Daniel E. Lieberman『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』上・下

 ダニエル=リーバーマン(Daniel E. Lieberman)著、塩原通緒訳で、早川書房より2015年9月に刊行されました。原書の刊行は2013年です。人類は現在の主要な環境にじゅうぶん適応していたわけではなく(ミスマッチ)、それが腰痛や糖尿病など以前にはあまり(もしくはほとんど)見られなかった現代人のさまざまな健康問題を惹起している、というのが本書の基本的な視点です。交通機関の発達・椅子に長時間座ること・糖分などの過剰摂取(栄養過多)といった、多くの現代人にとっての環境は、人類史のうえでごく最近に生じた、もしくは一般的になったものです。

 さらに、そうした健康上の問題が生じても、医療技術の発展により対症療法である程度まで健康に生きていけるようになったため、根本的に要因を取り除き、予防することが疎かになっている、と本書は指摘します。現代社会の健康・医療問題の改善のためには、人類の進化史を検証し、現代人と現在の主要な環境とのミスマッチを解明しなければならない、というのが本書の提言です。こうした見解自体は、一般にもわりと浸透しているかもしれませんが、だからといって、本書は近年話題になっている「パレオダイエット」などの「パレオファンタジー(石器時代への幻想)」に傾斜しているわけではなく、基本的には妥当な内容になっていると思います。

 本書は人類の進化史を検証し、大きな変化が7回生じた、との見解を提示しています。第一の変化は、人類の祖先が現生類人猿の祖先と分岐し、直立二足歩行の生物へと進化したことです。第二の変化は、人類(本書ではアウストラロピテクス属の時点とされます)が主食だった果実以外のさまざまな食物を採集して食べるようになったことです。第三の変化は、現代人に近い身体とそれまでよりもわずかに大きい脳を備えた人類の出現です。狭義のホモ属というか、広義のエレクトス(Homo erectus)の出現と言うべきでしょうか。本書は、ここで最初の狩猟採集民が出現した、との見解を提示しています。第四の変化は、狩猟採集民たる人類が「旧世界」の広範な地域に拡散し、より大きな脳とじゅうらいよりも成長に時間のかかる身体を進化させたことです。第五の変化は、現生人類(Homo sapiens)が言語・文化・協力という特殊な能力を進化させ、その利点によって急速に地球全体に拡散し、地球上で唯一の人類種となったことです。

 ここまでは生物学的な進化を前提とした変化ですが、本書はさらに、文化的な進化にも二つの大きな画期があった、と指摘します。文化的な進化は急速なので、それが人類の身体的特徴と現代の収容な環境とのミスマッチを惹起している、というのが本書の見通しです。その大きな画期とは、多くの人には推測できるでしょうが、第六の変化たる農業革命(狩猟と採集に代わって農業が主要な食糧調達手段となりました)と第七の変化たる産業革命(人間の手仕事に代わって機械が使われるようになりました)です。本書はこのように人類の進化史を概観し、現代人とその主要な環境とのミスマッチが、現代人にさまざまな新しい(じゅうらいは低頻度だった)健康問題を生じさせている、と論じます。

 もちろん、本書の刊行後も人類の進化および健康問題に関する研究は進展しており、本書の見解で今後訂正が必要なものも出てくるでしょう。しかし、本書の基本的な見解は長く支持され続けることになると思います。私も本書の見解を基本的には支持しており、現代社会における健康問題の改善を進化学的観点から論じた本書は有益だと思います。私も、自身の生活を省みて、見直さなければならないところが多々あるな、と改めて思い知らされました。もちろん、そうした「実用的」な観点を抜きにして、人類の進化史としてもたいへん有益な解説になっています。


参考文献:
Lieberman DE.著(2015)、塩原通緒訳『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』上・下(早川書房、原書の刊行は2013年)

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