フローレス島における更新世~完新世にかけての石器技術の連続性

 『人間進化誌』第57巻5号で更新世のフローレス人についての特集が組まれたことを、以前このブログで取り上げました(関連記事)。その時、「この特集号の諸論文については、何回かにわたってこのブログで取り上げる予定です」と述べたのですが、まだわずかしか取り上げていないので、今さらではあるものの、インドネシア領フローレス島の更新世の石器技術についての研究(Moore et al., 2009)を取り上げることにします。

 フローレス島の更新世の人類については、その発見以来、ホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)なのか、それとも病変の現生人類(Homo sapiens)なのか、という議論が続いてきました。しかし、本論文の刊行された2009年(オンライン版では2008年の公表)の時点では、すでに新種説の方が優勢だったと言えるでしょうし、それは現在(2015年)でも変わらないと思います。このブログでは一貫して新種説を支持してきましたが、これが覆ることはおそらくないだろう、と思います。本論文も、新種説を前提としてリアンブア洞窟の石器技術の変遷を検証しています。

 東南アジア島嶼部の石器群の変遷で指摘されているのが、更新世~完新世にかけての技術的連続性です(関連記事)。それも、現生人類が存在したとはとても考えられない時代から、まず間違いなく現生人類ではない人類はすでに絶滅していただろう完新世まで続いています。系統の違いにも関わらず石器製作技術が共通していることは、人類史における大きな謎と言えるでしょう。もっとも、本論文でも指摘されていますが、レヴァントにおいてネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の石器がともにムステリアン(Mousterian)だったように、異なる系統の人類が同じ石器技術を用いることはじゅうぶんあり得ます。

 ただ、東南アジア島嶼部の場合は、石器技術では様式1(Mode 1)のオルドワン(Oldowan)のような石器が更新世~完新世にかけて継続した、ということが問題を難しくしていると言えるでしょう。アフリカ起源の初期現生人類は、すでに様式3~様式4の石器技術を有していました。それが、東南アジア島嶼部へと進出すると、フロレシエンシスのような先住人類と類似した様式1的な石器技術を完新世にいたるまで維持していたわけですから、理解に苦しむところです。

 本論文は、リアンブア洞窟においても、更新世のフロレシエンシスから完新世の現生人類まで、類似した石器技術が継続したことを改めて確認しています。おそらくは石材の産出地の近くで大きな剥片が製作され、それが洞窟まで持ち込まれて、小型の剥片が製作されました。この制作過程・技術が、リアンブア洞窟においては更新世~完新世まで継続しています。この解釈として、リアンブア洞窟の石器の製作者は現生人類のみである、とも考えられます。

 しかし本論文は、複数の証拠からその可能性は低いと指摘しています。まず、リアンブア洞窟では、フロレシエンシスの存在が95000~17000年前まで確認されている一方で、現生人類の存在は11000年前まで確認されていないことです。また、95000年前にフローレス島およびその近隣地域で現生人類の存在は確認されていません。さらに、フローレス島のマタメンゲ(Mata Menge)開地遺跡の84万年前頃の石器群とリアンブア洞窟の更新世の石器群との技術的類似性が指摘されています。こうしたことから、リアンブア洞窟の更新世の石器群の製作者はフロレシエンシスと考えるのが妥当だろう、というのが本論文の見解です。

 もっとも、本論文が指摘しているように、リアンブア洞窟の石器群は、更新世と完新世とで違いも見られます。完新世になると、更新世とは石材の選択が異なっていたり、石器が研磨されるようになったり、火で加熱処理がされたりするようになります。製作技術的により複雑さの要求される手斧も製作されるようになります。リアンブア洞窟においては、オルドワン的な石器技術で、大きな剥片を製作して洞窟に持ち込み、小さな剥片を製作するという更新世~完新世にかけての共通点とともに、上記のような相違点も見られ、それは製作者の生物学的系統の違いを反映しているのではないか、というわけです。

 本論文では、フロレシエンシスと現生人類という、おそらくは系統的にかなり離れた関係にある人類種が類似した石器技術を用いた理由として、類似した環境への適応という可能性を提示しています。オーストラリア大陸(当時はサフルランド)には遅くとも4万年前には現生人類が到達していたわけですから、現生人類はフロレシエンシスと接触してフロレシエンシスから技術を継承した、という可能性も想定したくなりますが、現時点では両者の接触を強く示唆するような証拠は確認されていません。

 ユーラシア大陸および東南アジア島嶼部のようなその近隣地域では、10万~5万年前以降、ネアンデルタール人のような先住人類が絶滅し(ネアンデルタール人の場合、正確には、ネアンデルタール人的特徴を一括して有する集団が消滅した、ということですが)、現生人類への置換が進んでいったわけですが、その様相は各地域により異なっていた可能性が高そうです。ネアンデルタール人と現生人類との間の交雑は確認されており、両者の間では文化的交流が生じた可能性が高そうですが、その他の先住人類も、現生人類と交雑したり文化的交流を行なったりした可能性が考えられます。フロレシエンシスと現生人類の関係についても、交雑の可能性は低そうですが、文化的交流の可能性は一定水準以上想定されるのではないか、と思います。


参考文献:
Moore MW. et al.(2009): Continuities in stone flaking technology at Liang Bua, Flores, Indonesia. Journal of Human Evolution, 57, 5, 503-526.
http://dx.doi.org/10.1016/j.jhevol.2008.10.006

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