『天智と天武~新説・日本書紀~』第75話「沓」

 これは10月25日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2015年11月10日号掲載分の感想です。前回は、天智帝(中大兄皇子)が大海人皇子(天武帝)を追い、山科へと向かうところで終了しました。今回は、山科に到着した天智帝を、大海人皇子が樹上で笛を吹きながら迎える場面から始まります。木から降りてきた大海人皇子は、幼い頃に異父兄の天智帝(その頃は即位前でしたが)に聴かせようと笛の稽古に励んだことを思い出す(第1話)、と天智帝に語ります。

 その笛で地獄へと旅立つ私を送ってくれるのか、と大海人皇子に尋ねた天智帝は、蘇我入鹿はいそうにないが、藤原鎌足(豊璋)になら会えそうだ、と言います。すると大海人皇子は、それは約束できない、旅立つのは自分の方かもしれない、と返答します。天智帝に入鹿の形見である服を着ていることを指摘された大海人皇子は、自分は入鹿の蘇りだ、と言います。すると天智帝は、自分が追いかけてきたのは入鹿ではなく大海人皇子だ、と言います。

 仕損なうな、自分はお前の憎き仇だぞ、と天智帝に言われた大海人皇子は、お望み通り全力で奪いに行く、と答えます。剣を抜いた大海人皇子は、兄上を自分のものにするために、と言います。すると天智帝は、狂気と気力に満ちた表情を浮かべ、これこそ自分の望んでいたことだと言い、興奮しているようです。天智帝と大海人皇子の戦いが始まり、最初は互角に斬り合います。二人は一旦離れ、次の瞬間、大海人皇子は高く跳び、天智帝に斬りかかろうとします。大海人皇子は歓喜に満ちたような表情を、天智帝は満足したような表情を浮かべます。

 二人の斬り合いの描写はここまでで、その結果は、今回は描かれませんでした。翌日(だと思いますが、明示されていません)、天智帝の配下の者たちが山科で天智帝を探していると、天智帝の沓を発見します。天智帝が行方不明になった10日後、すでに雪が降り始めていた近江大津宮では、天智帝が行方不明でその沓だけが山科で見つかったことから、姿を消した大海人皇子が天智帝を殺害したのではないか、との噂が広まっていました。額田王はそうした噂を聞き、何か思うことがあるようです。

 蘇我赤兄は大友皇子に天智帝の沓を見せ、覚悟を決めるよう迫ります。天智帝は大海人皇子に殺されたに違いなく、その大海人皇子は吉野にいるとの報せが届いているので、大友皇子が大君(天皇)に即位し、大海人皇子征伐の先頭に立つしかない、というわけです。叔父の大海人皇子を慕っている大友皇子は、まだ確証はないと言って否定的ですが、このまま放置していては、大友皇子は父殺しの謀反人も始末できない腰抜けと世間から謗りを受けることになる、と赤兄は大友皇子に忠告します。

 なおも悩む大友皇子にたいして赤兄は、大海人皇子を慕っているとはいっても、もう個人的感情でどうにかできる立場はない、と告げ、大海人皇子討伐を決断するよう促します。今日で天智帝は大海人皇子により殺害されたのだ、と赤兄は大友皇子に念押しします。苦悩する大友皇子はそれを受け入れますが、即位の前に確かめたいことがあるので時間がほしい、年明けの頃には何もかもはっきりさせる、と赤兄に言い、赤兄もそれを了承します。大友皇子が二人の供と必要最小限の荷物だけで天智帝行方不明の真相を確認しに出かける、というところで今回は終了です。


 今回の出来事はいつのことなのか、どうもはっきりとしません。天智帝と大海人皇子が斬り合ったのは671年10月17日(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)のことだと思ったのですが、天智帝が行方不明になって10日後に、今日天智帝は亡くなった、と赤兄が大友皇子に宣告しており、その後に、671年12月3日に天智帝が崩御した、との『日本書紀』の記事が引用されているので、天智帝が大海人皇子と斬り合って行方不明になったのは、671年11月22日ということになりそうです。もっとも、赤兄が大友皇子に天智帝の死を宣告したのが、天智帝が行方不明になって10日後であるのか、明示されていませんので、天智帝と大海人皇子が斬り合ったのは671年10月~11月のいずれかのことだった、と解釈しておくのがよさそうです。

 ともかく、今回は671年10月もしくは11月~12月のことが描かれている、と考えて大過なさそうです。本作の傾向からして、天智帝が行方不明となり、沓の落ちていたところを山稜とした、との『扶桑略記』の伝承が採用されるだろうな、と以前より予想しており、作中でも『扶桑略記』の伝承が取り上げられていましたが、結局天智帝がどうなったのか、今回は明示されませんでした。天智帝と大海人皇子との長きにわたる愛憎関係の決着が、斬り合いという形で描かれたことについては、これまで二人の心理戦が丁寧に描かれてきたことから、とくに不満はありません。

 天智帝がどうなったのか、なかなか予想の難しいところですが、赤兄をはじめとして大津宮の人々の多くは、天智帝が大海人皇子に殺された、と確信しているようです。ただ、これまでのひねってくる作風と、額田王の表情から推測すると、真相は違うのかな、と思います。たとえば、天智帝は大海人皇子に殺されたのではなく、吉野もしくは他のどこかで蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)を前に懺悔の日々を送っているのかもしれません。あるいは、それだけではなく、天智帝と大海人皇子は愛し合う日々を送っているのかもしれません。

 何とも予想の難しいところですが、ここから壬申の乱へとどう話が展開していくのか、ということはもっと予想が難しいように思います。天智帝が行方不明になった真相を確かめに出かけた大友皇子が何を知り、どのように思うのか、ということが鍵になりそうです。大友皇子が真相を把握する過程は、あるいは本作最大の山場になるかもしれません。父の天智帝を殺害した疑いが濃厚となっても、大友皇子はなおも大海人皇子を慕っており、大海人皇子の討伐には否定的です。大友皇子は真相を知ることで、大海人皇子への想いも変わってくるのかもしれません。

 大海人皇子の思惑もよく分からず、どのような展開で壬申の乱へと至るのか、大海人皇子の視点からも予想の難しいところです。これまでの描写からは、大海人皇子が甥の大友皇子を引き摺り下ろして政権を簒奪しようとする様子は窺えません。天智帝を殺害したのか否か、殺害していないとしたら天智帝をどこに匿っているのか、あるいは監禁しているのか、ということも不明です。天智帝がどうなったのか明らかにならないと、大海人皇子の思惑の予想も難しいところです。

 年末発売予定の単行本第9集には、最大で第78話まで採録されるでしょうから、単行本第9集で完結するとなると、残りは最大で3話となります。ただ、今回の話の流れからすると、残り3話で完結とも考えにくいので、単行本第9集には次回(第76話)まで採録され、少なくとも単行本第10集までは続きそうです。そうすると、第84話くらいまでは連載が続くことになりそうです。できれば、鸕野讚良皇女(持統帝)の思惑を描いたり、壬申の乱で活躍した高市皇子や人物相関図に掲載されている大津皇子なども登場させたりして、単行本第11集まで連載が続いてもらいたいものです。

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