東アジア最古の現生人類化石をめぐる認識

 東アジアというか、アラビア半島以東では最古となる明確な現生人類(Homo sapiens)化石が報告されたことは、先日このブログで取り上げました(関連記事)。この研究について、あるブログ記事がツイッターで取り上げられるなど話題になっているようですが、率直に言って、かなり疑問の残る認識となっています。まず、「しかしなんでこれほど驚くほどの発見が我が国のニュースに全く流れていないのだろう、、、不思議だ」とのことですが、日本語でも一応報道されています(翻訳記事ですが)。もっとも、これは大したことではなく、本題でもありません。

 まず問題となるのは、「多分南北アメリカには、ヨーロッパ入植の何万年も昔からいたのだ」との認識です。確かに、2万年以上前にアメリカ大陸に人類が存在していた、との報告も少ないながらあり(関連記事)、その中には、上記のブログ記事でも指摘されているように、5万年前頃までさかのぼる、とするものもありますが、まだ広く受け入れられている見解とはとても言えず、現時点では、ヨーロッパよりも先にアメリカ大陸に現生人類が進出していた、と考えている研究者はほとんどいないでしょう(ヨーロッパと当時はサフルランドの一部だったオーストラリア大陸のどちらに現生人類が先に進出したのかは、現時点では判断の難しい問題です)。

 その意味で、現生人類にとって「旧世界はアフリカ、アジア、南北アメリカ。新世界がヨーロッパと中東」との評価は妥当とは言えません。そもそも、この研究でも指摘されているように、中東というかもっと限定してレヴァントでは、現時点で東アジア最古となる明確な現生人類化石となる福岩洞窟人と近い年代の現生人類人骨が発見されており、中東がアメリカ大陸との比較で「(現生人類にとって)新世界」とはとても言えません。

 上記のブログ記事で指摘されているように、この研究では、ヨーロッパへの現生人類の進出が東アジアよりも遅れたのは、寒冷なヨーロッパにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が存在していたためではないか、との見解が提示されています。ただ、それはこの研究の主題ではなく、最後に簡潔に指摘されているにすぎません。さらに、この研究は現生人類の拡散に関して東アジアとヨーロッパとの対照性というよりは、レヴァントも含む西アジア(中東)とヨーロッパとの関係と、華南と華中および華北との関係との類似性を指摘しています。その意味で、現生人類の東アジアへの進出はヨーロッパよりずっと早かった、という単純な話ではありません。

 どういうことかというと、このブログでも言及しましたが、福岩洞窟人と近い年代の華北には、祖先的特徴の強い人類が存在していました(関連記事)。東アジアにおいても、現生人類の北方への早期の進出は、寒冷な気候と現生人類とは異なる系統の人類の存在により阻まれたのであり、現生人類の北方への進出は、ネアンデルタール人のような別系統の先住人類の衰退により可能になったのではないか、というわけです。こうした見解は、この研究が初めて提示したわけではなく、すでにヨーロッパ旧石器時代の研究において指摘されています(関連記事)。

 それは、48000年前頃のハインリッヒイベント(HE)5における寒冷化・乾燥化によりヨーロッパではネアンデルタール人が衰退し、その後の急激に温暖化した47000年前頃に現生人類がネアンデルタール人の衰退したヨーロッパへと進出したのではないか、との想定です。さらに、ネアンデルタール人にたいする現生人類の技術的優位が現生人類の西アジアやヨーロッパへの拡散を可能とした要因である、との見解がじゅうらいは有力でしたが、現生人類の拡散にはネアンデルタール人のような先住人類にたいする技術的優位は必ずしも伴っていなかったのではないか、との見解も提示されるようになっています(関連記事)。

 この研究から汲み取るべきなのは、現生人類はヨーロッパよりも先に東アジアへと進出したということよりも、『銃・病原菌・鉄』の見解とも通じますが、初期現生人類の拡散は起源地のアフリカよりもずっと高緯度の地域では難しかったのかもしれない、ということであるように思われます。その要因として、上述したように、熱帯・亜熱帯起源の現生人類にとって寒冷な気候は厳しい環境だっただろう、ということと共に、ネアンデルタール人のような高緯度地帯の先住人類が存在していたことが想定されます。

 また、「アジアに来たホモ・サピエンスと、結局ヨーロッパに入れたホモ・サピエンスの遺伝子が分岐したのは今までの常識よりも全然もっと古い」との認識も見られますが、これは微妙なところです。たとえばハブリン(Jean-Jacques Hublin)博士は、福岩洞窟人の存在と、現生人類の出アフリカは1回のみだったという遺伝学での有力な見解との整合性について、福岩洞窟人のような早期にアフリカからユーラシア東部にまで進出した現生人類は、後のアフリカからの現生人類の移住の波に飲み込まれたのではないか、と指摘しています。福岩洞窟人は絶滅したか、現代人の祖先だとしても、現代人の遺伝子プールへの寄与は少ない、というわけです。

 現生人類早期拡散説では福岩洞窟人のような存在は予想されており、12万~8万年前頃に華南に現生人類が存在していたこと自体は、とくに意外ではありません。しかし、10万年前頃までさかのぼるかもしれない明確な現生人類化石がアラビア半島以東で発見されたことと、その歯がレヴァントの早期現生人類化石の歯よりも現代人に近いことが明らかになったことは、たいへん意義深いと思います。もっとも、早期現生人類の形態は多様であり、各個体にも祖先的な特徴と派生的な特徴とが混在していた可能性が考えられますから、福岩洞窟人の歯以外の形態的特徴もレヴァントの早期現生人類よりも現代人的だったかというと、判断の難しいところです。

 現生人類の進化に関する理解の変遷については、私も簡潔にまとめられるだけの準備ができていないのですが、現生人類アフリカ単一起源説が有力視されるようになったのはせいぜい1980年代後半からで、それまではプレサピエンス説や地域ごとの進化を重視する説や人類単一種説など複数の見解が並立する状況だったように思われます。なお、オーストラリア先住民がネアンデルタール人の遺伝子をより多く継承している、との検証結果はまだ提示されていないと思います。現代のヨーロッパ系と東アジア系とを比較すると、平均してわずかに東アジア系の方がネアンデルタール人由来と考えられるゲノム領域を多く継承しており、その理由については複数の仮説が提示されています(関連記事)。

この記事へのコメント

禿原人ピカテン
2015年10月21日 21:13
古人類学に関しては、空想と誤解の塊のような記事がネットにあふれていますね。しかもそれがよく読まれているようです。いやはや。この雑記帳はその点、とても信頼性が高く、いつも参考にさせていただいています。
2015年10月22日 00:34
過分なお言葉、恐縮です。

ほとんど備忘録でしかない過疎ブログですが、できるだけ間違いの少ない記事の執筆を心掛けます。

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