献:
Sawyer S. et al.(2015): Nuclear and mitochondrial DNA sequences from two Denisovan individuals. PNAS, 112, 51, 15696–15700.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1519905112
この記事へのコメント
これってまずハイデルクベルク人(仮にハイデルベルク人A系とします)が出アフリカし、ユーラシアに広がったあと、だいぶ経ってからもう一度別のハイデルベルク人(仮にハイデルベルク人B系)が出アフリカしたとして、
先に出アフリカしたA系が後にデニソワ人となってスペインから東アジアまで広がってる状態にB系の集団が混血してきて、母系がA、父系がBの集団が形成されそれがネアンデルタールになった。そしてB系でまだ出アフリカしてなかった集団から現生人類が生まれた、と単純に考えることによって説明つかないんでしょうか?
ホントにずぶの素人の素人考えですみません。
デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類間のY染色体の系統解析はまだ確定していないと思うのですが、核DNAの解析では、デニソワ人とネアンデルタール人が近縁で、現生人類がやや離れた関係にありますから、おそらく父系でもネアンデルタール人とより近縁なのは現生人類ではなくデニソワ人だと思います。
だとすると、デニソワ人とネアンデルタール人の共通祖先から、ネアンデルタール人が分岐する際に、より後に出アフリカした(つまり現生人類と後に分岐した)集団のミトコンドリアDNAを母系から取りこんで、ネアンデルタール人になって行ったということでしょうか。そうすると2015/09/15 00:04の記事のようなスペインのハイデルベルク人にネアンデルタールよりもデニソワ人的特徴が残っていることや、ネアンデルタール人よりもデニソワ人の方が遺伝子的多様性が大きいことなども矛盾なく説明できるかと思いました。前提となる知識があまりに欠けているため見当違いなことを言ってるかもですが、私のように一次資料を全く読んだことがないものにも、このブログは興味深い議論の種を提供してくれるので、ついあれこれ想像を膨らませてしまいます。
個人的な関心としましては、もし上記のように、デニソワ人的特徴を多く備えた後期ハイデルベルク人が遺伝子的多様性を抱えたままユーラシアに広く存在し、そののちにネアンデルタール人が少数集団から広がって行ったとするならば、スペインから東アジアまで広がっていたと想定される広義のデニソワ人(ないしはデニソワ人的特徴を持つハイデルベルク人?)の地域的偏差がどのように成立したのかと、その際、先行するより祖先的なホモ属(例えば、ホモエレクトスの亜種?)の遺伝子を、例えばデニソワ洞窟のデニソワ人がどの程度取りこんでいるのかが気になります。いずれにしてもありがとうございました!