門脇誠二「交替劇と学習仮説に関わるアフリカと西アジアの考古学研究:総括と展望」
本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2010-2014「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究」(領域番号1201「交替劇」)研究項目A01「考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究」の2014年度研究報告書(研究項目A01研究報告書No.5)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P12-22)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。
本論文は、アフリカと西アジアの考古学的研究を対象とした、これまでの「交替劇」プロジェクトのまとめとも言うべき内容になっています。学習行動(もしくはその前提となる認知能力)の違いが「交替劇」に影響しているのではないか、というような見解は、本プロジェクト以前にも提示されており、現在でも有力と言えそうです。ただ本論文は、現生人類(Homo sapiens)の拡散・増大とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅という「交替劇」の考察において、これまで両者を全体的に区分して比較する方法が採用される傾向にあったことに疑問を呈しています。現生人類もネアンデルタール人も広範な時空間に存在していたので、学習仮説の検証には、両集団の平均的違いもしくは両極端の比較ではなく、出アフリカ後の現生人類がネアンデルタール人と遭遇したかもしれない時と場所で比較しなければならないだろう、というわけです。
この観点では、これまでの考古学的記録から現生人類の革新行動は地域により多様で散発的であり、現生人類のユーラシアへの拡散期まで継続した例はほとんどなく、ネアンデルタール人の考古学的記録と比較して顕著に異なるわけではない、と本論文は指摘しています。現時点での考古学的記録からは、現生人類とネアンデルタール人との学習行動に大きな(もしくは微妙でもある局面では重要な)違いがあり、それが「交替劇」の要因となった、と主張するのは難しいということです。また、現生人類のアフリカからユーラシアへの拡散にさいしては、「革新的な技術や文化」が伴っていたとは限らないのではないか、という論点も提起されています。
本論文は、現生人類の拡散に伴う考古学的記録のパターンを3通りに区分しています。まず、現生人類の拡散に伴って特定の文化が分布拡大したパターンです。具体的には、アラビア半島の中部旧石器文化やレヴァントの前期エミラン(Emiran)の剥片剥離技術、およびコーカサスとザグロス地方における尖頭状細石刃技術です。次に、現生人類の拡散先において新たな文化が発生した、あるいは新たな文化要素が導入されたパターンです。具体的には、タブン(Tabun)Cやアテリアン(Aterian)やバチョキリアン(Bachokirian)の装身具・骨器、ボフニチアン(Bohunician)の両面加工尖頭器です。最後に、各地で出現した文化が(おそらく地域間の相互交流を通して)次第に同一化した過程のパターンです。具体的には、レヴァントの前期アハマリアン(Early Ahmarian)と南ヨーロッパのプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)です。
現生人類の拡散先において新たな文化が発生した可能性のある事例として本論文で取り上げられているのは、ヨーロッパのプロトオーリナシアンです。これについては、本論文の後に刊行された論文において詳しく検証されています(関連記事)。「交替劇」に関わってきそうな遺跡として本論文で詳しく取り上げられているもう一つの事例は、ケニアの東海岸に位置するムトングウェ(Mtongwe)遺跡です。ここでは、中期石器時代~後期石器時代への移行が考古学的に詳しく検証されています。本論文は、アフリカからユーラシアへの現生人類拡散の考古学的指標ともされてきた幾何学形細石器についても、このムトングウェ遺跡のように詳細な出現過程と年代を検証して比較しなければ、アフリカ東部起源の現生人類が「革新的技術」を伴いユーラシアへと拡散した、との仮説を証明できない、と指摘しています。
このように、現生人類がアフリカからユーラシアへと拡散するさいに、「革新的技術」を伴っていたことを考古学的に証明する事例が多いとは言えない、と指摘する本論文は、現生人類の拡散先において新たな文化要素の導入された例が当初の期待以上に多かった、と認めています。たとえば、レヴァントの前期エミランがヨーロッパへと拡散して発生したと考えられるバチョキリアンやボフニチアンでは、レヴァントの前期エミランでは未検出の骨角器・装身具・両面加工石器が見られます。この時期以降のヨーロッパでは、シャテルペロニアン(Châtelperronian)やウルツィアン(Ulzzian)やセレティアン(Szeletian)といった中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期」的な新文化が発生していますが、その担い手が現生人類なのかネアンデルタール人なのか(あるいは両者なのか)、まだ議論が続いています。
ヨーロッパにおけるこうした新文化の出現と「交替劇」との関連でみていくと、現生人類の拡散先で新文化が数多く創出された時期にネアンデルタール人が絶滅した、と本論文は指摘しています。現生人類の拡散先における新文化創出(創造的学習)が、ネアンデルタール人絶滅の要因だったかというと、「移行期文化」のなかには担い手が明確ではないものもあることから、今後も検証が必要なようです。また、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人から現生人類へと文化が継承された可能性も指摘されており、拡散先における現生人類の新文化創出の一要因として、ネアンデルタール人のような先住集団からの社会学習もあったかもしれない、と本論文は指摘しています。
「交替劇」については、考古学的にその要因を断定できるという段階まではとても到達していない、というのが現状のようです。「交替劇」の様相は各地で異なっていた可能性が高く、「革新的な技術」を携えて優位に立ったアフリカ起源の現生人類がネアンデルタール人のような先住の人類集団を駆逐した、という有力視されていた?仮説が当てはまる事例がどれだけあるのか、今後の検証を俟つしかないのでしょう。この問題に関しては、考古学的研究の蓄積が豊富なヨーロッパと西アジアでまず研究が進展しそうです。本論文は、「交替劇」に関するアフリカと西アジアを中心とした現時点での考古学的知見をまとめており、たいへん有益だと思います。
参考文献:
門脇誠二(2015B)「交替劇と学習仮説に関わるアフリカと西アジアの考古学研究:総括と展望」『ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究 考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究2014年度研究報告書(No.5)』P12-22
本論文は、アフリカと西アジアの考古学的研究を対象とした、これまでの「交替劇」プロジェクトのまとめとも言うべき内容になっています。学習行動(もしくはその前提となる認知能力)の違いが「交替劇」に影響しているのではないか、というような見解は、本プロジェクト以前にも提示されており、現在でも有力と言えそうです。ただ本論文は、現生人類(Homo sapiens)の拡散・増大とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の絶滅という「交替劇」の考察において、これまで両者を全体的に区分して比較する方法が採用される傾向にあったことに疑問を呈しています。現生人類もネアンデルタール人も広範な時空間に存在していたので、学習仮説の検証には、両集団の平均的違いもしくは両極端の比較ではなく、出アフリカ後の現生人類がネアンデルタール人と遭遇したかもしれない時と場所で比較しなければならないだろう、というわけです。
この観点では、これまでの考古学的記録から現生人類の革新行動は地域により多様で散発的であり、現生人類のユーラシアへの拡散期まで継続した例はほとんどなく、ネアンデルタール人の考古学的記録と比較して顕著に異なるわけではない、と本論文は指摘しています。現時点での考古学的記録からは、現生人類とネアンデルタール人との学習行動に大きな(もしくは微妙でもある局面では重要な)違いがあり、それが「交替劇」の要因となった、と主張するのは難しいということです。また、現生人類のアフリカからユーラシアへの拡散にさいしては、「革新的な技術や文化」が伴っていたとは限らないのではないか、という論点も提起されています。
本論文は、現生人類の拡散に伴う考古学的記録のパターンを3通りに区分しています。まず、現生人類の拡散に伴って特定の文化が分布拡大したパターンです。具体的には、アラビア半島の中部旧石器文化やレヴァントの前期エミラン(Emiran)の剥片剥離技術、およびコーカサスとザグロス地方における尖頭状細石刃技術です。次に、現生人類の拡散先において新たな文化が発生した、あるいは新たな文化要素が導入されたパターンです。具体的には、タブン(Tabun)Cやアテリアン(Aterian)やバチョキリアン(Bachokirian)の装身具・骨器、ボフニチアン(Bohunician)の両面加工尖頭器です。最後に、各地で出現した文化が(おそらく地域間の相互交流を通して)次第に同一化した過程のパターンです。具体的には、レヴァントの前期アハマリアン(Early Ahmarian)と南ヨーロッパのプロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)です。
現生人類の拡散先において新たな文化が発生した可能性のある事例として本論文で取り上げられているのは、ヨーロッパのプロトオーリナシアンです。これについては、本論文の後に刊行された論文において詳しく検証されています(関連記事)。「交替劇」に関わってきそうな遺跡として本論文で詳しく取り上げられているもう一つの事例は、ケニアの東海岸に位置するムトングウェ(Mtongwe)遺跡です。ここでは、中期石器時代~後期石器時代への移行が考古学的に詳しく検証されています。本論文は、アフリカからユーラシアへの現生人類拡散の考古学的指標ともされてきた幾何学形細石器についても、このムトングウェ遺跡のように詳細な出現過程と年代を検証して比較しなければ、アフリカ東部起源の現生人類が「革新的技術」を伴いユーラシアへと拡散した、との仮説を証明できない、と指摘しています。
このように、現生人類がアフリカからユーラシアへと拡散するさいに、「革新的技術」を伴っていたことを考古学的に証明する事例が多いとは言えない、と指摘する本論文は、現生人類の拡散先において新たな文化要素の導入された例が当初の期待以上に多かった、と認めています。たとえば、レヴァントの前期エミランがヨーロッパへと拡散して発生したと考えられるバチョキリアンやボフニチアンでは、レヴァントの前期エミランでは未検出の骨角器・装身具・両面加工石器が見られます。この時期以降のヨーロッパでは、シャテルペロニアン(Châtelperronian)やウルツィアン(Ulzzian)やセレティアン(Szeletian)といった中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期」的な新文化が発生していますが、その担い手が現生人類なのかネアンデルタール人なのか(あるいは両者なのか)、まだ議論が続いています。
ヨーロッパにおけるこうした新文化の出現と「交替劇」との関連でみていくと、現生人類の拡散先で新文化が数多く創出された時期にネアンデルタール人が絶滅した、と本論文は指摘しています。現生人類の拡散先における新文化創出(創造的学習)が、ネアンデルタール人絶滅の要因だったかというと、「移行期文化」のなかには担い手が明確ではないものもあることから、今後も検証が必要なようです。また、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人から現生人類へと文化が継承された可能性も指摘されており、拡散先における現生人類の新文化創出の一要因として、ネアンデルタール人のような先住集団からの社会学習もあったかもしれない、と本論文は指摘しています。
「交替劇」については、考古学的にその要因を断定できるという段階まではとても到達していない、というのが現状のようです。「交替劇」の様相は各地で異なっていた可能性が高く、「革新的な技術」を携えて優位に立ったアフリカ起源の現生人類がネアンデルタール人のような先住の人類集団を駆逐した、という有力視されていた?仮説が当てはまる事例がどれだけあるのか、今後の検証を俟つしかないのでしょう。この問題に関しては、考古学的研究の蓄積が豊富なヨーロッパと西アジアでまず研究が進展しそうです。本論文は、「交替劇」に関するアフリカと西アジアを中心とした現時点での考古学的知見をまとめており、たいへん有益だと思います。
参考文献:
門脇誠二(2015B)「交替劇と学習仮説に関わるアフリカと西アジアの考古学研究:総括と展望」『ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究 考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究2014年度研究報告書(No.5)』P12-22
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