大河ドラマ『花燃ゆ』第27回「妻のたたかい」
今回は禁門の変が描かれ、久坂玄瑞など松下村塾に学んだ者たちが次々と落命し、転機となる回だったと言えるでしょう。まあ、禁門の変が描かれたとはいっても、来島又兵衛の死の描写はあっさりとしたもので、ある程度覚悟していたとはいえ、残念ではあります。久坂の最期はさすがに来島よりも長く描かれましたが、それでも、あっさりとしたものだったように思います。それに、演者が大根なので緊張感が殺がれてしまった感は否めません。久坂が最期に文を想ったことや、禁門の変の描写が短かったわりに文の場面が相変わらず長かったこと(まあ、主人公なので当然ではありますが)など、文を主人公としたことで本作の受けた制約は大きいのだなあ、と改めて痛感した回でした。
久坂は結局最期まで未熟なところや失策が強調されており、優秀な人物という印象がほとんどまったく残りませんでした。まあ、今回の寺島忠三郎の台詞のように、久坂が優秀だということを印象づける演出もたまに見られるのですが、いずれも取ってつけたような感じだったのは否定できません。久坂が本当に優秀な人物だったのかというと、私もよく知らないのですが、主人公の最初の夫なのですから、もっと魅力的な人物として描かれてもよかったのではないか、と思います。一方、主人公の後の夫である小田村伊之助(楫取素彦)は、優秀で成熟した人物として描かれています。役者格を反映してそうした人物造形になった、ということなのでしょうか。
久坂は結局最期まで未熟なところや失策が強調されており、優秀な人物という印象がほとんどまったく残りませんでした。まあ、今回の寺島忠三郎の台詞のように、久坂が優秀だということを印象づける演出もたまに見られるのですが、いずれも取ってつけたような感じだったのは否定できません。久坂が本当に優秀な人物だったのかというと、私もよく知らないのですが、主人公の最初の夫なのですから、もっと魅力的な人物として描かれてもよかったのではないか、と思います。一方、主人公の後の夫である小田村伊之助(楫取素彦)は、優秀で成熟した人物として描かれています。役者格を反映してそうした人物造形になった、ということなのでしょうか。
この記事へのコメント
相討ちのシーンは平清盛(源義朝と鎌田正清)や八重の桜(会津の古参老中同士と白虎隊)でもありましたが、正直そちらの方が印象的でしたね。
夫の死を受け、椋梨藤太に久坂家取り潰しの撤回を申し出た文に、椋梨が「長州を滅亡の危機に追いやったのだから、死んで当然」みたいなことを言い、泣き崩れる文は良かったと思います。
獄中の高杉晋作は「久坂、俺は狂うぞ」と宣言。
文は久坂や松下村塾生の死の真相を直接毛利の殿に問いかけるため、奥女中になることを決意。来週からは女同士のマウンティング展開があるのでしょうか。
次回からは「大奥編」とのことですが、これで離れた視聴者が戻ってくるとも思えないので、今後も視聴率は低迷しそうです。
それにしても、本編通して、玄瑞の扱いが酷かったのが、否めません。
放送前は、殆ど期待してませんでしたが、まさかこれ程酷い扱いになるとは、ショックでした。
何度も言いますが、今年は長州がメインにも関わらず、重要な藩士の扱いが、とても酷いです。これだと、当分の間は、長州主役の大河は、制作されないかも。
配役の問題よりも、脚本・演出が一番の原因だと思います。
役者には、それ程罪はありませんが、演じた東出さんに気の毒です。
個人的に、東出はミスキャストだったと思います。
年齢的に会ってますが、どうも玄瑞としては、荷が重すぎたかも。
正直、今回の玄瑞は、歴代幕末大河では、最悪だったと思います。
最後まで、テロリスト扱いでしたし。
演じた東出さん、お疲れ様でした。
まだまだ、役者として成長するので、今度は、もっとまともな大河に出演して下さい。
禁門の変ですが、池田屋事件同様、殆ど印象に残りませんでした。
開始から20分で済まされ、後は何時もの茶番劇。
どうして、重要な出来事は、こんな不遇な扱いないなるのか。
肝心の主役の文ですが、椋梨にクレームする姿には、共感出来ませんでした。
ただの、ヒステリーにしか見えませんでした。
幕末大河で、こんなに説得力・魅力の無い主役は、始めてだと思います。
来週から「大奥編」が開始されるそうで、ここから、主役としてどう活躍するのか、気になります(全く期待してませんが)。
そういえば、9月以降の内容は、あの『天地人』の小松江里子氏が書かれるそうです。ただでさえ、脚本家が3人いるにも関わらず、迷走してるのに、ますます酷くなりそうです。
それでは~
幕末・女性主人公の番で、久しくやっていないからという理由で長州視点になった、という安易な制作方針があったのではないか、と私は邪推しています。『篤姫』が視聴率的には大成功だったので、幕末・女性ものは受ける、と制作側が勘違いしているところがあるように思われます。
それにしても、あの小松氏が脚本家として加わるとは、本当なら何とも恐ろしいことです。