レヴァントにおけるネアンデルタール人の狩猟戦略

 レヴァントにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の狩猟戦略についての研究(Hartman et al., 2015)が報道されました。本論文は、イスラエル北部に位置するアムッド洞窟(Amud Cave)のネアンデルタール人と関連した層を検証しています。アムッド洞窟は、ネアンデルタール人の生息範囲としてはほぼ南限となります。アムッド洞窟のネアンデルタール人と関連した層は、前期のB4層と後期のB2・B1層です。両層は考古学的痕跡の確認されていないB3層により隔てられています。熱ルミネッセンス法と電子スピン共鳴法による年代は、海洋酸素同位体ステージ(MIS)4のB4層が68500±3400年前、MIS 3のB2・B1層57000±4000年前と推定されています。

 本論文は、当時レヴァントにおいて人類の主要な狩猟対象となったガゼルの歯のエナメル質から酸素・炭素・ストロンチウムの同位体を分析し、現在のアムッド洞窟一帯のそれらと比較しました。現在のアムッド洞窟一帯は、年平均気温が22℃、平均年降水量が450mmで雨季と乾季が分かれている半乾燥地です。アムッド洞窟一帯は、地形学的・岩石学的・土壌学的不均一性のため、動物の生息地域を詳しく推定できます。この分析・比較の結果、アムッド洞窟のネアンデルタール人の狩猟戦略が前期と後期とで異なっていることが示唆されました。前期の狩猟範囲は、おおむねアムッド洞窟西側の高地に限定されていましたが、後期にはもっと狩猟範囲が広がり、低地に集中していくようになりました。これは、寒冷・乾燥した前期には、ガゼルが食資源を求めて高地へと移動したのにたいして、前期より温暖・湿潤な後期には、低地の食資源状況が改善され、低地へと移動していったためではないか、と推測されています。

 本論文は、ネアンデルタール人の狩猟戦略が状況の変化に応じた柔軟なものだったことを指摘しています。現生人類(Homo sapiens)アフリカ単一起源説が優勢となった1990年代後半以降、ネアンデルタール人の絶滅を説明しやすいためか、ネアンデルタール人は柔軟性も含む能力が現生人類よりも劣っていた、との見解が強く主張されるようになりました。しかし近年では、ネアンデルタール人の「復権」が進んでいるように思われ、本論文の見解もそうした傾向に沿っている、とも解釈できそうです。そうした傾向には、ネアンデルタール人と現生人類との交雑が確実視されるようになったことも影響しているのでしょう。また本論文は、旧石器時代の動物の行動の解釈や人類の狩猟行動の復元に、複数の同位体分析が有効だ、と指摘しています。


参考文献:
Hartman G, Hoversd E, Hublin JJ, and Richard M.(2015): Isotopic evidence for Last Glacial climatic impacts on Neanderthal gazelle hunting territories at Amud Cave, Israel. Journal of Human Evolution, 84, 71–82.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2015.03.008

この記事へのコメント

レブ
2015年10月31日 01:21
一般向けの化石人類学の本だとネアンデルタール人はやたらとヨーロッパにおける
現生人類との入れ代わりばかり語られて、それ以前にあった中東における生態や入れ代わり
がスルーされがちな印象があります。ちょっと前まで「五万年前の大躍進」という
馬鹿げたレベルなまでに欧州偏重なストーリーが流通してたジャンルなので驚きませんけど。
2015年10月31日 23:59
古人類学の分野でヨーロッパ偏重の傾向が強かったことは、確かに否定できませんね。

もっとも、古人類学に限らず、近代以降の学問の成立過程を考えると、最近ではかなり是正されているとはいえ、ヨーロッパ偏重の傾向が強くなってしまうことは仕方のないところもあったのかな、とは思います。

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    Excerpt: ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)による狩猟方法に関する研究(Gaudzinski-Windheuser et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン.. Weblog: 雑記帳 racked: 2018-06-26 17:17