『天智と天武~新説・日本書紀~』第73話「寝所のいざない」

 これは9月26日分の記事として掲載しておきます。『ビッグコミック』2015年10月10日号掲載分の感想です。前回は、天智帝(中大兄皇子)が大海人皇子(天武帝)を呼び、帝位を譲りたい、と言うところで終了しました。今回は、異父兄の天智帝からの意外な申し出に、油断しないようにとの大友皇子からの忠告を思い出した大海人皇子が、返答をためらう場面から始まります。その様子を見た天智帝は自嘲し、信じられないという顔をしているのも無理はない、と言って立ち上がります。年代は明記されていませんが、671年10月17日(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)でしょうか。

 天智帝は大海人皇子に、斑鳩寺(法隆寺)で大海人皇子に指摘された(第71話)通り、自分は蘇我入鹿を恋い慕うあまり交わることができない、と打ち明けます。自分にとって入鹿は崇高にして侵し難い存在なので、自分のところに降りてくるようなことはあってはならなかったのだ、と天智帝は大海人皇子に告白します。だから殺したのか、と大海人皇子に問われた天智帝は、入鹿は、愛情・憧れ・憎しみ・嫉妬・失望・高揚・悲しみ・苦痛など、さまざまな感情をあまりにも自分に起こさせるので、もう解放されたかったのだ、と答えます。

 それにたいして大海人皇子は突き放したような感じで、それらは生きていれば誰もが経験する感情だ、と指摘します。すると天智帝は、だから入鹿を殺してからずっと、自分は何をしても心が奮い立たず、虚しさに自分を持て余していたのだ、と大海人皇子に打ち明けます。そんな時に、天智帝(当時は即位前でしたが)は山科の地で大海人皇子と初めて会いました。これは鹿狩りの時のことなのですが、鹿狩りの場所が山科だったというのは、今回初めて明かされたと思います。これは今後重要な意味を持ってくるかもしれず、後述します。

 天智帝は、入鹿と容貌が酷似している大海人皇子が現れたことで、入鹿が自分を罰するのだと心が沸き立った、と大海人皇子に打ち明けます。天智帝は大海人皇子に、自分はそなたに救われた、皮肉なものだが、生き返らせてくれたと言ってもよい、と語ります。このように悟ることができたのは、斑鳩寺での大海人皇子とのやり取りからであり、どうすれば償えるのか、ずっと考えてきた、と天智帝は言います。玉座を譲るくらいで自分の罪が消せるとは思えないが、自分の後に即位してくれないか、と天智帝は改めて大海人皇子に申し出ます。志半ばで自分が断ち切ってしまった入鹿の夢見たこの国の姿をそなたの手で実現してほしいだけなのだ、と天智帝は大海人皇子を説得します。

 天智帝と大海人皇子が寝所でやり取りを続ける間、大友皇子は寝所へと通ずる廊下で叔父の大海人皇子を案じていました。そこへ近江朝の重臣五人組である蘇我赤兄・中臣金・蘇我果安・巨勢人・紀大人(紀大人は明確には描かれていないので、違うかもしれませんが)が現れ、天智帝のお見舞いですか、と大友皇子に尋ねます。大友皇子がやや曖昧な感じで肯定すると、一緒に見舞いましょう、と赤兄が大友皇子に提案します。天智帝は大海人皇子とだけ話をしたいらしく、今は寝所には入れない、自分も通してもらえなかった、と大友皇子は赤兄に説明します。

 すると赤兄は金・果安とともに意地悪そうに笑い、ついに大友皇子の時代が来る、と言います。大友皇子がその発言を理解できずにいると、我々が御所に着いた時、門に多くの兵が集まっており、何事かと思っていたが、そういうことだったのですね、と赤兄は言い、重臣五人組は上機嫌です。大友皇子は赤兄の発言の意味が相変わらず理解できないので、赤兄が大友皇子に説明を始めます。赤兄は大友皇子に、有間皇子の謀反を説明します。当時10歳だった大友皇子は、父の天智帝が裁いたことをよく覚えていました。

 赤兄は大友皇子に、ここだけの話だと言い、有間皇子は甘言につられて嵌められたのだ、と打ち明けます。謀反を起こす気がなくても、巧みに誘導されてつい口にした言葉が命取りになるのだ、と赤兄は大友皇子に説明します。赤兄に酒を勧められて深酔いし、上機嫌となった有間皇子は、中大兄皇子を討つために軍船を集める、と発言してしまったのでした(第18話)。今回、天智帝が大海人皇子に玉座を譲るようなことをほのめかしたのも同様で、大海人皇子が少しでも同意したら謀反とみなされるだろう、と赤兄は大海人皇子に説明します。その話が信じられなかった大友皇子は、父はそんな汚い手を使わない、無礼だろう、と赤兄を咎めます。すると赤兄は、自分こそが中大兄皇子の直接の指示で有間皇子を嵌めたのだ、と大友皇子に打ち明けます。

 改めて天智帝に後継者として指名された大海人皇子は、天智帝に感謝しつつも、それは天智帝自身で実現してこそ、入鹿への供養となるだろう、と返答します。すると天智帝は、自分はもう疲れたので政治には関わらない、罪を償うために仏門に入ろうかと思っているほどだ、と大海人皇子に打ち明けた後、どこでもよいから一緒に行かないか、と提案します。天智帝は驚いた大海人皇子の様子を見て、自分の願いは叶わないと悟ったのか、忘れてくれ、とにかく後はそなたに任せる、と言います。

 大海人皇子は天智帝が自殺するのではないか、と案じます。早まるな、と諌める大海人皇子にたいして、そんなことは考えていないから心配するな、と天智帝は言います。しかしその後に天智帝は、早まったとしても独りでは嫌だ、そなたと一緒なら入鹿にも会いに行けるだろう、いや地獄でも構わない、二人で誰もいない地へ行こう、と大海人皇子に懇願し、涙を流します。寝所の外では、大友皇子と重臣五人組が中の様子を窺っていました。

 天智帝の懇願にたいして大海人皇子は冷静に、斑鳩寺に安置されていた入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)がどうなったのか知りたくはないか、と尋ねます。天智帝は入鹿を模した仏像が焼失したと考えていましたが、自分の配下(鵲のことです)が無事運び出した、と大海人皇子は説明します。それを聞いた天智帝は、入鹿を思わせる見事な彫刻が無事だったのは何よりだ、と言います。すると大海人皇子は、あの仏像を後世に伝えていくのが自分の使命だと思っている、と天智帝に言います。大海人皇子の発言に衝撃を受けた様子の天智帝は、どこかの山奥に寺を建てて二人で仏像を守っていこう、と大海人皇子に提案します。

 しかし大海人皇子は、天智帝が仏像について何か聞いてくれたらそうしたことも考えたが、天智帝には仏像にたいする思い入れは何もない、信心とは無縁なのだ、と言って天智帝を突き放します。天智帝は大海人皇子のこの発言に衝撃を受けたようです。天智帝は去ろうとする大海人皇子にたいして、自分を置いてどこへ行くのだ、と懇願するような表情を浮かべて尋ねます。すると大海人皇子は、兄上は自分のものだから置いていくことはない、と言い、意味深な表情を天智帝に向けます。大海人皇子が寝所から出てくるのに大友皇子・重臣五人組が気づき、多くの兵が待ち構えるなか、天智帝が大海人皇子に呼びかける、というところで今回は終了です。


 今回は、これまでにもしっかりと描かれてきた、天智帝の入鹿への愛憎相半ばするひじょうに強い想いを前提とした話になっていました。ただ、乙巳の変で入鹿を殺してから天智帝が大海人皇子と会うまで、何をしても心が奮い立たず、虚しさに自分を持て余していたのだ、との天智帝の告白は、これまでの描写と比較してやや説得力に欠けるところかな、とは思います。乙巳の変から天智帝が大海人皇子と会うまでは断片的な回想場面しか描かれていないのですが、新羅の死者を厳しく譴責した時や、蘇我倉山田石川麻呂を討伐した時、天智帝は活き活きとしていたように思います。まあ、豊璋(中臣鎌足)に操られていただけだ、ということなのかもしれませんが。

 天智帝は今回も爽やかで優しげな表情を浮かべており、憑き物が落ちたような印象を受けます。正直なところ、今回を読んでもなお、天智帝の真意をつかみかねています。素直に読めば、天智帝は本当に「改心」しており、自分のこれまでの罪を償うために大海人皇子に帝位を譲り、自分は政治の場から退きたい、との思いとともに、入鹿への強い憧れから、入鹿の実子(あくまでも作中設定ですが)で容貌が入鹿と酷似している大海人皇子と二人きりになることで(共に出家するか、心中することを意味しているのでしょう)、入鹿と一つになろうとする思いを抱いている、ということになりそうです。いずれにしても、天智帝は厭世的・自己破壊的になっているようです。

 これと関連して、大海人皇子と初めて会った鹿狩りの場が忘れられない、との天智帝の発言は、今後の展開を予想するうえで大いに気になります。今回、この鹿狩りの場が山科だと初めて明かされたわけですが、天智帝の陵墓は山科にあるとされています。さらに、『扶桑略記』には、天智帝が行方不明となり、履の落ちていたところを山稜とした、との伝承が記載されています。天智帝は病死したのではなく、大海人皇子に自分の想いが理解されなかった・受け入れられなかった絶望から、思い出の地である山科で自害した、という話になるのかもしれません。

 大海人皇子の真意もよく分からず、大友皇子の忠告を受けて天智帝の真意を疑ったというよりは、天智帝が「改心」したと理解しつつも、天智帝とは相容れないことを改めて悟り、懇願する天智帝を冷たく突き放した、とも読めます。しかし、自分を置いていくのか、と天智帝に問われた大海人皇子は、天智帝は自分のものだ、と意味深な表情で答えていますから、単純に天智帝を見捨てるのではなく、それ以外に何か意図していることがありそうです。斑鳩寺での天智帝とのやり取り以降、大海人皇子の天智帝への想いも変わったように見えますから、単に復讐を前提とした心理戦というわけでもなさそうですが。

 ここまで、天智帝が「改心」したことを前提に推測してみましたが、重臣五人組、とくに赤兄は明らかに、天智帝が大海人皇子を罠に嵌めて殺そうとしている、と考えています。これまでの天智帝の所業と、かつて赤兄が有間皇子を罠に嵌めて死に追いやったことから、赤兄がそのように考えるのは自然と言えるでしょう。たんに、赤兄をはじめとして重臣五人組が天智帝の真意を誤解しており、天智帝の息子の大友皇子でさえ、重臣五人組の発言に惑わされて父を信じられなかった、という天智帝の悲劇(仕方のないことではありますが)が描かれている、とも解釈できます。壬申の乱も、その文脈で描かれるのかもしれません。

 しかし、大海人皇子を後継者とすることに関して、天智帝は誰にも言うなと大友皇子に命じておきながら、赤兄は天智帝が大海人皇子に帝位を譲ろうと示唆するのだろう、と知っていました。単にこれまでの天智帝の所業から赤兄が推測しているだけかもしれませんが、大海人皇子を罠に嵌めようと考えている、と天智帝は赤兄に示唆していたのかもしれません。また、大海人皇子を寝所に呼ぶことになって、警護の兵の数が増えていることも気になります。素直に考えれば、戦闘能力の高い大海人皇子を殺すために念を入れた、と解釈できそうです。

 ただ、赤兄は天智帝からはっきりと大海人皇子を罠に嵌めるつもりだと聞かされているわけではなさそうですし、警護の兵を増やしたのは、大海人皇子への譲位に反対するだろう重臣五人組やその他の臣下たちへの抑えとも考えられます。あるいは、天智帝が「改心」したか否かという二元論的な発想が間違っており、入鹿にたいしてと同様に、天智帝は大海人皇子にたいしても愛憎相半ばする感情を抱くようになっており、大海人皇子への譲位や大海人皇子との心中願望も、大海人皇子が自分の意に沿わなかった場合に殺そうと考えていることも、ともに天智帝の「真意」である、とも考えられます。ともかく、次回も楽しみなのですが、天智帝の死までおそらく二ヶ月もないわけで、最終回が間近に見えてきたのは寂しい限りです。壬申の乱と藤原不比等(史)の台頭が詳しく描かれて、天智帝崩御後も連載が長く続くとよいのですが。

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