西秋良宏「旧人・新人交替劇と両者の学習行動の違いに関わる考古学的研究― 2014年度の取り組み ―」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2010-2014「ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究」(領域番号1201「交替劇」)研究項目A01「考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究」の2014年度研究報告書(研究項目A01研究報告書No.5)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P80-89)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文は「交替劇」プロジェクト考古学班のこれまでの研究成果を概観しています。本論文で注目されるのは、ウズベキスタンのアンギラク洞窟における2014年の発掘が取り上げられていることです。中央アジアにはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が比較的新しい年代(3万年前頃)まで生存していた一方で、現生人類(Homo sapiens)が9万年前頃には進出しており、現生人類は中央アジアにおいて中部旧石器文化から上部旧石器文化を開発した、との見解もおもに現地の研究者たちによって提示されています。この見解では、現生人類とネアンデルタール人、さらには上部旧石器文化と中部旧石器文化が中央アジアにおいて共存していたことになります。

 しかし本論文は、アンギラク洞窟の発掘調査の結果、年代や石器群について、そうした見解の根拠とされている以前の調査とは大きく異なる結果が得られた、と報告しています。まず、以前の調査では第1~2層が完新世、第3~4層が旧石器時代とされていたのですが、2014年の新たな調査では、完新世の地層は第1層のみで、第2~4層が旧石器時代であることが明らかになりました。また、旧石器時代の年代はすべて4万数千年以上前であって、最も新しい第2層でも46000年前頃までしかくだらない、ということも明らかになりました。共伴する石器群は第2~4層まですべてムステリアン(Mousterian)でした。アンギラク洞窟において、上部旧石器時代にまでムステリアンが残存していたという証拠はまったくない、というわけです。また本論文は、アンギラク洞窟のムステリアンの終焉時期がハインリッヒイベント(HE)5の年代(48000年前頃)に近いことから、ヨーロッパと同様に中央アジアでもHE5が「交替劇」の契機となった可能性を提示しています。

 ネアンデルタール人の文化の変化速度は現生人類のそれよりも遅かった、とするのが一般的な見解です。本論文は、この見解自体が検証対象だとしつつ、仮にそうだとしても、それは生得的(遺伝的)な認知能力・学習能力の違いではなく、人口規模など後天的(社会的)違いが要因かもしれない、と慎重な姿勢を示しています。人口増加による文化革新がネアンデルタール人社会でも認められるのかというと、まだ確証はないようです。ただ、レヴァントの考古学的記録からは、中部旧石器時代末期(75000年前頃)以降に人口が増大したと解釈できそうなことと、同時期に石器群が変化していることから、ネアンデルタール人社会においても人口増加とともに文化的変異が増大した可能性が指摘されています。また、ヨーロッパにおいても中部旧石器時代後期にネアンデルタール人の行動多様性が増大したことが指摘されています。

 本論文はまとめとして、「交替劇」プロジェクトの目的であった学習仮説の修正を提示しています。ネアンデルタール人の絶滅と現生人類の拡散・人口増という「交替劇」の要因として、両者の学習行動・能力の違いがあったのではないか、との見通しのもと「交替劇」プロジェクトは始まりました。学習仮説の提示された2009年の時点とは異なり、ネアンデルタール人と現生人類との交雑が確認されるなど、両者の交流が密であったと考えられる現時点では、両者の間に超えがたい生得的能力差があったと断定するのは難しいのではないか、というわけです。本論文は、学習仮説について、社会環境の違いを考慮に入れた仮説へと修正するのがよいだろう、と提言しています。


参考文献:
西秋良宏(2015C)「旧人・新人交替劇と両者の学習行動の違いに関わる考古学的研究― 2014年度の取り組み ―」『ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化にもとづく実証的研究 考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究2014年度研究報告書(No.5)』P1-11

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