『天智と天武~新説・日本書紀~』第72話「後継指名」

 『ビッグコミック』2015年9月25日号掲載分感想です。前回は、670年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)に斑鳩寺(法隆寺)が全焼する中、大海人皇子(天武帝)が天智帝(中大兄皇子)を斑鳩寺から運び出し、その後に病に臥した、と説明されるところで終了しました。今回は、病床の天智帝を大友皇子や大海人皇子や重臣たちが見舞っている場面から始まります。

 大友皇子が父である天智帝の容態を尋ねると、微熱はあるもののとくに具合の悪いところは見当たらない、と医師は答えます。では、なぜ天智帝は何日も起き上がれないのか、と大友皇子に問われた医師は、何らかの心労によるものではないか、と答えます。それを聞いて重臣たちは動揺し、このままでは朝廷が立ち行かないので、そろそろ次の大君(天皇)についても本気で考えねば、と案じる者や、それは早すぎるだろう、と言う者もおり、意見がまとまりません。

 大友皇子は退出しようとした大海人皇子を呼び止め、斑鳩寺で何があったのか、尋ねます。大友皇子は御所の下男を問い質し、大海人皇子が天智帝を連れ帰った、ということを知っていました。何が天智帝の心労の原因なのか、大友皇子は大海人皇子に尋ねますが、原因が分かったとしても、それは天智帝が乗り越えることであり、そなたには関係ない、と大海人皇子は大友皇子を冷たく突き放します。自分も協力を惜しまないので、太政大臣として天智帝の代わりにしっかりと朝廷をまとめるのだ、と大海人皇子に諭された大友皇子は、立ち去ろうとする大海人皇子の背中にしがみつき、切なそうな表情を浮かべ、不安でたまらず、とても怖いと訴え、しばらくこうしていたい、と言います。

 天智帝が病に臥したとの話はたちまち広まり、天智帝は重病でもう起き上がれないとか、気の病だとか人々は噂します。群臣は、次の大君が大海人皇子なのかそれとも大友皇子なのか、探っていました。大海人皇子邸では、鵲が大海人皇子と政治情勢について語ります。鵲の台詞から、天智帝が病に臥して公の場に出なくなって半年以上経過したことが明らかになります。次の大君が大海人皇子なのか大友皇子なのか、人々が気にしている、と大海人皇子に報告した鵲は、具体的に御所から何か話があったのか、大海人皇子に尋ねます。大海人皇子は鵲に、天智帝の寝所には医師と身辺の世話をするわずかな者しか入れない、と答えます。

 斑鳩寺が全焼したさいに何が起きたのか、もう尋ねないが、復讐を遂げる絶好の機会なのにこのまま何もしないのか、うまくいけば天智帝の命も政権も奪えるではないか、と鵲は大海人皇子に尋ねます。すると大海人皇子は、鵲の問いには答えず、斑鳩寺に安置されていた蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)を救い出してくれたことを鵲に感謝します。鵲によると、入鹿を模した仏像は隠れ里に安置されているようです。大海人皇子は、もうすっかり秋だ、なぜか今年は日々の過ぎるのが早く感じる、と言います。

 その頃なのかどうか、明示されていませんが、天智帝は御所で目を覚まし、月を眺めます。その様子を見ていた大友皇子は、何か物思いにふけっているかのような天智帝を見て、立ち去ろうとします。すると天智帝は大友皇子に気づき、呼び止めます。大友皇子は天智帝の病を案じますが、今夜は気分がよい、と天智帝は答えます。天智帝は爽やかで優しそうな表情を浮かべています。なぜ立ち去ろうとしたのか、天智帝に問われた大友皇子は、なんとなく声をかけづらいと思ったのだ、と答えます。

 天智帝は大友皇子に、お前のことを考えていたのだ、と言います。次の大君はお前だと考えていたが、色々と検討して大海人皇子にしようと思う、と天智帝に打ち明けられた大友皇子は、一瞬衝撃を受けたような表情を浮かべますが、すぐに嬉しそうで安堵したかのような表情へと変わり、叔父の大海人皇子が継ぐべき帝位なのだから、自分は喜んで身を引く、と言います。天智帝が眩暈を起こすと、自分のことは気にせず安心してお休みください、大友皇子は言います。回復すれば後継者問題はまだ先のこととなるだろう、と大友皇子が言うと、大海人皇子には自分から話したいので、他言するな、と天智帝は大友皇子に命じます。天智帝はじつに穏やかで優しげな表情を浮かべています。

 近江大津宮では、太政大臣の大友皇子を中心に政治が運営されていました。調の納入が例年より少ない理由を問われた重臣の一人は、日照り続きのため収穫の思わしくない地方が多々ある、と答えます。大友皇子が会議の終了を告げると、重臣の一人が、朝鮮半島の情勢も不安定なのに、大君不在でよいのか、と言い、次の大君をどうするのか、という問題を提起します。来年の正月までに天智帝の考えを伺い、正式な後継者を立てるべきだ、と言う重臣の一人にたいして、大友皇子は一瞬大海人皇子に視線を向けた後、時期が来れば天智帝自らが後継者を指名するはずなので、それまで待つべきなのであり、我々が動くことではない、と答えます。

 なおも重臣の一人は次の帝位を早く決めるべく食い下がろうとしますが、別の重臣が大友皇子の見解に賛同し、会議は終了します。退出する大友皇子に、天智帝が大友皇子を補佐すべく指名した重臣たちが付き従います。左大臣の蘇我赤兄は、我々五人と言っていますが、描かれているのは四人だけで、赤兄の他には中臣金・蘇我果安・巨勢人です。紀大人が描かれていないようなのですが、これは近江朝の重臣五人組(蘇我赤兄・中臣金・蘇我果安・巨勢人・紀大人)のうち、紀大人が壬申の乱で唯一処罰されなかったことの伏線なのかもしれません。とりあえず今回は、蘇我赤兄・中臣金・蘇我果安・巨勢人を重臣四人組と呼んでおきます。

 重臣四人組は、天智帝が改めて指名せずとも、次の大君は大友皇子で決まりだ、そのために我々五人が大友皇子の側近に指名されたのだから、と上機嫌に語っています。すると大友皇子は、天智帝も人間なので変心があるかもしれないから、それは分からない、と言います。すると赤兄は、それでも大海人皇子を大君にすることだけはあり得ない、と言います。なぜならば、大海人皇子は天智帝の異父弟とはいえ、天智帝が自ら斬首した蘇我入鹿の息子であり、入鹿の生き写しなのだから入鹿も同然であって、皇極帝(斉明帝)の黒幕だった入鹿の息子たる大海人皇子に、自分が作り上げた朝廷を託すとはとても考えられないからだ、というわけです。

 返答に窮した大友皇子は、天智帝が大海人皇子を後継者に考えている、ということを言いだそうとしますが、天智帝が何と言ったのか、重臣四人組から尋ねられると、大海人皇子を後継者と考えていることを他言するな、と天智帝に命じられたことを思い出し、言えません。すると重臣四人組は陰湿そうで意味深な表情を浮かべながら、たとえ天智帝が後継者について何か言ったとしても、天智帝のことだから、きっと裏というか含みがあるのだ、と大友皇子に言います。大友皇子は、大海人皇子を後継者と考えている、という天智帝の発言に疑問を抱きます。

 大友皇子は御所を訪れ、直接天智帝の意向を確認しようとしますが、誰も通すなと命じられている、と兵士に言われ阻まれます。この前まではこんなに厳重ではなかった、と大友皇子は抗議しますが、自分たちは天智帝の指示に従っているだけだ、と兵士たちは答えます。大友皇子は、以前より兵士が増えていることに気づきます。そこへ大海人皇子が現れ、そなたも呼ばれたのか、と大友皇子に尋ねます。大海人皇子は、話があるからと言われて天智帝の寝所を訪ねようとしていたのでした。天智帝の寝所へと向かう大海人皇子に、油断しないように、と大友皇子は忠告します。

 大海人皇子が天智帝の寝所を訪ねると、天智帝は座った状態でいました。天智帝は爽やかで優しげな表情を浮かべつつ、あの日(斑鳩寺が全焼した日のことなのでしょう)以来だな、と言います。今回冒頭の描写にもあるように、大海人皇子は病床の天智帝を訪ねたことはあるようですが、その時は天智帝の意識がなかった、ということでしょうか。大海人皇子は天智帝に、ずっと案じていた、と言います。天智帝が大海人皇子に、帝位を譲りたい、といきなり言うところで今回は終了です。


 今回は大友皇子と天智帝の描写で見所がありましたが、どうも時系列がはっきりとしません。病に臥した天智帝を重臣たちが見舞っている冒頭の描写は、なぜ天智帝は何日も起き上がれないのか、との大友皇子の発言から、670年5月のことと思われます。その後の、大海人皇子の発言から、少なくとも秋まで話が進んでいることが分かります。鵲の、天智帝が公の場に出なくなって半年経過した、との発言からは、その時点では670年秋とも考えられます。しかし、今回の最後にて天智帝が大海人皇子を呼び、帝位を譲りたいと発言していることから、今回は671年10月17日まで進んだ、と考えるのが妥当なように思われます。以下、その前提で述べていくことにします。

 今回最大の謎なのは、天智帝の真意です。今回の天智帝は、大友皇子にも大海人皇子にも爽やかで優しげな表情を浮かべており、憑き物が落ちたような感さえあります。まるで、ネットでたまに見かける「きれいなジャイアン」のようです。その天智帝の発言だけに、大海人皇子を後継者と決めたのは天智帝の真意ではないか、とも考えたくなります。天智帝は前回の大海人皇子とのやり取りを経て、すっかり心が洗われたので、大海人皇子への嫉妬・憎悪もなくなり、経験・手腕・年齢などを考慮して、後継者を大友皇子から大海人皇子へと交代させようとしたのではないか、というわけです。

 しかし、重臣四人組の発言や、御所の兵士を増員したうえで大海人皇子を呼んででいることから、天智帝は今でも大海人皇子を憎んでおり、殺そうとしている、とも考えられます。おそらく、天智帝が改心したかのような今回の描写は、次回での天智帝の大海人皇子にたいする憎悪を際立たせるためのネタ振りではないか、と思います。そうだとすると、今回と次回とで天智帝の表情がどれだけ異なって描かれるのか、今からたいへん楽しみです。

 大友皇子は、天智帝に後継者と指名された時も、叔父の大海人皇子の方が相応しいと言っていましたから(第65話)、今回の表情からも窺えるように、天智帝が後継者を自分から大海人皇子へと替えたことに、心底安堵して喜んでいるようです。今回、大友皇子は大海人皇子への恋慕を当人の前ではっきりと示しました。ここからどのように壬申の乱へと話が展開するのか、大いに楽しみです。今回の描写からは、大友皇子は大海人皇子と対立したくなかったものの、重臣四人組(五人組?)が天智帝の真意を汲んで大海人皇子を殺害しようとした結果、壬申の乱に至った、というやや陳腐な展開も考えられますが、ひねった展開になる可能性が高いように思います。大友皇子は大海人皇子を慕ったまま壬申の乱に突入するのではなく、屈折していき、父の天智帝と同じく、大海人皇子に愛憎相半ばする感情を抱くようになるのかもしません。

 それはともかく、今後の展開の予想としてまず問題となるのは、帝位継承者をそなたと決めた、との天智帝の発言から、大海人皇子がそれを固辞して出家し、吉野へと退くまでをどのように描くのか、ということです。天智帝の発言を聞いた大海人皇子は、やや驚いていたように見えます。さすがに天智帝が自分を後継者に指名するとまでは予想していなかったのでしょうか。大海人皇子は、御所の兵士が以前よりも多くなっていることに気づいているでしょうし、大友皇子の忠告もありましたから、天智帝の申し出を断ることになるのでしょう。

 天智帝は、大海人皇子が自分の提案を承諾したら、帝位への野心があると判断して大海人皇子を殺そうとしたものの、大海人皇子が出家して吉野に退くことにしたので、その場では大海人皇子を殺さなかった、というのが通俗的な説明だと思います。この通俗的な説明の是非はさておき、本作は基本的にそれにしたがって物語を創っているようにも思われます。これまでの描写からすると、天智帝は大海人皇子への憎悪を抱いている一方で、大海人皇子に愛憎相半ばする蘇我入鹿を見ていますから、大海人皇子というか入鹿への恋慕から、大海人皇子に帝位への野心がないことを根拠にというか言い訳として、大海人皇子を殺害しないことにした、という話になりそうな気もします。

 あるいは、私の解釈は根本のところで間違っていて、天智帝はその表情から窺えるように「改心」しており、本気で大海人皇子を後継者とし、大海人皇子と和解しようとしているのかもしれません。そうだとすると、大海人皇子が自分の提案を拒否したことから、けっきょく大海人皇子は自分を信用せず、許さなかったのだ、と天智帝は考えて絶望し、気の病が進行して崩御にいたった、という展開になりそうです。天智帝は本気で大海人皇子を後継者と考えていたものの、その構想は破綻したので、大友皇子を後継者にせざるを得なかった、ということでしょうか。ただ、重臣四人組の言動から考えると、天智帝が「改心」していた可能性は低そうです。あるいは、重臣四人組は天智帝の意向を誤解しているか、「改心」した天智帝の真意を知りつつも、大海人皇子が即位すると冷遇されそうだという懸念から天智帝の真意を捏造した、ということになるのでしょうか。

 大海人皇子がどのように天智帝の提案に返答するのか、ということも注目されます。通説にしたがって、大海人皇子は即位を固辞し、出家して吉野へと退くのでしょうが、病床の天智帝を訪ねようとした大海人皇子に忠告したのが、通説での蘇我安麻呂ではなく大友皇子になっていたことや、大友皇子の太政大臣就任が中臣鎌足(豊璋)の生前だったことなどからも、通説を変えてくる可能性はあると思います。天智帝と大海人皇子の「兄弟喧嘩」が本作の主題ですから、次回は作中最大の山場となるかもしれません。

 年末発売予定の単行本第9集には、最大で第78話まで採録されるでしょうから、単行本第9集で完結するとなると、残りは最大で6話となります。次回かその次で天智帝の崩御まで描かれ、壬申の乱が2~3話で描かれるとなると、年内で完結しても不思議ではありません。大友皇子の扱いは大きいとはいっても、天智帝の崩御まで二ヶ月弱というところまで話が進んだわけで、「天智と天武」という表題からしても、壬申の乱はさほど描かれずに完結となっても不思議ではありません。鸕野讚良皇女(持統帝)の活躍(暗躍?)も見たかったのですが、このまま空気で終わることになりそうです。というか、鸕野讚良皇女が再登場せずに完結するのではないか、とさえ懸念していまいます。せめて、大海人皇子の娘で大友皇子の妻である十市皇女は、今後どこかで再登場させてもらいたいものです。

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