『天智と天武~新説・日本書紀~』第69話「言いたかった言葉」
『ビッグコミック』2015年8月10日号掲載分の感想です。前回は、天智帝(中大兄皇子)が中臣鎌足(豊璋)に藤原姓を授け、鎌足が目を覚ますところで終了しました。今回は鎌足が天智帝に礼を言う場面から始まります。鎌足は息子の史(不比等)に、心して聞け、と遺言を残します。自分は大君(天皇)の手足となって仕えねばならないが、果たせない時にはお前が手足となって大君に仕えて、末代までも忠実な家臣となるのだ、と鎌足は史に言います。史は、必ず、と答えます。
気弱なことを言うな、と天智帝に語りかけられた鎌足は、息子のことを天智帝に頼み、目を閉じてしまいます。天智帝が慌てて、目を開けよと鎌足に命じると、鎌足はわずかに目を開けて、弱々しく大海人皇子(天武帝)を指さします。しかし、鎌足は言葉を発することなく、動きが止まります。この時近くで落雷があり、鎌足邸の使用人たちが慌てふためいたので、天智帝は苛立ちます。天智帝は気づくのがやや遅れましたが、史はいち早く父が死んだことに気づき、天智帝は茫然とします。669年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)10月16日のことでした。鎌足邸の使用人たちは、鎌足が死んだと聞き、蘇我入鹿の祟りだと騒ぎます。
殯宮には史が一人でおり、父の鎌足が最期に大海人皇子に何を言おうとしたのか、と考えていました。そこへ大海人皇子が現れ、史が一人で殯宮にいることに驚きますが、それは史が願ってのことでした。史は大海人皇子への警戒感を露にし、大海人皇子は自分が史に嫌われていることに苦笑します。何をしに来たのか、と史に問われた大海人皇子は、別れを言いに来たのだ、と答えます。すると史は、鎌足は大海人皇子の父の蘇我入鹿を討ったために祟り殺されたと噂されているくらいなのに、なぜその仇に別れを言いに来たのだ、と不審に思い大海人皇子に問い質します。
鎌足は祟り殺されたのかもしれない、それだけのことをしたのだから、と大海人皇子が答えると、史はやや怯えながら、次は自分なのか、と大海人皇子に問い質します。兄の定恵(真人)と父の鎌足に続いて、自分も殺されるのではないか、というわけです。すると大海人皇子は、定恵には気の毒なことをした、自分が殺したようなものだ、と答えますが、それを聞いた史の表情は険しいままです。大海人皇子は史に、そなたに罪ない、安心しなさい、と言います。大海人皇子は、あの世で罪を償えと鎌足に言いに来たのだ、と来訪の意図を史に伝えます。
大海人皇子は史に、百済の王子だったゆえに祖国を背負い、異国で必死に生き延びねばならなかった悲しい男だ、と鎌足の人生を評します。大海人皇子の父の入鹿と鎌足は同じ学堂で学んでおり、もし互いの立場を離れ、ただの人間同士で向き合えていたら、必ず認め合える友となったはずだ、鎌足があの世で入鹿に会ったなら、この世の罪を償い、不幸な出会いを幸福な友情に変えてほしいと鎌足に告げに来たのだ、と大海人皇子は史に語ります。
その様子を見ていた天智帝が不機嫌な表情で現れ、大海人皇子の話を聞いてはならない、近づけば鎌足と同じ目に遭うぞ、と史に警告します。天智帝は異父弟の大海人皇子に、お前がいては鎌足が安眠できないから帰れ、と命じます。立ち去ろうとする大海人皇子にたいして、鎌足への手向けとして葬儀後に斑鳩寺(法隆寺)を潰す、と天智帝は通告しますが、大海人皇子はとくに反応することもなく立ち去ります。大海人皇子が去った後、天智帝は改めて、大海人皇子には用心するよう、史に言い聞かせます。
すると史は、天智帝にとって意外なことを言い出します。史は、異母兄の定恵を言葉巧みに信用させたうえで拉致し、刺客を差し向けたのは大海人皇子だと認識していました。天智帝(当時は即位前でしたが)の命を受けた鬼室集斯が定恵を殺害しようとして、匿われている隠れ里を襲撃した時、鬼室集斯は定恵を油断させるために、大海人皇子から隠れ里の場所を教えてもらった、と定恵に伝えていました。このやり取りを史は見ていた、というわけです。史は二人を追跡し、鬼室集斯が定恵を殺害するところを見ていましたが、子供なので防げませんでした。兄の定恵が刺された光景は死ぬまで目に焼き付いて離れないだろう、と史は天智帝に語ります。
天智帝は、自分が定恵を殺すよう鬼室集斯に命じたのに、史が大海人皇子のせいで定恵が殺されたと誤解していることを知り、愉快そうに笑います。天智帝は史を鎌足以上に聡明かもしれないと誉め、行く末が楽しみだ、鎌足がこんな息子を残していってくれたとは心強い限りであり、父の遺言を忘れずに唯一無二の忠臣手足だった父の跡を立派に受け継ぐのだ、と史に命じます。史は力強く答え、天智帝の忠臣手足となることを誓います。
大海人皇子邸では、鵲が大海人皇子に準備が着々と進んでいることを報告していました。何の準備なのか、今回は明示されませんでしたが、木材もしっかり入手して保管している、と鵲が報告していることから、斑鳩寺を取り潰された後に直ちに再建できるよう、資材を確保している、ということでしょうか。鵲の報告から、斑鳩寺に安置されている蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)を拝みに来る人が増え、鎌足の使用人たちは祟られるのを恐れて必死で供物を捧げに来ていることが明らかになります。
鵲の報告を聞いた大海人皇子は、兄上が斑鳩寺を取り潰そうとしても手こずりそうだな、と言って不敵な感じの笑みを浮かべます。もったいないので、斑鳩寺を潰されないようにできないだろうか、と鵲に尋ねられた大海人皇子は、迫力のある表情で、鎌足のために何かせずにはいられないだろう兄には一度くらい好きにさせてやる、と答えます。焼打ちされてもすぐに再建できる準備はできているし、人々の崇敬を集めつつある斑鳩寺を焼打ちしたとなれば、天智帝の評判が下がるだろう、と判断しているのでしょうか。
天智帝は御所にて、大海人皇子が予想していたように、兵士たちに斑鳩寺を焼くよう命じていました。すると兵士たちは、寺を焼くのは不可能だ、と言います。越国から献上された燃水(石油)を使えば直ちに燃やし尽くせるぞ、と言って笑う天智帝にたいして、祟りが及ぶからできない、と兵士たちは天智帝の命を拒みます。兵士たちが祟りを理由に自分の命を拒んだことに、天智帝の表情が一気に険しくなる、というところで今回は終了です。
今回ついに天智帝・大海人皇子と並ぶ主要人物だった鎌足が死に、大きな区切りになったと思います。鎌足は大海人皇子にその父の蘇我入鹿を殺害したことを謝罪するつもりだったのかもしれませんが、結局言わないうちに死にました。大海人皇子と鎌足が和解しそうな雰囲気もあったものの、結局そうならないうちに鎌足は退場となりました。鎌足の死はもっと引っ張ると予想していたので、あっさりとした退場だったなあ、と思います。
鎌足の息子の定恵(真人)死後の展開が予想以上に速いので、単行本第9集(75話~77話?)で完結するのではないか、と不安になります。ただ、次回は斑鳩寺焼打ちが描かれるそうで、いきなり天智帝が病に倒れるところまでは進まないようです。天智帝が病に倒れてから崩御するまでの大海人皇子との心理戦はそれなりに描かれそうですし、大友皇子の扱いが大きいので、壬申の乱も1~2話程度では終わらないでしょうから、単行本で言えば少なくとも第10集(84話~85話?)までは続くのかな、とやや楽観しています。
今回の注目は、史の大海人皇子への警戒心・敵意が明らかになったことです。前回、史が大海人皇子に向ける表情に厳しいものがありましたが、史は大海人皇子が異母兄の定恵の殺害を命じたと誤解しているわけですから、大海人皇子を嫌うのも当然でしょう。定恵が殺害された時に史の置かれた状況を考えると、史が誤解するのも無理はありません。隠れ里の人々は基本的に大海人皇子を支える立場にありますからこの件で史が相談することはできないでしょうし、大海人皇子はまだ子供の史に定恵殺害の裏事情を教えるような感じではありませんから、史が誤解したままの仕方のないところでしょうか。
今後、史が定恵殺害と自身が隠れ里に匿われた件の真相を母親の鏡王女あたりから聞いて知るのか、それともこのまま大海人皇子への反感を抱き続け、それが入鹿を逆賊として史書(『日本書紀』)に描くよう命じたことへとつながるのか、注目されます。史は天武朝では冷遇されていたようですが、史が大海人皇子に敵意・警戒心を抱いているのだとしたら、天武が史を警戒して冷遇したというよりは、史自身が天武朝ではあえて政権から遠ざかっていたのかもしれません。
その史が台頭するのは持統朝になってからなので、作中では、大津皇子の粛清と草壁皇子の帝位後継者としての地位確立(けっきょく、草壁皇子は即位前に死ぬわけですが)に史が貢献し、鸕野讚良皇女(持統帝)に気に入られて出世していった、という話になるのかもしれません。鸕野讚良皇女は、作中では母と母方祖父の仇として鎌足を嫌っていましたが(少なくとも、661年初頭の時点では)、大津皇子の粛清と草壁皇子の地位確立に貢献したということで、史を重用するようになったのでしょうか。
大津皇子が入鹿と大海人皇子の容貌を受け継ぐという私の予想が的中するのだとしたら、史は、強大な権力を有する大海人皇子(天武帝)への復讐が叶わなかったので、その息子で父親と容貌(と人柄も?)の酷似した大津皇子を代わりに死に追いやった、ということなのかもしれません。そうだとすると、鬼室集斯が父の鬼室福信の仇である鎌足(豊璋、豊王)ではなく、中大兄皇子の意向で鎌足の息子の定恵を殺害したことと対比できそうです。
もっとも、おそらくは壬申の乱で完結となるでしょうから、天武朝や持統朝の話は描かれないかもしれませんが、時々未来パートが挿入されて、天武朝や持統朝の話が描かれて謎解きが進むことを期待しています。史(不比等)が奈良時代初期には実質的な最高権力者として君臨し、蘇我入鹿を逆賊・悪人として史書に描くよう命じたことは、本作の核となっているように思われるので、史がどのように実質的な最高権力者となったのか、ということは説明してもらいたいものです。
作中では不比等が実質的な編纂責任者となっていた『日本書紀』では、入鹿は基本的に逆賊・悪人としての役割を担わされていますが、その息子(あくまでも作中設定ですが)の天武帝の正当化にも(完全とまでは言えないにしても、一定水準以上は)注意が払われています。当時の朝廷は壬申の乱の勝者・その後継者が主導的に運営していたわけですから、当然なのですが、実質的な最高権力者らしい不比等が、奈良時代になっても大海人皇子への敵意・警戒心を抱いているのだとしたら、やや説明に困るところです。実質的な最高権力者とはいっても限界があり、入鹿を逆賊・悪人と描くことはできても、天武帝を正当化しないわけにはいかなかった、と常識的に考えることもできますが、あるいは、今後史が真相を知り、それが史の判断に影響を及ぼした可能性も考えられます。
斑鳩寺の火災は、作中ではやはり天智帝の命によることとされるようです。鎌足の死の前年に献上された燃水(石油)を絡めてきたところは、歴史創作ものとして上手いな、と思います。斑鳩寺に関しては、669年冬に火災が発生し、翌年4月30日の火災で全焼したと伝わっています。今回の天智帝による焼打ちは、兵士たちが祟りを怖れていたために全焼とまではいかず、翌年に倭(日本)とは異なる文化で育った鬼室集斯が、祟りを怖れずに焼打ちに成功する、という話になるのかもしれません。上述しましたが、大海人皇子はすでに天智帝による斑鳩寺焼打ちを見越して、再建の手段を整えているように思われます。斑鳩寺をめぐる天智帝と大海人皇子との興亡がどのように描かれるのか、楽しみです。
気弱なことを言うな、と天智帝に語りかけられた鎌足は、息子のことを天智帝に頼み、目を閉じてしまいます。天智帝が慌てて、目を開けよと鎌足に命じると、鎌足はわずかに目を開けて、弱々しく大海人皇子(天武帝)を指さします。しかし、鎌足は言葉を発することなく、動きが止まります。この時近くで落雷があり、鎌足邸の使用人たちが慌てふためいたので、天智帝は苛立ちます。天智帝は気づくのがやや遅れましたが、史はいち早く父が死んだことに気づき、天智帝は茫然とします。669年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)10月16日のことでした。鎌足邸の使用人たちは、鎌足が死んだと聞き、蘇我入鹿の祟りだと騒ぎます。
殯宮には史が一人でおり、父の鎌足が最期に大海人皇子に何を言おうとしたのか、と考えていました。そこへ大海人皇子が現れ、史が一人で殯宮にいることに驚きますが、それは史が願ってのことでした。史は大海人皇子への警戒感を露にし、大海人皇子は自分が史に嫌われていることに苦笑します。何をしに来たのか、と史に問われた大海人皇子は、別れを言いに来たのだ、と答えます。すると史は、鎌足は大海人皇子の父の蘇我入鹿を討ったために祟り殺されたと噂されているくらいなのに、なぜその仇に別れを言いに来たのだ、と不審に思い大海人皇子に問い質します。
鎌足は祟り殺されたのかもしれない、それだけのことをしたのだから、と大海人皇子が答えると、史はやや怯えながら、次は自分なのか、と大海人皇子に問い質します。兄の定恵(真人)と父の鎌足に続いて、自分も殺されるのではないか、というわけです。すると大海人皇子は、定恵には気の毒なことをした、自分が殺したようなものだ、と答えますが、それを聞いた史の表情は険しいままです。大海人皇子は史に、そなたに罪ない、安心しなさい、と言います。大海人皇子は、あの世で罪を償えと鎌足に言いに来たのだ、と来訪の意図を史に伝えます。
大海人皇子は史に、百済の王子だったゆえに祖国を背負い、異国で必死に生き延びねばならなかった悲しい男だ、と鎌足の人生を評します。大海人皇子の父の入鹿と鎌足は同じ学堂で学んでおり、もし互いの立場を離れ、ただの人間同士で向き合えていたら、必ず認め合える友となったはずだ、鎌足があの世で入鹿に会ったなら、この世の罪を償い、不幸な出会いを幸福な友情に変えてほしいと鎌足に告げに来たのだ、と大海人皇子は史に語ります。
その様子を見ていた天智帝が不機嫌な表情で現れ、大海人皇子の話を聞いてはならない、近づけば鎌足と同じ目に遭うぞ、と史に警告します。天智帝は異父弟の大海人皇子に、お前がいては鎌足が安眠できないから帰れ、と命じます。立ち去ろうとする大海人皇子にたいして、鎌足への手向けとして葬儀後に斑鳩寺(法隆寺)を潰す、と天智帝は通告しますが、大海人皇子はとくに反応することもなく立ち去ります。大海人皇子が去った後、天智帝は改めて、大海人皇子には用心するよう、史に言い聞かせます。
すると史は、天智帝にとって意外なことを言い出します。史は、異母兄の定恵を言葉巧みに信用させたうえで拉致し、刺客を差し向けたのは大海人皇子だと認識していました。天智帝(当時は即位前でしたが)の命を受けた鬼室集斯が定恵を殺害しようとして、匿われている隠れ里を襲撃した時、鬼室集斯は定恵を油断させるために、大海人皇子から隠れ里の場所を教えてもらった、と定恵に伝えていました。このやり取りを史は見ていた、というわけです。史は二人を追跡し、鬼室集斯が定恵を殺害するところを見ていましたが、子供なので防げませんでした。兄の定恵が刺された光景は死ぬまで目に焼き付いて離れないだろう、と史は天智帝に語ります。
天智帝は、自分が定恵を殺すよう鬼室集斯に命じたのに、史が大海人皇子のせいで定恵が殺されたと誤解していることを知り、愉快そうに笑います。天智帝は史を鎌足以上に聡明かもしれないと誉め、行く末が楽しみだ、鎌足がこんな息子を残していってくれたとは心強い限りであり、父の遺言を忘れずに唯一無二の忠臣手足だった父の跡を立派に受け継ぐのだ、と史に命じます。史は力強く答え、天智帝の忠臣手足となることを誓います。
大海人皇子邸では、鵲が大海人皇子に準備が着々と進んでいることを報告していました。何の準備なのか、今回は明示されませんでしたが、木材もしっかり入手して保管している、と鵲が報告していることから、斑鳩寺を取り潰された後に直ちに再建できるよう、資材を確保している、ということでしょうか。鵲の報告から、斑鳩寺に安置されている蘇我入鹿を模した仏像(現在では法隆寺夢殿に安置されている救世観音像)を拝みに来る人が増え、鎌足の使用人たちは祟られるのを恐れて必死で供物を捧げに来ていることが明らかになります。
鵲の報告を聞いた大海人皇子は、兄上が斑鳩寺を取り潰そうとしても手こずりそうだな、と言って不敵な感じの笑みを浮かべます。もったいないので、斑鳩寺を潰されないようにできないだろうか、と鵲に尋ねられた大海人皇子は、迫力のある表情で、鎌足のために何かせずにはいられないだろう兄には一度くらい好きにさせてやる、と答えます。焼打ちされてもすぐに再建できる準備はできているし、人々の崇敬を集めつつある斑鳩寺を焼打ちしたとなれば、天智帝の評判が下がるだろう、と判断しているのでしょうか。
天智帝は御所にて、大海人皇子が予想していたように、兵士たちに斑鳩寺を焼くよう命じていました。すると兵士たちは、寺を焼くのは不可能だ、と言います。越国から献上された燃水(石油)を使えば直ちに燃やし尽くせるぞ、と言って笑う天智帝にたいして、祟りが及ぶからできない、と兵士たちは天智帝の命を拒みます。兵士たちが祟りを理由に自分の命を拒んだことに、天智帝の表情が一気に険しくなる、というところで今回は終了です。
今回ついに天智帝・大海人皇子と並ぶ主要人物だった鎌足が死に、大きな区切りになったと思います。鎌足は大海人皇子にその父の蘇我入鹿を殺害したことを謝罪するつもりだったのかもしれませんが、結局言わないうちに死にました。大海人皇子と鎌足が和解しそうな雰囲気もあったものの、結局そうならないうちに鎌足は退場となりました。鎌足の死はもっと引っ張ると予想していたので、あっさりとした退場だったなあ、と思います。
鎌足の息子の定恵(真人)死後の展開が予想以上に速いので、単行本第9集(75話~77話?)で完結するのではないか、と不安になります。ただ、次回は斑鳩寺焼打ちが描かれるそうで、いきなり天智帝が病に倒れるところまでは進まないようです。天智帝が病に倒れてから崩御するまでの大海人皇子との心理戦はそれなりに描かれそうですし、大友皇子の扱いが大きいので、壬申の乱も1~2話程度では終わらないでしょうから、単行本で言えば少なくとも第10集(84話~85話?)までは続くのかな、とやや楽観しています。
今回の注目は、史の大海人皇子への警戒心・敵意が明らかになったことです。前回、史が大海人皇子に向ける表情に厳しいものがありましたが、史は大海人皇子が異母兄の定恵の殺害を命じたと誤解しているわけですから、大海人皇子を嫌うのも当然でしょう。定恵が殺害された時に史の置かれた状況を考えると、史が誤解するのも無理はありません。隠れ里の人々は基本的に大海人皇子を支える立場にありますからこの件で史が相談することはできないでしょうし、大海人皇子はまだ子供の史に定恵殺害の裏事情を教えるような感じではありませんから、史が誤解したままの仕方のないところでしょうか。
今後、史が定恵殺害と自身が隠れ里に匿われた件の真相を母親の鏡王女あたりから聞いて知るのか、それともこのまま大海人皇子への反感を抱き続け、それが入鹿を逆賊として史書(『日本書紀』)に描くよう命じたことへとつながるのか、注目されます。史は天武朝では冷遇されていたようですが、史が大海人皇子に敵意・警戒心を抱いているのだとしたら、天武が史を警戒して冷遇したというよりは、史自身が天武朝ではあえて政権から遠ざかっていたのかもしれません。
その史が台頭するのは持統朝になってからなので、作中では、大津皇子の粛清と草壁皇子の帝位後継者としての地位確立(けっきょく、草壁皇子は即位前に死ぬわけですが)に史が貢献し、鸕野讚良皇女(持統帝)に気に入られて出世していった、という話になるのかもしれません。鸕野讚良皇女は、作中では母と母方祖父の仇として鎌足を嫌っていましたが(少なくとも、661年初頭の時点では)、大津皇子の粛清と草壁皇子の地位確立に貢献したということで、史を重用するようになったのでしょうか。
大津皇子が入鹿と大海人皇子の容貌を受け継ぐという私の予想が的中するのだとしたら、史は、強大な権力を有する大海人皇子(天武帝)への復讐が叶わなかったので、その息子で父親と容貌(と人柄も?)の酷似した大津皇子を代わりに死に追いやった、ということなのかもしれません。そうだとすると、鬼室集斯が父の鬼室福信の仇である鎌足(豊璋、豊王)ではなく、中大兄皇子の意向で鎌足の息子の定恵を殺害したことと対比できそうです。
もっとも、おそらくは壬申の乱で完結となるでしょうから、天武朝や持統朝の話は描かれないかもしれませんが、時々未来パートが挿入されて、天武朝や持統朝の話が描かれて謎解きが進むことを期待しています。史(不比等)が奈良時代初期には実質的な最高権力者として君臨し、蘇我入鹿を逆賊・悪人として史書に描くよう命じたことは、本作の核となっているように思われるので、史がどのように実質的な最高権力者となったのか、ということは説明してもらいたいものです。
作中では不比等が実質的な編纂責任者となっていた『日本書紀』では、入鹿は基本的に逆賊・悪人としての役割を担わされていますが、その息子(あくまでも作中設定ですが)の天武帝の正当化にも(完全とまでは言えないにしても、一定水準以上は)注意が払われています。当時の朝廷は壬申の乱の勝者・その後継者が主導的に運営していたわけですから、当然なのですが、実質的な最高権力者らしい不比等が、奈良時代になっても大海人皇子への敵意・警戒心を抱いているのだとしたら、やや説明に困るところです。実質的な最高権力者とはいっても限界があり、入鹿を逆賊・悪人と描くことはできても、天武帝を正当化しないわけにはいかなかった、と常識的に考えることもできますが、あるいは、今後史が真相を知り、それが史の判断に影響を及ぼした可能性も考えられます。
斑鳩寺の火災は、作中ではやはり天智帝の命によることとされるようです。鎌足の死の前年に献上された燃水(石油)を絡めてきたところは、歴史創作ものとして上手いな、と思います。斑鳩寺に関しては、669年冬に火災が発生し、翌年4月30日の火災で全焼したと伝わっています。今回の天智帝による焼打ちは、兵士たちが祟りを怖れていたために全焼とまではいかず、翌年に倭(日本)とは異なる文化で育った鬼室集斯が、祟りを怖れずに焼打ちに成功する、という話になるのかもしれません。上述しましたが、大海人皇子はすでに天智帝による斑鳩寺焼打ちを見越して、再建の手段を整えているように思われます。斑鳩寺をめぐる天智帝と大海人皇子との興亡がどのように描かれるのか、楽しみです。
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