23000年前頃の穀物の耕作

 23000年前頃に人間が穀物を耕作していた可能性を指摘した研究(Snir et al., 2015)が報道されました。本論文が検証したのは、イスラエルのガリラヤ湖の南西岸に位置するオハロ2(Ohalo II)遺跡です。その年代は23000年前以前で、1989年に旱魃で水位が低下した時に発見されました。オハロ2遺跡ではこれまでに、6軒の藁小屋と複数の囲炉裏の痕跡と成人男性の墓1基、さらには15万点の植物資料や石器や動物の遺骸(魚類・哺乳類・爬虫類・鳥類・軟体動物など)が確認されています。低酸素状態だったため、遺跡の保存状態は良好だった、とのことです。

 現時点では、世界で最も早く農耕が始まったのは西アジアで、12000年前頃のことだとされています。しかし本論文は、完新世における農耕のように完全に栽培化されていたわけではないにしても、23000年前頃のレヴァントにおいて、穀物の小規模な耕作が行なわれていたのではないか、との見解を提示しています。本論文がとくに重視し、直接的な証明に多くを割いているのは、雑草の存在です。もちろん、「雑草」という種の植物は存在しないわけで、複数の植物種の総称なのですが、その定義は必ずしも厳密ではないようです。

 本論文は、人間が改変した自然環境(耕作地はその代表例です)に進出し、繁栄した植物種の総称というように雑草を把握しています。このことから、雑草は耕作地の指標になり得る、とされています。本論文はこのように雑草を把握したうえで、「Proto-weeds」という概念を提示しています。これは、大規模な農耕が行なわれる前に、人間の影響を受けた土地に進出して繁栄し、その後に雑草の進化をもたらした野生植物と把握されています。どう訳せばよいのか、私の見識では判断がつかなかったのですが、とりあえずこの記事では、「原初雑草」と訳しておきます。

 この原初雑草の存在がオハロ2遺跡では認められ、他の証拠からも小規模ながら体系的な耕作がすでに行なわれていた、というのが本論文の主張となっています。オハロ2遺跡では、15000点以上の植物資料が回収されています。そのうち10.5%の種子が、現在の雑草によく見られる13種に属していることが明らかになりました。本論文はこれらを原初雑草と分類しています。ただ本論文は、原初雑草の種子が現生種よりも祖先種に類似している可能性があることから、これ以上の比率で原初雑草が存在しているかもしれない、と指摘しています。

 オハロ2遺跡の原初雑草のほぼすべて(93.2%)は、ヤエムグラ属の植物種(Galium tricornutum)とドクムギ(Lolium temulentum)という、現在の作物栽培地における主要な雑草2種に属します。この2種は、レヴァントにおいては穀物栽培地以外ではほとんど確認されておらず、その起源地は不明でした。だからといってもちろん、ただちにガリラヤ湖畔がこれら2種の起源地だと言えるわけではありませんが、本格的な農耕開始前の雑草の存在事例として貴重であることは間違いないでしょう。

 本論文は、これら大量の原初雑草の存在と他の根拠から、オハロ2遺跡の住人は小規模とはいえ意図的な耕作により穀物を育てて収穫し、食べていたのではないか、との見解を提示しています。その他の根拠は、オハロ2遺跡で大量に発見された食用野生小麦・大麦・燕麦に、現在の完全な栽培種ほどではないにしても、野生種をはるかに超える栽培タイプの痕跡が確認されることと、穀物デンプン粒の残る挽かれた痕跡のある石板が発見されており、その石板の周囲に大量の種子が分布していることと、石器の鎌が確認されていることです。また、オハロ2遺跡で発見された渡り鳥は秋と冬に、植物は春と夏に利用可能だったことから、オハロ2遺跡は季節もしくはもっと短い期間に利用された一時的な野営地ではなく、そこには1年中人間が居住していたと考えられています。

 以上、ざっとこの研究についてみてきました。現在では、始まった年代に差こそあれ、農耕は世界の複数の地域で独立して始まった、という見解がほぼ通説になっていると言えるでしょう。そうだとすると、農耕というか植物の栽培化は、現生人類(Homo sapiens)にとってわりと思いつきやすい発想だったことが窺えます。以前にも述べましたが(関連記事)、更新世において植物資源を管理して収穫するという行為は、おそらくそれなりの頻度で存在したのではないか、と思います。ただ、本格的な栽培化ではなく小規模な耕作・資源管理であり、更新世の不安定な気候では長期間持続しなかったため、現在では考古学的に検出しにくいのではないか、と思います。

 完新世に始まった農耕は現在まで続いており、世界規模に拡大していますが、現時点での考古学的記録からは、完新世の当初から本格的な農耕が始まったのではなく、試行錯誤した様子が窺えます。おそらく、更新世までの社会的蓄積とともに、更新世よりも温暖で安定した気候が、完新世における農耕の長期的持続と拡大を可能としたのでしょう。以前より更新世における農耕の可能性を考えてきたので、この研究で提示された見解はとくに意外ではありませんでした。今後は、他の更新世の遺跡で同様の事例が確認されることを期待しています。


参考文献:
Snir A, Nadel D, Groman-Yaroslavski I, Melamed Y, Sternberg M, Bar-Yosef O, et al. (2015) The Origin of Cultivation and Proto-Weeds, Long Before Neolithic Farming. PLoS ONE 10(7): e0131422.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pone.0131422

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