NHKスペシャル『生命大躍進』第3集「ついに“知性”が生まれた」

 現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との関係も含めて、人類の進化について取り上げられるということなので、視聴しました。第1集と第2集も視聴しましたが、NHKスペシャルでたまに見られる、芸能人を起用しての小芝居は、やはり不要だと思います・・・といつもなら言うところなのですが、『生命大躍進』の場合は演者が演者なだけに、つい楽しみに見てしまいました。演者によって、小芝居は不要だと言ったり、よかったと言ったりするようなことは、まあ批判されても仕方のないところなのでしょうが、つい感情に左右されてしまいます。

 さて、内容ですが、「知能の高い」恐竜トロオドンの話はなかなか興味深かったものの、罠を仕掛けていた場面や「恐竜人間」の描写など、飛躍した感があったのは否めません。まあ、トロオドンがそうしたことを行なっていたのか否か、永久に不明である可能性が高そうですが。NHKスペシャルは一般向けの番組であり、分かりやすさを優先した演出になるのはある程度仕方のないことかもしれませんが、映像は記憶に強く残りやすいので、ここはやや慎重に制作してもらいたかったところです。

 人類の進化、とくに現生人類とネアンデルタール人との比較についても、疑問に思う構成・演出になっていたところが多分にありました。全体的に、両者の文化、とくに石器技術の変化速度の違いを生物的(遺伝的)違いと直結させる傾向が強く見られたことは、大いに疑問です。歴史的に見て、現生人類の各地域集団間で、文化の「発展度」や文化「発展」の速度に大きな違いが見られることは否定できません。しかし現在では、それが遺伝的違いに起因する、と考えている研究者はたいへん少ないのではないか、と思います。しかしこの番組の認識を前提とすると、各地域集団間における文化の「発展度」や文化「発展」の速度の大きな違いは、何らかの遺伝的な違いに基づくものだ、と一般層の視聴者を誘導する危険性があるように思います。

 今回強く主張されていたように、ネアンデルタール人と現生人類とで、言語能力に何らかの違いがあったとしても不思議ではなく、それが現生人類の拡散・人口増とネアンデルタール人の絶滅をもたらした可能性はあります。今回、FOXP2遺伝子の発現に変化をもたらすような変異がその候補として取り上げられていましたが、番組内でも強調されていたように、まだ仮説にすぎず、具体的に言語能力にどのような変化をもたらしていたのか、あるいはもたらさなかったのかというと、今後の検証を俟つしかないと思います。この問題について、番組内で仮説にすぎない、と注意を喚起していたのはよかったと思います。

 人類の進化に関する今回の内容で最も問題となるのは、現生人類とネアンデルタール人には言語能力の違いがあったのではないか、との主張の前提となる、両者の石器技術の多様性と変化速度の違いという見解です。確かに、末期ネアンデルタール人の頃以降となると、現生人類の石器技術の変化が速くなる、と言えるかもしれません。しかし、それ以前、たとえばサハラ砂漠以南のアフリカの中期石器時代や、ユーラシア西部の中部旧石器時代だと、両者の石器技術の変化速度に大きな違いがあるのかというと、そうした考古学的証拠はまだ得られていない、と言うべきでしょう(関連記事)。

 現生人類の出アフリカについては、年代・回数・経路の点でまだ議論が続いており、共通認識が形成されているとはとても言えません。しかし、遅くとも6万~5万年前頃までには、現生人類はアフリカからユーラシアへと拡散していった可能性がきわめて高いでしょう。そうすると、今回番組で主張されたような、現生人類とネアンデルタール人には言語能力に関して遺伝的な違いがあり、それが文化の変化速度の違い(速い現生人類と、遅いというか停滞的なネアンデルタール人)をもたらした、というような見解が成立するには、6万~5万年前頃までの時点で、そうした違いが明確に認められねばなりません。

 しかし、上述したように、中期石器時代や中部旧石器時代までは、現生人類とネアンデルタール人とで石器技術の変化速度に大きな違いがあった、という考古学的証拠はまだ得られていません。そうすると、現生人類の(成功した)出アフリカの時点で、現生人類とネアンデルタール人とで文化の変化速度に大きな違いがあったのか、大いに疑問の残るところです。今回、ネアンデルタール人の石器技術は停滞的だ、ということが強調されていましたが、最近では、ネアンデルタール人の文化はそれほど単純でも停滞的でもなかった、と指摘されています(関連記事)。また、出アフリカ時の現生人類はネアンデルタール人にたいして技術的に優位に立っていた、との通説的見解を見直す研究も見られます(関連記事)。

 現生人類とネアンデルタール人の石器技術の変化速度に大きな違いがあった、という見解に大いに疑問が残るとなると、後期石器時代や上部旧石器時代以降に現生人類の文化の変化が速くなったことは、今回強調されていた遺伝的違いに基づくのではなく、何らかの社会構造の違いに起因する可能性も、じゅうぶん考えられます。それは、知識の蓄積が一定水準以上を超えたことや、人口が増大したことや、広範な社会的ネットワークが確立したことや、性・年齢などによる分業が進展したことなのかもしれません。さらに言えば、それらは相互に密接に関係していたのかもしれません。

 『生命大躍進』の制作方針が、遺伝子の違いに重点を置くのは仕方のないところかもしれませんが、人類の文化の「発展」にもそれを安易に適用してしまったように思えるのは残念ですし、それ以上に危険と言うべきでしょう。NHKスペシャルは一般層を対象としているわけですから、分かりやすさを志向するのはある程度やむを得ないのでしょうが、NHKが映像化したことによる影響力を考えると、もっと慎重に制作してもらいたかったものです。

 なお、今回まったく触れられていませんでしたが、出アフリカを果たした現生人類はネアンデルタール人と交雑していた、との見解が現在では有力になっています。その他の疑問点としては、ネアンデルタール人はずっと氷期の雪原で活動していたかの如く誤解させるような描写が見られたことです。また、ネアンデルタール人が巨石をマンモスに投げていたような描写になっていましたが、微妙かな、と思います。ネアンデルタール人の絶滅年代は4万年前頃とされており、近年の研究成果が取り入れられているようです。ネアンデルタール人の絶滅要因の議論に関しては、昨年公表された論文によくまとめられていると思います(関連記事)。おそらくネアンデルタール人の絶滅要因は複合的であり、地域により異なっていたのではないか、と私は考えています。

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