アメリカ大陸先住民とオーストラレシア人との遺伝的関係
アメリカ大陸先住民とオーストラレシア人との遺伝的関係に関する研究が相次いで公表されました。いずれもオンライン版での先行公開となります。『サイエンス』の研究(Raghavan et al., 2015)と報道によると、アメリカ大陸先住民・シベリア人・オセアニア人の現代人31人と、6000~200年前のアメリカ大陸先住民23人のゲノムが比較され、アメリカ大陸先住民の祖先集団は23000年前以降にアメリカ大陸に到達し、13000年前頃(14500~11500年前頃)に大きく2系統に分岐したという結果が導かれた、とのことです。ただ、本論文の共著者の一人であるソング(Yun S. Song)博士は、アメリカ大陸への移住および同地での分岐年代にはまだ不確かさが残っており、より精確な年代の推定にはもっと多くの古代ゲノム配列が必要だ、と指摘しています。
この大きな移住の波はシベリアからの1回のみだった、と指摘されています。また、かつて考古学などで提示されていた、ヨーロッパやポリネシアからのアメリカ大陸先住民への遺伝子流動は確認されませんでした。なお、イヌイット(Inuit)などと呼ばれることのあるアメリカ大陸北極圏の先住民は、この更新世における移住の波とは別に、5500年前頃に新たにアメリカ大陸北極圏に進出してきました。本論文の共著者の一人であるニールセン(Rasmus Nielsen)博士は、13000年前頃のアメリカ大陸先住民の分岐年代をクローヴィス(Clovis)文化の出現と関連づけています。
この研究で注目されるのは、アメリカ大陸先住民がシベリア人や東アジア人のみではなく、オーストラロ・メラネシア人(この研究では東南アジアの狩猟採集民も一部含みます)とも交雑した可能性が指摘されたことです。この研究を率いたウィラースレヴ(Eske Willerslev)博士は、アメリカ大陸先住民はアメリカ大陸に進出後に他の地域から完全に孤立していたわけではなく、いつどのように遺伝子流動が生じたのか、まだ正確には分からないものの、それがアリューシャン列島経由だった可能性がある、と指摘しています。
『ネイチャー』の研究(Skoglund et al., 2015)と報道によると、アメリカ大陸先住民と他地域の人類集団のゲノムを比較した結果、アマゾン地域のアメリカ大陸先住民に、オーストラレシア人(この研究ではアンダマン諸島人も含みます)との密接な共通領域が確認された、とのことです。このアマゾン地域のアメリカ大陸先住民とは、トゥピ(Tupí)語族のスルイ(Suruí)族とカリティアナ(Karitiana)族、およびゲ(Ge)語族のシャバンテ(Xavante)族です。形態学からは、最初期のアメリカ大陸の人類には現代のオーストラレシア人と共通する特徴が認められる、との見解も提示されています。
このようなオーストラレシア人と密接に関係するゲノム領域は、他の現代アメリカ大陸先住民集団や、ゲノムが解析された最初期のアメリカ大陸先住民であるクローヴィス集団の男児(関連記事)には認められませんでした。研究チームは、オーストラレシア人と密接に関係するゲノム領域をもたらした未知の祖先集団を、トゥピ語で祖先を意味する「Ypykuéra」にちなんでYと命名しました。研究チームは、このY集団が他のアメリカ大陸先住民集団と同じ頃にアメリカ大陸へと到達した可能性を想定しています。
研究チームは、Y集団が「100%」のオーストラレシア人だったなら、そのゲノムの2%が現在のアマゾン人に継承されたことになり、Y集団がアメリカ大陸に到達する前のアメリカ大陸先住民の祖先集団と交雑していたとしたら、Y集団のゲノムは現在のアマゾン人集団へ最大で85%継承された、と推定しています。Y集団がいつどのようにアメリカ大陸へと進出してきたのか、という新たに生じた謎を解明するには、Y集団の個人からDNAを抽出して解析する必要がある、と指摘されています。
以上、この二つの研究をざっとみてきました。上述したように、形態学からは、最初期のアメリカ大陸の人類と現代のオーストラレシア人との類似性が指摘されています。この見解は、遺伝学や考古学など他分野ではほとんど支持されていなかったように思われるのですが、遺伝学からアメリカ大陸先住民の一部とオーストラレシア人との類似性が指摘されたわけですから、広範な分野で真剣に検証すべき仮説になったことは間違いないでしょう。『サイエンス』論文ではオーストラロ・メラネシア人とアメリカ大陸先住民との交雑の可能性が指摘されていますが、そうだとしたら、それはアメリカ大陸に人類が進出した当初か、さほど時間が経過していない頃のことだったのかもしれません。
現時点では、この二つの研究をこれまでの諸研究とどう整合的に解釈すべきなのか、とても結論を提示できるような状況ではなく、アメリカ大陸先住民の形成過程の解明には、さらに多くのアメリカ大陸先住民、とくに古人骨のゲノム解析が必要となります。現時点では憶測にしかなりませんが、現代のアメリカ大陸先住民において部分的とはいえ遺伝的痕跡が検出されているくらいですから、オーストラレシア人(の祖先集団)の一部が(漂着の結果)直接渡海して南アメリカ大陸に到達したというよりは、北上して他集団と交雑しつつ、アラスカからアメリカ大陸へと進出した、という可能性の方が高いように思われます。
参考文献:
Raghavan M. et al.(2015): Genomic evidence for the Pleistocene and recent population history of Native Americans. Science, 349, 6250, aab3884.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aab3884
Skoglund P. et al.(2015): Genetic evidence for two founding populations of the Americas. Nature, 525, 7567, 104-108.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14895
この大きな移住の波はシベリアからの1回のみだった、と指摘されています。また、かつて考古学などで提示されていた、ヨーロッパやポリネシアからのアメリカ大陸先住民への遺伝子流動は確認されませんでした。なお、イヌイット(Inuit)などと呼ばれることのあるアメリカ大陸北極圏の先住民は、この更新世における移住の波とは別に、5500年前頃に新たにアメリカ大陸北極圏に進出してきました。本論文の共著者の一人であるニールセン(Rasmus Nielsen)博士は、13000年前頃のアメリカ大陸先住民の分岐年代をクローヴィス(Clovis)文化の出現と関連づけています。
この研究で注目されるのは、アメリカ大陸先住民がシベリア人や東アジア人のみではなく、オーストラロ・メラネシア人(この研究では東南アジアの狩猟採集民も一部含みます)とも交雑した可能性が指摘されたことです。この研究を率いたウィラースレヴ(Eske Willerslev)博士は、アメリカ大陸先住民はアメリカ大陸に進出後に他の地域から完全に孤立していたわけではなく、いつどのように遺伝子流動が生じたのか、まだ正確には分からないものの、それがアリューシャン列島経由だった可能性がある、と指摘しています。
『ネイチャー』の研究(Skoglund et al., 2015)と報道によると、アメリカ大陸先住民と他地域の人類集団のゲノムを比較した結果、アマゾン地域のアメリカ大陸先住民に、オーストラレシア人(この研究ではアンダマン諸島人も含みます)との密接な共通領域が確認された、とのことです。このアマゾン地域のアメリカ大陸先住民とは、トゥピ(Tupí)語族のスルイ(Suruí)族とカリティアナ(Karitiana)族、およびゲ(Ge)語族のシャバンテ(Xavante)族です。形態学からは、最初期のアメリカ大陸の人類には現代のオーストラレシア人と共通する特徴が認められる、との見解も提示されています。
このようなオーストラレシア人と密接に関係するゲノム領域は、他の現代アメリカ大陸先住民集団や、ゲノムが解析された最初期のアメリカ大陸先住民であるクローヴィス集団の男児(関連記事)には認められませんでした。研究チームは、オーストラレシア人と密接に関係するゲノム領域をもたらした未知の祖先集団を、トゥピ語で祖先を意味する「Ypykuéra」にちなんでYと命名しました。研究チームは、このY集団が他のアメリカ大陸先住民集団と同じ頃にアメリカ大陸へと到達した可能性を想定しています。
研究チームは、Y集団が「100%」のオーストラレシア人だったなら、そのゲノムの2%が現在のアマゾン人に継承されたことになり、Y集団がアメリカ大陸に到達する前のアメリカ大陸先住民の祖先集団と交雑していたとしたら、Y集団のゲノムは現在のアマゾン人集団へ最大で85%継承された、と推定しています。Y集団がいつどのようにアメリカ大陸へと進出してきたのか、という新たに生じた謎を解明するには、Y集団の個人からDNAを抽出して解析する必要がある、と指摘されています。
以上、この二つの研究をざっとみてきました。上述したように、形態学からは、最初期のアメリカ大陸の人類と現代のオーストラレシア人との類似性が指摘されています。この見解は、遺伝学や考古学など他分野ではほとんど支持されていなかったように思われるのですが、遺伝学からアメリカ大陸先住民の一部とオーストラレシア人との類似性が指摘されたわけですから、広範な分野で真剣に検証すべき仮説になったことは間違いないでしょう。『サイエンス』論文ではオーストラロ・メラネシア人とアメリカ大陸先住民との交雑の可能性が指摘されていますが、そうだとしたら、それはアメリカ大陸に人類が進出した当初か、さほど時間が経過していない頃のことだったのかもしれません。
現時点では、この二つの研究をこれまでの諸研究とどう整合的に解釈すべきなのか、とても結論を提示できるような状況ではなく、アメリカ大陸先住民の形成過程の解明には、さらに多くのアメリカ大陸先住民、とくに古人骨のゲノム解析が必要となります。現時点では憶測にしかなりませんが、現代のアメリカ大陸先住民において部分的とはいえ遺伝的痕跡が検出されているくらいですから、オーストラレシア人(の祖先集団)の一部が(漂着の結果)直接渡海して南アメリカ大陸に到達したというよりは、北上して他集団と交雑しつつ、アラスカからアメリカ大陸へと進出した、という可能性の方が高いように思われます。
参考文献:
Raghavan M. et al.(2015): Genomic evidence for the Pleistocene and recent population history of Native Americans. Science, 349, 6250, aab3884.
http://dx.doi.org/10.1126/science.aab3884
Skoglund P. et al.(2015): Genetic evidence for two founding populations of the Americas. Nature, 525, 7567, 104-108.
http://dx.doi.org/10.1038/nature14895
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