現生人類の出アフリカの検証

 現生人類(Homo sapiens)の出アフリカを検証した研究(Groucutt et al., 2015)を読みました。現生人類の起源に関しては、今ではアフリカ単一起源説が通説になったと言ってよいでしょう。現生人類の出現年代については、本論文でも指摘されているように20万~15万年前頃と考えるのが有力な見解となっています。もっとも、進化は連続的なのでどの時点から現生人類と認めるのかという問題もありますが、この年代はもう少しさかのぼる可能性が高いのではないか、と個人的には考えています。

 アフリカ起源の現生人類がどのように他地域に拡散していったのか(出アフリカ)、という問題をめぐっては、現在でも激しい議論が続いており、当分収束しそうにありません。本論文は、化石(形質人類学)・考古学・遺伝学・古環境学の諸研究成果を参照し、現生人類の出アフリカを検証しています。本論文は近年の研究成果を多数参照しており、現生人類の出アフリカについて近年の研究動向を把握するのにたいへん有益だと思います。

 現生人類の出アフリカに関する主要な論点は、回数・年代・経路と言えるでしょう。回数とは、現生人類の(成功した)出アフリカは1回なのか複数回なのか、という議論です。年代は、現生人類の出アフリカは早期なのか後期なのか、という議論です。本論文では、現生人類の出アフリカの時期を、13万~75000年前頃の海洋酸素同位体ステージ(MIS)5とするのが早期拡散説、MIS5の後とするのが後期拡散説として整理されています。経路に関しては、アフリカ東部からアラビア半島を経てユーラシア大陸南岸沿いに拡散した沿岸仮説と、アフリカ東部もしくは北部からナイル川沿いにレヴァントへと進出した北上説とが提示されています。

 現生人類の出アフリカについて、近年では、1回説・沿岸仮説・後期拡散説の組み合わせが有力視されていたのではないか、と思います。この見解では、現生人類のアフリカから南アジア・東南アジア・オーストラリア大陸(更新世の寒冷期には、ニューギニア島やタスマニア島とも陸続きとなり、サフルランドを形成していました)への拡散は急速だった、とされます(ヨーロッパへの進出はやや遅れたとされます)。たいへん分かりやすい仮説ですが、本論文は全体的に、現生人類の出アフリカは単純なものではなかっただろう、ということを強調しています。

 このような分かりやすい現生人類の出アフリカに関する説明は、遺伝学的な研究成果、とくにミトコンドリアDNAの解析を重要な根拠としています。非アフリカ系現代人は全員、ミトコンドリアDNAのハプログループではL3(正確には、L3の派生系統であるMおよびN)に属します。これは、アフリカ起源のL3系統の現生人類集団の一部が、1回のみアフリカから拡散した、とする見解と整合的に見えます。ただ、この場合の出アフリカとは、「成功した(非アフリカ系現代人の主要な祖先である)」という意味であり、たとえば10万年前頃のレヴァントの現生人類は、後世に子孫を残さず絶滅した、「失敗した」出アフリカだったとされます。L3の各系統の合着年代は79000~60000年前頃と推定されており、これは後期拡散説と整合的です。

 しかし本論文は、ミトコンドリア(母系遺伝)やY染色体(父系遺伝)といった単系統の遺伝で人類の移動史を復元することの危険性を強調し、解析技術の向上により可能となり、じょじょに蓄積されつつある全ゲノム解析の結果を取り入れる必要性を指摘しています。そうした結果も踏まえて本論文は、アフリカとユーラシアの現生人類集団間の55000年前頃の遺伝子流動の可能性を指摘し、そうだとすると早期拡散説とも矛盾しない、との見解を提示しています。本論文は、早期拡散説を仮定した場合、現生人類のL3系統がアフリカ起源でユーラシアへと拡散した可能性と、ユーラシア起源でアフリカへと拡散した可能性を提示し、現時点での推定では、後者の可能性が前者だけではなく後期拡散説よりも高いことを指摘しています。

 考古学の諸研究成果からは、MIS5におけるアラビア半島や南アジアとアフリカとの石器群の類似性が早期拡散説の証拠として指摘されています。興味深いのは、南アジアのMIS5の石器群には、レヴァントや中央アジアにおいてのネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と関連する技術は見られない、ということです。これは、アフリカ東部→アラビア半島南岸→西アジア南岸→南アジアという拡散経路を想定した場合の早期拡散説の間接的証拠となるかもしれません。アフリカ起源の現生人類はネアンデルタール人と接触せずに早期に南アジアにまで進出した、というわけです。

 ただ、アフリカとアジアの石器群の比較は難しい問題であり、これまでに指摘されてきた、アフリカと一部アジア地域の石器の類似性についても、今後さらなる検証が必要だ、と本論文では指摘されています。レヴァントではMIS5に確認されている現生人類の象徴行動については、人口規模との関連が指摘されています。また、MIS5のアラビア半島で象徴行動の証拠が確認されていないことについては、研究がまだあまり進んでいないためか、これまでに発見された遺跡では石材調達と石材の初期加工が行なわれていたことを反映しているなのかもしれない、との見解が提示されています。

 化石証拠から本論文が強調しているのは、初期現生人類の形態的な多様性です。たとえば、最初期の現生人類とされる人骨がエチオピアのオモ(Omo)で発見されており、年代は195000年前頃とされていますが、オモ1号には祖先的特徴もあるとはいえ現生人類的特徴が強く見られるのにたいして、オモ2号には祖先的特徴がかなり強く見られます。10万年前頃のレヴァントの現生人類にも、祖先的特徴が見られます。

 東アジアから東南アジアにかけては、10万年前頃以降とされる人骨群のなかに、やはり現生人類的な特徴を強く示すものと、現生人類的でありながら祖先的特徴を示すものとが混在しています。アラビア半島から南アジアを経て東南アジア・東アジアにかけては初期現生人類人骨が乏しいので、不確定なところが多分にある、というのが現状のようです。ただそれでも、本論文は、現生人類は遅くとも7万~6万年前頃までに、早ければ10万年前頃までに東南アジアにまで拡散した可能性が高い、との見解を提示しています。

 現生人類のアフリカからの拡散経路については、沿岸もしくは内陸(北上説など)のどちらかと厳密に二分するのではなく、上記の遺伝学の検証からも示唆される複数回の出アフリカを想定した場合、両方考えられる、ということが指摘されています。またその場合、早期拡散説と後期拡散説は相互に排他的なのではなく、両立し得ます。本論文は、海産資源の利用(これは現生人類だけではなく、ネアンデルタール人も同様ですが)など現生人類が沿岸に移動したことは、多様な環境を利用するという現生人類の行動の柔軟性を示しているのではないか、と指摘しています。

 本論文はこのように形質人類学・考古学・遺伝学・古環境学の諸研究成果を参照し、各地域における現生人類拡散の様相をまとめています。レヴァントに関しては、MIS5に現生人類が進出したものの、47000~45000年前頃に始まる上部旧石器時代以降の現生人類との間に断絶があった可能性が指摘されています。アラビア半島では、MIS5の石器群は現生人類と関連する石器群との類似性を示していますが、MIS5以降の石器群は曖昧です。南アジアでは、35000年前よりもさかのぼる現生人類化石が存在しませんが、考古学的データからは、MIS5以降に現生人類が存在したことが示唆されています。

 東南アジアでは、現生人類の存在に関連するような考古学的記録が、5万年前をさかのぼると曖昧になります。上述したように、東南アジアの化石証拠からは、現生人類が東南アジアに10万年前頃に進出した可能性が想定されます。オーストラリア大陸へと進出した人類はまず間違いなく現生人類のみであり、近年の考古学的研究から、その年代は5万年前頃かそれ以前にまでさかのぼる可能性が指摘されています。オーストラリア大陸の人類化石は45000年前頃までさかのぼります。どんなに遅くとも、オーストラリア大陸へと現生人類が進出した頃までに、現生人類はアフリカから拡散したことになります。

 本論文はまとめとして、現生人類の早期の拡散はそれに続く拡散に圧倒された、とするモデルが支持される、と指摘しています。現生人類の出アフリカに関しては、集団間の複雑な相互作用があり、1回のアフリカからの拡散により世界全域へと進出していった、とする単純なモデルはもはや通用しないだろう、というわけです。現時点での証拠からは、これが有力な見解と言えそうです。本論文ではあまり触れられていませんが、現生人類とネアンデルタール人などユーラシア大陸圏の先住人類との関係も、優越した技術を有した現生人類集団が他系統の先住人類集団を駆逐した、という単純な想定で全てを説明することは無理なようであり、現生人類のアフリカからの拡散はかなり複雑なものだったのでしょう。


参考文献:
Groucutt HS. et al.(2015): Rethinking the dispersal of Homo sapiens out of Africa. Evolutionary Anthropology, 24, 4, 149-164.
http://dx.doi.org/10.1002/evan.21455

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