東アジア最古の現生人類化石?(追記有)
東アジア最古の現生人類(Homo sapiens)の証拠を報告した研究(Liu et al., 2015)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文が検証したのは、中華人民共和国湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)で発見された47個の人間の歯です。この人間の歯には、5種の絶滅大型哺乳類を含む38種の動物化石が共伴しており、そのほとんどは歯でした。石器は共伴していない、とのことです。そのため、福岩洞窟には人類は居住しておらず、人類の遺骸は捕食動物によりもたらされたのではないか、と考えられています。
福岩洞窟人の歯は、小さなサイズ・薄い歯根・平坦な歯冠から、明らかに現生人類のものと判断されました。しかも、その年代はウラン系列法により12万~8万年前頃と推定されているにも関わらず、レヴァントのスフール(Skhul)やカフゼー(Qafzeh)といった洞窟で発見された10万年前頃の初期現生人類化石の歯よりも派生的で、現代人に類似している、と指摘されています。これまで、アラビア半島以東の明白な現生人類人骨の年代は5万~4万年前頃までしかさかのぼらなかったことから、本論文はこの福岩洞窟人の意義を強調し、本論文の執筆者ではない研究者たちも、福岩洞窟人の発見を高く評価しています。
現生人類の出アフリカに関しては、その回数・年代・経路をめぐって議論が続いています(関連記事)。8万年以上前の早期の現生人類の拡散を想定する見解もありますが、明白な証拠はまだ得られておらず、アフリカからスフールやカフゼーといったレヴァントへの早期の現生人類の進出は失敗に終わった、との見解が有力でした。しかし本論文の検証により、東アジアには遅くとも8万年前頃までには現生人類が進出していた可能性が高くなり、その年代は12万年前頃までさかのぼるかもしれません。ただ、本論文は、後期更新世前期における現生人類の東アジアへの早期の進出とはいっても、福岩洞窟のある華南とそれよりも寒冷な華中および華北では様相が異なるのではないか、とも指摘しています。福岩洞窟人と近い年代の華北には、祖先的特徴の強い人類が存在していました(関連記事)。
本論文は、後期更新世前期の東アジアにおけるこうした人類の分布状況は、現生人類のヨーロッパへの進出(45000年前頃)が東アジアよりもずっと遅れた理由とも関わってくるのではないか、との見解を提示しています。アフリカ起源の現生人類にとって、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が存在している寒冷なヨーロッパへの進出は困難で、ネアンデルタール人の衰退が始まってからヨーロッパへと進出できたのではないか、というわけです。こうした見解は、ヨーロッパの中部旧石器時代~上部旧石器時代への「移行期」についての研究でも提示されています(関連記事)。
現生人類早期出アフリカ説を主張しているペトラグリア(Michael Petraglia)博士は、自身の見解と整合的だとして、この研究を支持しているようです。ハブリン博士は、現生人類の出アフリカは1回のみだった、との遺伝学での有力な見解との整合性について、福岩洞窟人のような早期にアフリカからユーラシア東部にまで進出した現生人類は、後のアフリカからの現生人類の移住の波に飲み込まれたのではないか、と指摘しています。またハブリン博士は、福岩洞窟人の歯の腔は5万年以上前の人間には一般的ではない特徴であり、アジアの温暖な地域特有の食性を反映しているかもしれない、とも指摘しています。
現生人類の早期の出アフリカは失敗だったと考えてきたストリンガー(Chris Stringer)博士は、福岩洞窟人の発見に驚きを隠せないようです。福岩洞窟人の歯は疑いもなく現代人的であり、スフールやカフゼーの初期現生人類の歯よりも現代人に似ているように見えるので、スフールやカフゼータイプの集団の歯がアジアで急速に進化したか、スフールやカフゼーよりも現代的な現生人類によるこれまで想定されていなかった拡散があるのではないか、とストリンガー博士は指摘しています。
12万年前頃に東アジアへと現生人類が進出していたとしても不思議ではない、と私は考えてきたので、福岩洞窟人の発見は意外ではありませんでした。しかし、スフールやカフゼーの初期現生人類と年代が近いにも関わらず、歯がずっと現代人的なのは意外でした。ともかく、たいへん意義深い研究であることは間違いありません。ただ、発見されているのが歯だけなので、他の形態がどれだけ現代人的なのかは不明です。おそらく、初期現生人類の形態は多様であり、各個体には派生的特徴と祖先的特徴が混在していた可能性が高いのではないか、と思います。福岩洞窟人も、歯以外の形態では祖先的特徴が強かったかもしれません。
福岩洞窟人の歯と共伴する石器が発見されていないことは残念で、これが発見されれば、現生人類の拡散についてさらに多くの知見が得られるのではないか、と期待しています。福岩洞窟人の祖先集団は、アフリカで様式3(Mode 3)以降の石器を用いていただろう、と想定されますが、華南では様式1(Mode 1)の石器が2万年前頃かもっと後まで使用されており、簡素な石器で竹を加工して道具として用いていたからではないか、とも指摘されています(関連記事)。これは、初期現生人類が環境に応じて道具の使用法を変える柔軟性を有していたとも、それだけではなく、先住の人類集団の影響を受けたからとも考えられます。初期現生人類の行動様式・認知能力を推定するうえでも、福岩洞窟人もしくはその同系統の人類集団の人骨と共伴した石器の発見が期待されます。
参考文献:
Liu W. et al.(2015): The earliest unequivocally modern humans in southern China. Nature, 526, 7575, 696–699.
http://dx.doi.org/10.1038/nature15696
追記(2015年10月30日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
古人類学:中国南部で見つかった現生人類であることが明らかな最古の化石
古人類学:中国に初期のホモ・サピエンス
道県(中国南部)の福岩洞で見つかった解剖学的現生人類の47本の歯は、少なくとも8万年前のこの地域に解剖学的現生人類がいたことを示しており、さらに、この年代は12万年前までさかのぼる可能性もある。これは、レバント地方やヨーロッパに現生人類が現れた時期より3万~7万年も早い年代である。今回見つかった現生人類は、中国北部および中央部にいたヒト族と比べてはるかに現代人的な形態をしていた。この発見によって人類史の複雑さがいっそう深まり、未発見の事柄がまだたくさんあることが明らかになった。
追記(2015年12月1日)
上記解説記事の日本語訳が掲載されました。
福岩洞窟人の歯は、小さなサイズ・薄い歯根・平坦な歯冠から、明らかに現生人類のものと判断されました。しかも、その年代はウラン系列法により12万~8万年前頃と推定されているにも関わらず、レヴァントのスフール(Skhul)やカフゼー(Qafzeh)といった洞窟で発見された10万年前頃の初期現生人類化石の歯よりも派生的で、現代人に類似している、と指摘されています。これまで、アラビア半島以東の明白な現生人類人骨の年代は5万~4万年前頃までしかさかのぼらなかったことから、本論文はこの福岩洞窟人の意義を強調し、本論文の執筆者ではない研究者たちも、福岩洞窟人の発見を高く評価しています。
現生人類の出アフリカに関しては、その回数・年代・経路をめぐって議論が続いています(関連記事)。8万年以上前の早期の現生人類の拡散を想定する見解もありますが、明白な証拠はまだ得られておらず、アフリカからスフールやカフゼーといったレヴァントへの早期の現生人類の進出は失敗に終わった、との見解が有力でした。しかし本論文の検証により、東アジアには遅くとも8万年前頃までには現生人類が進出していた可能性が高くなり、その年代は12万年前頃までさかのぼるかもしれません。ただ、本論文は、後期更新世前期における現生人類の東アジアへの早期の進出とはいっても、福岩洞窟のある華南とそれよりも寒冷な華中および華北では様相が異なるのではないか、とも指摘しています。福岩洞窟人と近い年代の華北には、祖先的特徴の強い人類が存在していました(関連記事)。
本論文は、後期更新世前期の東アジアにおけるこうした人類の分布状況は、現生人類のヨーロッパへの進出(45000年前頃)が東アジアよりもずっと遅れた理由とも関わってくるのではないか、との見解を提示しています。アフリカ起源の現生人類にとって、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が存在している寒冷なヨーロッパへの進出は困難で、ネアンデルタール人の衰退が始まってからヨーロッパへと進出できたのではないか、というわけです。こうした見解は、ヨーロッパの中部旧石器時代~上部旧石器時代への「移行期」についての研究でも提示されています(関連記事)。
現生人類早期出アフリカ説を主張しているペトラグリア(Michael Petraglia)博士は、自身の見解と整合的だとして、この研究を支持しているようです。ハブリン博士は、現生人類の出アフリカは1回のみだった、との遺伝学での有力な見解との整合性について、福岩洞窟人のような早期にアフリカからユーラシア東部にまで進出した現生人類は、後のアフリカからの現生人類の移住の波に飲み込まれたのではないか、と指摘しています。またハブリン博士は、福岩洞窟人の歯の腔は5万年以上前の人間には一般的ではない特徴であり、アジアの温暖な地域特有の食性を反映しているかもしれない、とも指摘しています。
現生人類の早期の出アフリカは失敗だったと考えてきたストリンガー(Chris Stringer)博士は、福岩洞窟人の発見に驚きを隠せないようです。福岩洞窟人の歯は疑いもなく現代人的であり、スフールやカフゼーの初期現生人類の歯よりも現代人に似ているように見えるので、スフールやカフゼータイプの集団の歯がアジアで急速に進化したか、スフールやカフゼーよりも現代的な現生人類によるこれまで想定されていなかった拡散があるのではないか、とストリンガー博士は指摘しています。
12万年前頃に東アジアへと現生人類が進出していたとしても不思議ではない、と私は考えてきたので、福岩洞窟人の発見は意外ではありませんでした。しかし、スフールやカフゼーの初期現生人類と年代が近いにも関わらず、歯がずっと現代人的なのは意外でした。ともかく、たいへん意義深い研究であることは間違いありません。ただ、発見されているのが歯だけなので、他の形態がどれだけ現代人的なのかは不明です。おそらく、初期現生人類の形態は多様であり、各個体には派生的特徴と祖先的特徴が混在していた可能性が高いのではないか、と思います。福岩洞窟人も、歯以外の形態では祖先的特徴が強かったかもしれません。
福岩洞窟人の歯と共伴する石器が発見されていないことは残念で、これが発見されれば、現生人類の拡散についてさらに多くの知見が得られるのではないか、と期待しています。福岩洞窟人の祖先集団は、アフリカで様式3(Mode 3)以降の石器を用いていただろう、と想定されますが、華南では様式1(Mode 1)の石器が2万年前頃かもっと後まで使用されており、簡素な石器で竹を加工して道具として用いていたからではないか、とも指摘されています(関連記事)。これは、初期現生人類が環境に応じて道具の使用法を変える柔軟性を有していたとも、それだけではなく、先住の人類集団の影響を受けたからとも考えられます。初期現生人類の行動様式・認知能力を推定するうえでも、福岩洞窟人もしくはその同系統の人類集団の人骨と共伴した石器の発見が期待されます。
参考文献:
Liu W. et al.(2015): The earliest unequivocally modern humans in southern China. Nature, 526, 7575, 696–699.
http://dx.doi.org/10.1038/nature15696
追記(2015年10月30日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
古人類学:中国南部で見つかった現生人類であることが明らかな最古の化石
古人類学:中国に初期のホモ・サピエンス
道県(中国南部)の福岩洞で見つかった解剖学的現生人類の47本の歯は、少なくとも8万年前のこの地域に解剖学的現生人類がいたことを示しており、さらに、この年代は12万年前までさかのぼる可能性もある。これは、レバント地方やヨーロッパに現生人類が現れた時期より3万~7万年も早い年代である。今回見つかった現生人類は、中国北部および中央部にいたヒト族と比べてはるかに現代人的な形態をしていた。この発見によって人類史の複雑さがいっそう深まり、未発見の事柄がまだたくさんあることが明らかになった。
追記(2015年12月1日)
上記解説記事の日本語訳が掲載されました。
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